好きな神様、いて欲しい神様
皆様、好きな神様、いて欲しい神様はいらっしゃいますでしょうか。
私は押しつけられるのが嫌いなので、神様の言うことだから絶対従えというのは御免です。
そんな私でも、好きになれる神様、それがひふみ神示の神様です。
私が好きな(信じるではなく)神様、ユーモアと慈愛にとても富まれだ神様について、書かれたものが『ひふみ神示』です。
このひふみ神示、判るまでは大変で受け入れ難いものもありましたが、ある程度理解すればとても受け入れやすくなります。
仰る(おっしゃる)事が一々もっともで、筋が通っているのです。
例えば、判りずらい、受け入れ難い文言として「悪にくむこと悪ぢゃ。善にくむより尚悪い」があります。
これは簡単に言えば(深い意味もある)、悪を憎むことによって、憎んだ自身が悪になるというものです。
また、「悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄(※発展)するのである」や「動かざる善は善でなく」(※現状に満足せず、更に良くする)があり、これは悪を善にすることによって、より成長できることを示唆しています。
悪には悪のお役目があって、反面教師として活かせというものです。
ひふむ神示の神様は全ての世界・全てのモノを産まれた、いわば全ての親神さまに連なる神様です。よって、悪も親神さまのお子になります。
神様なのに、どうして悪を産むのかと思われたでしょう。
その答えが反面教師として悪を活かせ、極論すると悪がなくては善くなりようがないのです。
「悪 殺す(※なくす)でないぞ。抱き参らす(※悪を善にする)から消えるのであるぞ」
以上、例を挙げましたが、私はとても筋が通っていると思います。
親神さまが悪を産む理由には、不謹慎かも知れませんが成程(笑)と感心しました。
皆様、実際の処、神様は居ないのだとしても、一つの考え方として見習うべき処が、ひふみ神示にはまだ沢山あると思います。
おそらく、私には一生判りえない処もあるかと思います。
ただ、一人ではわずかでも、多くの人が読めば色々なことが判ります。
私はこれからの時代を生きる手本・教科書の一つが「ひふみ神示」だと思っていて、出来れば「ひふみ神示」をもっと良くしていければと考えています。
「動かざる善は善でなく」(※現状に満足せず、更に良くする)にもあるように、善も良くなるのであれば、同様にひふみ神示も良く出来るはずです。
ただ、それを私一人が行うのは余りにも非力すぎるので、より多くの人が読んでこの世界を良くしていって欲しいのです。
私の発信する言葉は、愚かなものや単なる理想論にすぎないのかも知れませんが、この世界を良くするためのヒントとして、皆様の力により、より洗練されたものへ仕上げて下さい。
一人々々の力は僅かでも、最終的にはとても良いものになるはずです。
最後に、善悪について補足したいと思います。
悪を反面教師として活かすには、悪を悪と認識することが必要です。
ただ、残念ながら、今のこの世界は悪を善として、善を悪として認識させられている様です。
善悪は相対的な関係にあり、善を決めるとその善に沿わぬものは悪になってしまいます。
史実や教科書にそれを編纂したものに都合の悪いものは載りませんし、あまつさえ善悪を逆転して載せられます。
ひふみ神示の善悪は本質的な善悪を指しています。
今のこの世界は、本質は悪なものを善として教育(認識)し、本質は善なものを悪として教育(認識)しています。
「悪は善の仮面かぶりて来るぞ。(※中略)百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。一人の人云っても神の心に添ふ事あるぞ」
「まことの善は悪に似てゐるぞ、まことの悪は善に似てゐるぞ、よく見分けなならんぞ」
これでは、悪を反面教師として活かすことは出来ません。善悪が逆転しているのですから。
おそらく、これが世の中がいつまで経っても良くならない、決定的な理由の一つです。
ただ、これはどう良くしていけばいいか私にも判りません。私たち一世代だけではなく、人類の永遠の課題なのかも知れません。
やはり、解決の糸口はひふみ神示にあるような気がします。今日の状況を言い当てているのですから、何かしらのヒントがあるはずです。