間族
ある惑星は豊富な水を湛える海に覆われていた。その海上に唯一つ浮ぶブランカ大陸。その丸い円状の大陸の北方には人間が住む聖都エリンゲがある。そして、南方には魔族が住む魔都エランシアがあった。ほぼ、対極の位置にそれぞれ別の種族が住んでいる。人間と魔族はお互いの肌の色、風習、考え方の違いから、常に対立して交わる事を太古の昔から拒み続けてきた。
それぞれの都の近くには領土を守るために大陸を横切る長い壁が作られていた。都からその壁までの間に別の種族が侵入することは難しい。天を仰ぐような分厚い壁には、無数の兵が異種族の侵入を常に監視し、発見すればあっという間に排除されてしまうからだ。だが、お互いの壁の外、つまり円状の大陸の中間部分はその範疇ではなかった。どちらの種族も自由に行き来できる。だが、当然、そこでも魔族と人間が出会えば、いがみ合いが始まり戦闘は避けられなかった。
「おい、あそこにいるのは人間じゃないか?」
「そうみたいっすね、兄貴」
崖の上から驚異的な視力で平原を歩く人間の姿を眺める者達がいた。
黒い剛毛に覆われた逞しい体を顕にした熊系魔族、左目は潰されている。刃物できられたような傷跡が縦に入っていた。その隣には赤い羽根帽子にボロ絹をまきつけたような狐系魔族もいた。一応二匹には従属関係のようなものがあり、熊系魔族を狐は兄貴と呼んでいた。
「あいつ、まだ若いな、しかも一人でこんな地を馬にも乗らず歩いているぞ?」
「変わった奴ですね……」
二人はしばしその人間の女を眺めていた。
女はやけに重装備だった。黒いごつごつした硬そうな鎧で身を覆っている。背中には大きな剣が分厚い鎧にある四角い隙間に差し込まれていた。だが、頭だけは装甲は薄く、金色のティアラが陽射しを浴びて輝いているだけだった。
「姿格好だけみると女戦士ってところか……テンコ、みてみろよ、あいつの姿、何て近寄り難く、挑発的な格好をしているんだ」
「そうっすね。ジダンの兄貴よりある意味近寄り難いっすね」
「どういう意味だそれ……」
「な、なんでもないっす」
テンコは帽子の鍔を下げて、冷や汗をかき言葉を濁した。
女はそのうち岩に座り込んで、腰に下げている袋の先端を開いて、中から何かを取り出し始めた。布の袋からパンと小瓶のようなものが出てくる。パンを左手にもつと小瓶にはいった液体をそこに垂らし、そのままパンを大きく開けた口に放り込んでいた。満面の笑顔でおいしそうに食べている。その一部始終をジダンはじっと目を凝らし眺めていた。
「あんな場所で何が襲ってくるかも分からないのに、余裕あるよな〜、あの女……」
ジダンは女を好奇心に満ちた眼でみつめていた。少し口元に笑みさえ含んでいた。
それを横合いから見ていたテンコが、目を細めてぼそっと呟いた。
「兄貴、あの女に興味あるんすか?」
「きょ、興味だと!? たかが、人間にか! ば、ばかいってんじゃねー!」
ジダンは狼狽したように瞬きを繰り返し、テンコに唾液がかかるくらい大声で否定した。
「すいやせん、兄貴! 勘違いっでした!」
その剣幕にテンコは恐れをなし、肩を竦ませ後ろにニ三歩退いた。だが、ジダンは大きく開いた口をゆっくり閉じていくと、高く上げた握り拳を力なくすとんと下げる。
「まぁ、テンコよ……お前のいう事も半分は当たっている」
「――え!?」
「俺達はよう、なぜか一緒に行動してるよな? なんでそうなったか覚えてるか?」
「なんでしたっけ?」
テンコはしばらく頭をもたげ考えた後、答えが分からずジダンに聞き返した。ジダンは大きな鋭い爪が生えた右手を顔にあて、溜息をついた。
「俺たちゃ元々人間に対して強い反感も、偏見ももっていなかった。一緒に焚き火を囲って会話しているうちに、それが分かって、いつか人間と仲よくなりたいなぁって意見が一致してだな……それから一緒に行動し始めたような気がするぞ?」
「あぁ、そうかもしれないっすね、兄貴の言うとおりだ……」
ジダンに事細かく説明を受け、納得したかのように首肯を繰り返すテンコ。
「大抵、荒野を歩く奴等はあいつのように武装をしているうえに、複数で徒党を組んで馬で移動している。要は魔族と出会ったら即剣を向けてくるような奴等だ。しかしあの女をみてみろ、確かに格好はかなりの重装備だが、あの荒野のどまんなかで飯を笑顔で食う無警戒さといい、一人身といい、なんか今までの奴等とは違う気がしないか? おら〜あいつみてたら微笑ましくってな〜」
