葬送のフリーレンが良すぎる
書くのにはそれなりにエネルギーがいる。
書いてみたいと思う物語もある。暇があれば脳内で世界を作っては壊ししてる。
最近はアニメ「葬送のフリーレン」にドはまりしてる。毎週が待ちきれなくなって1話から見直したりしてる。すなわち、生み出されようとする物語がこのアニメの世界観に引きずられまくっている。
超長寿のキャラが出てきた物語は過去にも多くある。その時間感覚の差が意識されるシーンも多少はあったが大抵はその中の短い時間の中で完結する話であり、物語の中での時間感覚の差は大きく意識されない。何かのイベントの終わりなんかに語られる程度。フリーレンほどに時間感覚を意識した物語は珍しい。
萩尾望都の作品で「精霊」が出てくる話が記憶にある。「精霊狩り」はもう50年以上も前の作品。この精霊が人間と変わらない姿でありながら超長寿で超能力もあったりで、それ故にトラブルが起こる話。これもとても印象に残っている。
私は長い時間の経過する物語が好きなのだ。映画でも「アンドリューNDR114」は大好きな作品だ。映画時間の中で200年の時が流れる。
人は死ぬ。今最高齢が何歳かは知らないけれど、120歳以下だろと思う。だとすれば120年前には今生きている80億人ぐらいの人間は誰もおらず、120年前より後まで生きていた人から生まれた人間に入れ替わっている。そして、今から120年後には今生きている人のほとんどは死んでる。この当たり前の話は時間経過のある物語の前提であり、多くの物語は若い時間の変化のある短い時間しか扱わない。
実際年齢を重ねるのは面白くない。50歳になれば長生きするにしても半分ぐらいは終わってる。しかも20歳ぐらいまでと違って肉体的には能力が落ちる一方で未来の選択肢も減る一方。時間は残酷だ。恋をしたり出会ったり別れたりで物語が紡がれるのは若い時代に集中していて、RPGのごとくレベルアップできるのも若い特権。ある程度の年齢からはレベルダウンが始まる。
物語で希望を失っていくような話は読んでも面白くない。それなのに年老いて死んでしまった勇者が時代に流されて名前さえ忘れられていく中で、フリーレンが勇者パーティで見聞きしたことを次世代に伝えているシーンはとても幸せな気分にさせてくれる。
私の描きたいと思っていたことはこういう話なんだと。
と言い訳をエッセイとして書いて存在証明としておこう。