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6話

「♪」


 橙色に照らされた薄闇色の室内には甘ったるい匂いが充満している。香水、香油、化粧、それが混ざり合っている。幾つものランプが並んだ鏡台に向って鼻歌を歌っている女性に右隣に座ったアッシュブラウンの髪をした女性が煩わしそうに黒曜石の目を細めた

「ちょっといつもいってるでしょう!気が散るからそのクセをやめてって!」

シュッと香水を吹きかけられる

薔薇の濃い香りに今度は鼻歌を歌っていた女性が眉をひそめる番だ。手で香水を振り払うながらも顔をアイリッシュに向ける。

「あら、ごめんなさい、でも少しでも喉を鳴らしておかないと、今から始まる公演で高い声がでなくなってしまうのよ、アイリッシュ」

「そんなこと言ってもだめよ、わたしはあなたの鼻歌のせいで台詞が飛んでしまいそうなんだから!」

気にも留めない様子からこれらは毎回の事らしく、美しい女は並んだ鏡に向き直ると、発色の良いリップを唇にのせていく、正面から見れば瑞々しい赤色に少し顔をそらしてみれば誘うような艶やかな赤色に。そう鏡に映る美しい女こそがリゼットだ。リゼットは今回も素晴らしい出来の化粧品を創ってくれたアリーに心の中で感謝する

 それだけではないアリーはリゼットの為に薬学を専攻する学校へと進み、リゼットの肌を研究しリゼットのためだけの化粧道具を創ってくれている

つい先日に品と一緒に送られてきた手紙には小さいながらも自分の研究所を開設できたと喜びに満ちていたこのままいけば、そう遠くない未来アリーは新しいブランドを立ち上げるだろうとリゼットは考えていた

 アリーが薬学に進むと言った時、リゼットの復讐を手伝うと聞いた時には本当に焦った

リゼットのためにそれも復讐なんてもののために優秀なアリーの未来を振ってほしくないと──

けれどもアリーはそれを一笑して


『わたしだって世の中の男達にひと泡吹かせてやりたいのよ!だってわたしの両親だって14になったとたんに村の男と結婚させようとしたり、それを断われば嫁にいかないなんて恥とか言うのよ!もうそんな時代じゃないんだって教えてやらなきゃ

いつか絶対に自分のブランドを立ち上げて有名になってやるんだから

その為にもリゼットはわたしの創る化粧品を使って劇団のトップになっていつか宣伝してちょうだい』


そういってくれたアリーに感謝したし、絶対にトップになってやると決意を新たにしたのだ

「…ねぇ、そのリップどこで手に入れたの?」

アイリッシュは鏡に映ったリゼットに目を凝らしながら聞いてくる

横目でちらりと見ながらもちょっとの仕返しをこめて

「内緒よ」

「何よ!まぁ…いいわ、だってわたしはそんなけばけばしなくても素で美しいもの」

「そう、それなら良かった」

実際にアイリッシュは化粧の力など無くとも美しい、アッシュブラウンの髪には薄くベールをかぶせたような光沢が、黒曜石の瞳は闇に輝く星のように輝きがある、整った顔立ちは他に類を見ない会話だってリゼットが相手でなければ知的で人々を魅了する。生まれ持っての美に対抗する術は努力しかない。

リゼットはあの地獄の日々、絶望を味わったあの日から生まれ変わったのだ

姉から徹底的に美を教わり、貧相な身体を補うためにウエストを究極まで絞る運動をしてささやかな胸を大きく見せる努力をした

 濁った髪をどうする事が出来なくても艶を出す為に毎日手入れをした、瞳の色も成長と共にさらに濃くなってしまったがそれを覆うようにさらに濃い化粧で見れるようにした

あまりにあっさりとした顔には濃淡が出るように化粧をした

 勉強も怠らないように中校まで修学した、そして15の歳に縁あって劇団の新人50人募集の最後の一人として合格できた。両親も姉も諸手を挙げて喜んでくれたのが昨日の出来事のように思い出せる