「つまり何がいいたいんっすか?」
テンコはジダンが照れ臭そうに遠まわしに長々と話すのを聞いて、ある程度その言葉の裏に潜む意図を掴みながらも、ジダンに敢て聞いてみる。
「要は今から、あいつの傍まで行って、ちょっとした世間話でも交わしたくなったのよ」
それに推測していた通りの答えが返って来ると、口元に微笑みを浮かべた。テンコはとぼけたように見えて、案外、思考は鋭く、相手の感情や本意を汲み取るのに長けていた。
「じゃ行ってみますか……?」
「行こう!」
「さーってと、昼飯もきっちり食べたし、魔王しばきに……いや、魔族と交渉しにいこうかしらね」
女は透明の硝子の小瓶に蓋をすると、薄茶けた白い布袋にそれをしまった。足元を黒々とした鱗を背に生やしたトカゲが、一定の速度でスルスルと地を這っていた。トカゲの胴体を無造作に女は手で鷲掴むと、顔近くにもってきて物思わし気にトカゲを見つめていた。
「やーめた、グロテスクすぎて火にあぶっても食べる気になんないや……」
ポイっと後ろにトカゲを投げ捨てる女。女の名はミーネと言う。聖都で女ではあるが、街の治安を預かる王国警備隊に入り、何年も聖都の治安や国境の壁を監視する仕事に携わってきた。だが、つい最近、その仕事を気まぐれで辞めると、国境の壁を一人越えて、大陸の中間の混沌とした平原へとやってきたのだ。そうした経緯には色々事情はあった。だが、一番の理由は、今の旧態依然ともいえる人間と魔族のいがみ合い、交わる事をしない閉塞さに嫌気がさしたからだ。
――私が魔族の長、魔王に直談判して、人間との交わりをするよう説得してやる……
年の頃18というまだ若い彼女は、大胆な欲望の炎に身を焦がしていた。
「おい! そこの女!」
ジダン達はしばらく女を遠くから気づかれないように後をつけていた。しかし、黄昏時に差し掛かる頃、気配を絶ちながらも距離を縮め、不意に後ろから声をかけた。
「げ、魔族!?」
女は空腹で思考が宙を彷徨っていたので、周りをあまり警戒していなかった。突然、真後ろに魔族がいることに驚き、前に一足飛びで移動すると、ジダン達に素早く向き直り、剣の鞘に手を掛けた。
「な、なに、やろうっていうの?」
女は後ろを取られた事に内心動揺していた。空腹でぼんやりしていたとはいえ、これほど簡単に後ろを取られたのは数年ぶりの話だった。一度前にも人間に同じようにされたことはあったが、その人間は王国随一の剣士である。平原にいる下等な魔族風情に警戒網の間隙を衝かれた事にショックは隠せなかった。
「兄貴……そんなにでかい声で偉そうに言っちゃ、相手も警戒するっすよ……」
「そ、そうかな?」
「そうっすよ! ね、お嬢ちゃんもそう思うでしょ?」
微笑を顔に浮べ、開いているのか閉じているのか分からない目をミーネに向けてテンコは尋ねた。
「…………」
警戒してミーネは一言も返せずにいた。
「ほらみてくださいよ、ジダンの兄貴、あんなに警戒してしまってるっすよ」
ミーネは狐を睨みつけながらも、ジダンと同じくらいの脅威を感じていた。
――なにこいつら……今まで出会ったどんな魔族よりも隙がない…………
最初は警戒心が解けずに、一時は剣を抜こうか迷ったミーネだった。だが、昼飯の量が足りずに空腹だったところに、不意にテンコが近くの小川で魚を取って、焚き火を囲みながら話しませんかと声をかけてきた。脅してしまった償いだといって、ミーネはその場で待っているようジダンも付け加えた。魔族のいう事だし、相手の力量も今まで感じた事のないもので、逃げてもよかった。しかし、ミーネは二人を最初見たときから、感じていたものを信じて待つ事にした。それが何かは分からなかったが、強いて言えば、この二人との出会いに運命とも呼べるものをミーネは感じていたのかもしれない。その後、二人は言ったとおり魚を数匹細い木の先に連なるように突き刺し帰ってきた。
「ははは、ジダンったら、結構おべっかうまいじゃない?」
「いやぁ、ミーネちゃんは美人だし、格好いいって! なぁ、テンコ!?」
「そうっすね、魔族なら結婚したいくらいっすよ!」
三人は焚き火を囲みながら、数多の星が瞬く夜空の下で他愛もない話を交わし始めていた。
「でさ、人間の王様にも頼んだんだけど、魔族と交わる事などできないって拒否られちゃってさ」
