1話 転生
「あの漫画の続き読んでないな……」
鳴り響くクラクションの音を聞きながら、迫りくる10tの鉄塊をぼんやり見つめながら幸村怪は走馬灯のように思った。
思い返してみれば、俺の人生なに一ついいことなんてなかった。小さい時から姉弟は優秀で自分にできないことは何でもできたし、初恋相手に告白した次の日にはクラスの全員がそのことを知っていて笑いものにされたし、知り合いのいない高校で三年間続けた部活は何の実績もなく引退した。
幸村怪はおおよそネガティブな人間である。人間は誰しも人生で起きる物事に影響を受け変わっていくものだ。彼も例にもれず、荒波の前に人が無力であるように人生に影響を受けていた。
普通……そう彼は元々はどこにでもいる普通の子供だったのだ。だが、数々の不幸が積み重なり怪はネガティブな人間になった。
(俺の人生一つも良いことなかったな……何も残せずこのまま死んでいくのか)
加速した思考の中で、怪はネガティブに考える。
考えて考えて……そうして気づいた。自分が死んだところでなにも世界に影響はなく、誰も悲しむ者がいないことに。それと同時にある種の解放感も感じていた、このネガティブな思考に苦しまなくてもいいことに。
「おいおい、まじかよ。何を後悔していたんだ俺」
このトラックは俺を苦しい現世から開放してくれる天使みたいなものじゃないか。だったら、もうさっさと思考を放棄してこの死を受け入れよう。
なんだか考えすぎていたな。いつの間にかクラクションの音も聞こえなくなっているし、さっきまで見えていたはずの街並みも見えなくなっている気がする。そんな違和感を抱えつつも、俺はこれからやってくるであろう天使に備えて―――――
―――――――――――――アレ?
死なんてもの経験したことないが、死と共に訪れるはずの意識の断裂がおきない。
おかしい、いや、死んだことがないのだからおかしいと思うのもおかしいのだが俺はおかしくなった頭でおかしく思考する。こういう時はまずは冷静になったほうが良いことを俺は知っているじゃないか……
冷静に、冷静に、冷静に、冷静に
「いや、なれるかーーーー!!」
なに? このなにもない空間は……まさか、死んだと思ったらマンションの一室に飛ばされて100点取るまで怪物と戦わされるとかそういうこと? 無理無理無理無理……俺、運動神経悪いし、痛いの嫌いだし、血とかマジで無理だから。
と、混乱とネガティブが入り混じった思考を頭の中で続けていた。
その時だった。視界の隅、トラックのあった方向から声が聞こえてきた。
「あなたは西暦2025年3月4日、午後19時に死亡しました」
「は?」
まったく状況が飲み込めない状態で、条件反射的に声が漏れてしまった。だが、そんな俺の疑問なんてお構いなしに声の主は話し続ける。
「通常、現世で死亡した人間は記憶をリセットされ、また別人として生まれます。あなたの世界でいうところの輪廻転生ですね。ただし、あなたの幸福度は規定値に達しておらず、当該プロセスに当てはまりませんでした。よって、イレギュラーな措置ではありますが、あなたをこことは異なる世界に転生させます」
「何を言ってるんだ……?」
そもそもこいつはなんだ? 背中に羽が生えているし、頭の上には光る輪っかが浮いている。
いわゆる天使のように見えるが、そのイメージとは裏腹にひどく機械的だ。
今度も俺の疑問なんてまるで気にしていない様子で(仮称)天使は淡々と言葉を続ける。
「厳正なる審査の結果、あなたは異世界の1つ『エルピス』、ペホ村の夫妻の長男として現在の記憶を保持したまま転生していただきます。次の人生で幸福度を規定値まで貯めていただき、再度、規定プロセスにあなたの魂を戻します」
「いやいやいや、なにを言ってるのかわからないんですけど」
転生? 幸福度? 単語の意味はわかるが、聞きなじみのない言葉ばかりでまったく頭に入ってこない。
とりあえず、殺し合いはさせられないことだけは理解し安堵する。……え? させられないよね?
「私の説明に何か不足がありましたか? 天界法第24条の規定に従い、人間にも完璧に理解できるように説明したはずですが?」
そこで初めて(仮称)天使は俺の存在を認識したかのように、精気のない目でこちらを見ながらそう回答する。
改めて彼女の姿を観察するが、翼や光る輪っかを除けばその造形は普通の人間だ。ただし、目に光はなく発する言葉にも気持ちが籠っていない。生きている人間というよりかは、人形のような印象を受ける。
彼女が会話できる存在だと分かった俺は頭の中に浮かんだ疑問を問いかけ続ける。
「ひとつずつ整理させてくれ。そもそも俺は死んだのか?」
「先ほど説明したはずですが?」
「転生して幸福度を貯めるってどういうことだよ」
「それも先ほど説明したはずですが? これ以上の問答は無用と判断いたしましたので、10秒後にあなたを転生させます」
ダメだ、まったく取り合ってくれない。しかも、俺はどうやら10秒後に転生させられるらしい。
そんな冷静なのか単なる諦めなのかわからない思考の中で、俺はあることに気づく。
(………………俺、人間以外とも会話できないの? なにそれ死にたい、いやほんとに死んでるんだけどね)
そんなネガティブな思考をしている間にも、(仮称)天使はカウントダウンを続けている。
「――3、2、1……転生開放」
(仮称)天使が謎の呪文を唱え終わるのと同時に、幾何学模様の魔法陣が俺を取り囲むように展開される。明らかに異様なその光景に圧倒される。
ん? というかこいつ今なんて言った? りりーすりぃんかーねーしょん? 真顔でこんなこと言えるなんてやっぱり人間じゃないんだな。
なんてことを考えながら、俺は嫌々覚悟を決める。
「尚、幸福度が規定値に達しなかった場合、あなたの存在は魂ごと抹消されますのであしからず」
―――――――え?
俺の視界はそこで暗転した。