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大難を小難に……

皆様、全員、自分は一度死んだものとお思い下さい。

そして、前世のすべてを引き継いだまま、生まれ直した皆様がここにいます。


本章は、死なずに天国へ行ける(→現世に天国をつくる)ことを目指すものです。


「大難を小難にまつりかへる」です。

そのためには、小難のうちに型を示す(→非を悟り、改める)必要があります。


ただ、それには今まで得た知識や教養、常識が邪魔をします。

ですから皆様には、生まれ直したていで、赤子のような素直な心で、本編をご覧下さい。

 この世界は物質世界ですので、物質偏重、科学万能となるのも仕方がない気がします。


 ですが、「今の科学は科学のことは判るが、それより上のことは判らん。今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らんのぢゃ」なのだそうです。


 確かに、今の科学ではビックバン迄は遡れても、ビックバン以前の事は解りません。検証の仕様がない(→あるものしか解らない)からです。


 実は、宇宙は大神様の中にあるのだそうです(ᐢ ᵕ ᐢ)。


 大神様とは、ひふみ神示において、”全ての世界、全てのものを生み出された親神”とされている神様です。


 この神様は、自身の子供である人(人も全員が神の子)が喜ぶこと・幸せになることが最大の喜びなのだそうです(ᐢ ᵕ ᐢ)。



 ひふみ神示に登場する神々様は、とてもお優しいのですが、お怒り?になることもあるようです。


「何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、一本の草でも神のものぞ」


「裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。凡てをてんし様に献げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みな てんし様に捧げなならんのざぞ」


 上記の二つの文言は、全てのものが大神様のものであることを示唆しています。


 大神様のものという事は、誰のものでもないという事です。


 それをまるで自分の所有物かの如く、天下さえ取れば全て自分のもの、後は好き勝手してきたのが、この世の乱れの始まりです。


 天下とは奪い取って好き勝手するものではなく、預かり受けて民の為に良く治めるべきものなのです。


 一番上の者がこの有り様なのですから、後に続くものは言わずもがなです。

 各自が各自の所有権を主張し、その下につく者を苦しめているのです。


 そして、その風潮が下々の者にまで常識として浸透してしまったのが、今の世界です。


 裸になれ、捧げよとは、その風潮、認識を改めよというものです。


 生活に困るものあれば、その者を助けなければなりません。

 全ての人が幸せになることが、真の所有者である大神さまの望まれることなのです。



 また、神々様でも、いつかは堪忍袋の緒が切れるかも知れないと警鐘を鳴らしています。


「神は人民に改心さして、世の立替立直し致さうと思うたのであるが、曇りがあまりにひどいから、何事のびっくりが出るか、もう神も堪忍袋の緒 切れたぞ」


「昔から生き通しの活神様のすることぞ、泥の海にする位 朝飯前のことざが、それでは臣民が可哀そうなから天の大神様にこの方が詑びして一日ひとひ一日と延ばしてゐるのざぞ、その苦労も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、神の堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、米があると申して油断するでないぞ、一旦は天地へ引き上げぞ」


 上記の文言は云い方はソフトですが、とても恐いことを言っている気がします。


 ”泥の海にする”や”一旦は天地へ引き上げぞ”がそれで、これが実現されたら未曾有の大難です。


 また、次のような文言もあります。


「今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ」


「マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ」


 これは未来、将来の有り様を示唆した文言ですが、人が改心できなかった結果(→大難を小難に出来ず)がこの文言に繋がっている気がします。


 なぜ改心できないかと云えば、その原因は冒頭で話した”物質偏重”です。


 遙か昔にはあった、神に通じる心(霊)を人々が失ってしまったからです。

 その状態は”全物”です。


 半霊半物質とは、人は物質界に生きる者ですから、”全霊”の様に霊偏重でもいけません。

 あくまでも”半々”です。


 私が、死なずに天国へ行ける(→現世に天国をつくる)ことを目指すと言ったのはこの事です。


 神に通じる心(霊)を取り戻すことにより、泥の海や天地へ引き上げ、仮死の状態や灰にされる事なく、”大難を小難にまつりかへる”のです。


 そして、神に通じる心(霊)を取り戻すには、様々な方法があると思いますが、やはり『ひふみ神示』を読むことをお奨めします(ᐢ ᵕ ᐢ)。


 なぜなら、こんなに素敵な神々様が登場するのですから(ᐢ ᵕ ᐢ)。



 最後に、大難を小難にする、ヒントになる様な文言を紹介します。


「大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ」


「神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、この道理よく心得なさりて、神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、これがマコトぢゃ」


 ありがとうございます。

本文で、「神に通じる心(霊)を取り戻すには~やはり『ひふみ神示』を読むことをお奨めします」と述べましたが、それは原文の『ひふみ神示』を指しています(お読み下さいと奨めている『ひふみ神示』は全てがそうです)。


ひふみ神示では、神に通じる心を1文字の特殊記号で表しており、拙作のものでは全ての特殊記号が抜けているからです。


本作の冒頭の章(第一話)に”『ひふみ神示』を実際に読むための方法について”を載せているのは、その為です。


※原文の『ひふみ神示』は、Web検索で「 ひふみ神示 全文 」で見つかると思います。



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