もちろん、合格してからはさらに練習や勉強、踊り、演技を教わりながら公演を行うのは辛かった

それでもリゼットは毎年ふるいにかけられ劇団を去る人間の中には数えられなかった

リゼットは嫁として備えていなければいけない、家事、裁縫、掃除の才能は人並み以下だったがそれ以外においては劇団を率いる団員、団長も目を見張るものがあった

 磨けば光る玉のようにリゼットは厳しさに磨かれていった

今やリゼットは劇団のトップ3に数えられている、いつかこの隣に並ぶNO2のアイリッシュを抜いてやると横目でみやる

それを見抜いたかのように鋭い目線をよこすアイリッシュも追い越されないわよとばかりにアップした髪に衣装の羽飾りを差し込む

「素晴らしいわ二人ともとても綺麗よ」

そういって一番豪華な鏡台と一対になった赤いビロード張りの椅子に腰かけた女性はプラチナブロンドの髪がふわりと巻いて腰までたらされている小ぶりな頭に載せられた羽根の王冠は今回の演目でもあるヒロインの証でもある


「No1のセレスティさんにそう言ってもらえるなんて光栄だわ」

つんと顎をそらせたアイリッシュは敵対心むきだしで食い付いた

「アイリッシュったら…いつかは私だってこの劇団を去る時が来るのよ?」

「そんなこと…!わたしは別にそういう意味で言ったんじゃ…」

いつだってアイリッシュはきつい物言いで相手を勘違いさせてしまう事をセレスティはよく理解していた、ただよく可愛がっている妹分をこれから先も良く導こうと思えば少し意地悪を言う事もあった。少し悲しげな表情をみせるとすぐにアイリッシュは白旗を上げる

「私がいなくなったら、No1の座はアイリッシュかリゼットだと皆思っているわ、けれども今の様な振る舞いをしていたら自分の価値を自ら下げてしまうわよ?」

「わたしは自重しています」

「リゼット、貴方も子供の様にアイリッシュと口喧嘩していれば、同じよ」

むぅっと口をとがらせるも、鏡越しにセレスティと目が合うのでさっと余所行きの顔に戻す、歳の割にお小言が多いセレスティを怒らせればこの公演が終わった後、間違いなく長い長いお説教が待っている。二人よりもやや小柄なセレスティだがここで侮ると大変な目にあう。

「ごめんなさい、セレスティさん、以後気をつけますわ」

「宜しいでしょうリゼット、アイリッシュも気をつけなさいね」

「はい…」

ちょうどその時、楽屋に開演30分前を知らせるベルが響いた。この耳騒がしい音は何度聞いても慣れる事は無い

 さっと鏡台の前に立ったリゼットは頭の先からつま先まで確認し、さらに何度も角度を変えて自分の姿をチェックする、今回リゼットの役はセレスティが演じるヒロインとヒーローのキューピッド役だ

真っ白いワンピースタイプのドレスは膨らみこそないが生地がさらりと落ちているので細いリゼットの腰に沿って完璧な形になっている。背中に背負った羽根は実際に鳥の羽根で出来ている、灰色がかった黄色、いや黄土色の髪はアイロンで癖毛風に巻かれており、目元は今回の為にアリーが創ってくれた白銀のアイパウダーに彩られている