「それで魔王様に? そりゃ無理ってもんだよおめー」
「ミーネさん……見かけと同じく無謀な人っすね……」
東の空が白み始めてもまだ三人は話を続けていた。さすがに長時間語り合っていたせいか、腹を割って本音の部分をもお互い語り始めていた。テンコは焚き木の傍に体を横たえて、腕を枕代わりにして話に耳を傾けていた。ジダンは胡坐を掻いて、ミーネの豪胆な話に圧倒され目を大きく見開いて、テンコと顔を見合わせている。
「まぁ、私は行くわよ!」
「ミーネ止めといた方がいいって」
「なんで?」
ジダンは平然とミーネがそう言うので、世間知らずな嬢ちゃんだ――と内で思いながらも、腰を据えてその質問に筋道たって言葉を紡いでいく。
「人間の領域でも同じだが、まず異種族が国境の壁を越えるなんてできない、あんたもそんな地位についてたんなら、分かるはずだ。魔族側にだって監視は山ほどいる。どれも選りすぐりの屈強な魔族だ。国境の壁すら越えることができずに死ぬのがオチってもんよ」
「ふん、そんな奴等なぎ払うまでよ!」
「ミーネさん、無理っすよ……相手は数かなりいるんですよ……」
勢いでミーネは無謀な事を口走っていた。ミーネも力押しでは無理だとは分かっていて、ある程度計画らしきものは練っていた。ただ、まだ二人に話してよいものか迷っていた。だが、二人の顔がだんだん引きつり始め、口数が少なくなっていく。このままではただの世間しらずの馬鹿だと認識されてしまう。ミーネはそれを思うと耐えられなくなり、ぼそぼそっと本音を漏らし始めた。
「今、勢いで無茶いったけど……本当は一応魔族に変装して国境の壁を通り抜け、魔王のいる場所へいこうって思ってたんだ……」
それを聞くや、俯いていたジダンが顔を上げて、微笑みを飛ばしてきた。その微笑で少しは見直されたかとミーネは思い、目を伏せ気味に微笑み変えそうとした。
だが――、
「変装ってどうやるんだ? 魔族の嗅覚は人間のそれとは比べ物にならないぞ。どんな変装をしようが、人間の匂いくらい一瞬で嗅ぎ分ける事ができるんだ。甘かったな!」
その微笑は嘲笑に変わりつつあった。ミーネは自分の考えの甘さを指摘され、最初は恥ずかしさを感じていた。だが、そのジダンの嘲笑を受けて、憤りの炎が沸々とミーネの瞳に燃え上がり始める。その二人の真ん中で、テンコは焦っていた。ミーネの殺気を肌で感じ、このままでは殺し合いのケンカにまで発展しかねないと思うと、
「あーーーーーーーー! そうだ!」
テンコは突然、間延びした高い声を発して中へ割って入った。瞬間、テンコに二人の意識が集中して注がれる。
「どうした? テンコ」
「いや、もっといい方法があるって思ったんっすよ」
「え? なになに?」
テンコの言葉に憤りが急に蒸発したかのように消え、ミーネは好奇心で染まった瞳を震わせテンコに向けた。ミーネは一時的な怒りに身を浸しながらも、自分の愚策が水泡に消えて失望感も同時に感じていた。別の手段が舞い込む期待で瞬時に怒りが消えうせ、テンコに意識が移るのも当然かもしれない。
「簡単っすよ、聖都と魔都の中間に、人間と間族の交流に理解のあるそれぞれの種族を集めて、そこに国建てちゃいましょう!」
「えええ!?」
「おいおい、そんな簡単に……」
ジダンはテンコがあまりに無謀で突拍子もないことを言うので、呆気にとられて口ごもる。
だが、ミーネはそれを聞いて途端に表情を暗くして俯いた。
「あれ!?」
テンコは半分本気で言ったつもりだったが、ミーネが乗ってこないので困惑した。しばらく三人の間に冷たい沈黙が走る。そして、ミーネが次に顔をもたげてテンコをみやると、
「ごめん、だんだん面倒くさくなってきた……」
「えぇ……」
「ふふふ……ハハハ!」
その反応にテンコは気後れしたが、ジダンが高らかに笑い始める。
「でもまぁ、人間と魔族一辺に交流は無理でも、私たちから交流を深めるのも良いんじゃない?」
ミーネは無邪気な笑みを浮かべて、二人に照れ臭そうに視線を往復させて呟いた。 その親近感に溢れた瞳を受けて二人は微笑み首肯すると、ミーネが出した手の甲にそれぞれの手を重ねていった。
数十年後――この三人の活躍があったかどうかは分からないが、人間と魔族の間で調停が行われ、聖都と魔都の間を魔族、人間の両方が行き来し、両都はそれぞれ繁栄していったとか。
気まぐれで書きました。元々ブログで書いたものです。