2話 目覚め
二度寝を求める欲求にどうにか打ち勝ち、ゆっくりと瞼を開ける。なんだか妙に力が入らない、まるで自分の身体ではなくなってしまったようだ。こんなに目覚めが悪いのは昨日見た変な夢のせいなのかもせれない。
夢とは脳の情報整理だとテレビで観たことがあるが、その突拍子もない内容につい独り言が漏れる。
「あうあうあーう」
それにしても身体が重い、先ほどから起き上がろうとしているのにまったく身体が言うことをきいてくれない。
まさか幽霊に呪われて金縛りにあってるんじゃないか? 俺、呪い殺されちゃうの? なんてもはや、条件反射的に行われるネガティブ思考にふけって…………ん?
「あーあーうーう?」
特定の成人男性が好んで行うと言われている特殊趣味のような真似事などではなく文字通り身体が生まれたての赤子になっているのだ。 俺にそんな趣味はないからね? ほんとだよ?
いやいやいや、そんなことを考えている場合じゃない、まずは状況把握からだ。幸いにも昨日見た夢のおかげでこの意味不明な状況にも少しは耐性ができていた。
……ちょっと待て、昨日見た夢? あれは本当に夢だったのか? あの夢で天使が言っていたことがまさにこの状況じゃないか。
視界に映る生きていくにはあまりにも無力な手、回らない舌、強烈な睡眠欲と食欲。
そして周囲を見れば、現代にしては粗削りな梁、燃料タンクがないランタンのような物、自分を取り囲む安全柵。
どうやら俺は本当に異世界転生してしまったらしい。
視界から得た情報を整理すると、俺はそこまで裕福ではない一般家庭に生まれた赤子になったようだ。周りの安全柵を見ると、俺は今ベビーベッドに寝かされている。
「あーうあーーいーうーおー」
その時、前方のドアが開き、見知らぬ年若い女性が部屋に入ってきた。
「あらあら、たくさんお話してどうしたの~? お腹がすいたのかしら~?」
「だーう?」
「おしゃべり上手になったのね~? お母さんうれしいわ~」
お母さん!? この女性が!? 前世の俺とほぼ同い年ぐらいじゃないか? しかも、半端なく美人じゃないか! ダメだ、この先うまくやっていける気がしない。
初恋相手に振られてから俺は逃げるように女性と接するのを避けていた。この女性は美人すぎて直視できない。
……よし、死のう。
またネガティブな考えに囚われていると、その女性が手を伸ばしてきた。なんとも圧迫感のある光景だ。自分の頭よりも大きい手が迫りくるのは普通に怖い。
そのまま頭とおしりに手を当てられ、抱きかかえられてしまった。目と鼻の先に人生で目を合わせたこともないような美人がいる。しかも、がっつり目を合わせてくる。
「変なにおいもしないし……やっぱりお腹が空いているのかしら?」
「あう?」
(ま、待て! これはひょっとして良くない流れなんじゃないか?)
その女性は俺を抱きかかえたまま、背もたれのある椅子に移動する。そのまま座ると、先ほどの疑問に答えるかのように、服を脱ぎ始めた。
「あ、あうあう!」
「そんな急かさなくても~大丈夫よ~」
「あうあうだう!」
だ、だめだ。俺はいま赤ちゃんなんだし、言葉が通じるわけがない。いや、ていうか言語が日本語じゃないか? 前の世界と同じ言葉に聞こえる……っていまそんなこと考えている場合か!
やばい、頭が混乱している。考えがまとまらない。そもそも俺は今までおっぱいなんてリアルで見たこともないんだぞ。そんな耐性がついてない状態でこんなことできるか!
(でも……)
でも、なんというか、今まで気づかなかったけどこの人はすごくいい匂いがする。それに俺に優しい言葉遣いで話しかけてくれるし、それがすごく安心できるんだ。まるで自分が本当にこの人の子供になったかのように。
この家の匂いも、ノスタルジーを感じる。前から自分の家はここだったかのように。周りの状況が、なんの違和感もなく自分の中に適応していくのが分かる。
「よいしょ」
布の擦れる音と共に、俺は目を閉じる。今まで考えすぎていたのかもしれない。俺はこの世界の、この家の、この人の子供になったんだ。そう考えると、おっぱいを飲むのは実に普通のことだった。一般的だ。普遍的だ。なにも間違ってなんかいなかったんだ。
もう、考えるのはやめよう。今はただ、享受しよう。
あぁ、甘い―――――――