 出番はアイリッシュのヒロインを支える親友役に比べて少ないが、とても重要な役割を持っている

ほとんど台詞はなく、表情だけで何かを訴える演技が必要なのと、ヒロインとヒーローが悲しくも結ばれ天に召されるそのシーンでは高音でささやくように歌い、観衆の涙を誘う

これでこの演目は3公演目になるがどこでもこの公演は大好評で席が取れなく、何とか取れたチケットでさえ販売価格よりも何倍もの値段がついているという噂だ

歴代の中でも今年度のマラビスバは格別の三姫が揃っていると言われており、この後に残された5公演でもチケットはすでに完売している


 廊下に出ると、ベルを聞いた楽団員達がぞろぞろと舞台脇に向かっていた

みなそれぞれの衣装を身にまとい緊張が表情を引き締めている、入団したての新人達はその様子を羨望の眼差しで見つめながら、先輩達に頭を下げている

リゼットが入団してからもうすぐ五年という月日が経っていたが、今年の春も例外なく新人公募で50人の新人が入っているがすでに、一か月で3名が退団している

廊下の隅で縮こまる少年少女はまだあどけなさが残るが、それこそ彼等はここに来るまではそれなりに才児として扱われていたに違いない

きっとこの中にわたし付きになる子がいるのよね…

そう思うとリゼットは憂鬱な気持ちになった、リゼットの付き人になる子には心を砕いて才能を伸ばし、教育しなければいけないからだ

 そう、セレスティがアイリッシュやリゼットにしてきてくれたように──

目の前を歩くアイリッシュにはすでに一人付き人がいるが、リゼットはずっと付き人は自分が完璧に出来るようになってからにしてほしいと辞退していた、けれども今年こそはそうはいかないようで団長には年の初めから釘を刺されていた

 円形の劇場を囲むように並んだ楽屋の前を通る廊下は半周すると舞台の袖に繋がっている

大きな造りになった袖にはいくつもの舞台用の小道具が所狭しと置かれ、早着替えができるように衣装もラックにかけられている、メイク、着替え、照明、音楽それらを担う人間も一同に揃い、開演10分前の緊張に空気を張り詰めている

 やがて、団員の前に立った団長は漆黒の髪を撫でつけ、後ろで一結びに、切れ長の緑の目は猫を想像させる。黒の燕尾服はスラリとした団長をさらに際立たせている。目をすがめて全員を見回すとそれに気付いた団員達の視線が一気に団長に集中する、ゆっくりと頷く団長は

「今日で三回目の公演となるが、誰も気を抜くなよ?一人のミスはマラビスバの失態となる!いいかお前達なら出来る、さぁ今宵も観衆を酔わせてやろうじゃないか!」

高らかに宣言すると団員達が一斉に

「はい!!」

と応じる、その光景はまるで戦場に向かう栄光の騎士のようでもあった


恙無く終焉を迎える演目の最後、ヒロインとヒーローはこの世で命を断ち天で結ばれようと誓いあう、やがて二人で向かい合わせで胸を短剣で突く、その様にハンカチを手に取る貴婦人が増えていく

二人を結ぼうとしていた天使は嘆き悲しみ涙を零す、自害した者は天に上がる事は出来ない、天使はせめてもと歌を捧げる

その囁くように優しくそして美しい高音に劇場にすすり泣く声がひしめき合う

美声が尾を引くように消える頃、幕が降りしばらくの沈黙の後劇場が震えるほどの喝采と拍手が巻き起こる



「本当に素晴らしいわ……!ねぇユーリロンバルト様…」

そういって隣で優雅に足を組んで幕が降り切った舞台を見下ろす男に目をこらす。まだ会場に明るさが戻らないというのに男の端整な顔に釘付けになる。

劇場の二階席、薄暗いロイヤルルームでユーリロンバルトはにこりと微笑んだ

「本当に君の言っていた通りだ、クリスティーナ」

「いつか私達もあんな愛を誓い合ってみたいですわ…」

潤った瞳をきらきらとさせ、クリスティーナはユーリロンバルトの腕に身体を寄せる

「あんな風に胸を突くのかい?君のその豊満な胸にかい?」

「まぁいやですわ…!そんな事…」

真っ赤になったクリスティーナは俯いて、それでも上目を使ってユーリロンバルトに何かを訴える

「いけない人だ、そんなふうに見られるとどうにかなってしまいそうだよ、気付いている?例えば──今日君がコルセットの上からあらわにしている先端はわたしを誘惑しているのだろうか、それとも強引にどうにかしてほしいのか──

どちらにしてもこれが他の男だったら今日の公演を見る事は出来なかっただろうね」

そういってユーリロンバルトはクリスティーナの胸元が際どくカットされた赤いドレスに目を細めると、指をそっと押し上げられた胸の頂きをかすめる

「あっ…」

と甘い声を上げたクリスティーナの薄地のドレスを押し上げるそれは明らかに固さを持っていた

おもむろにそれを強くつまむとクリスティーナはさらに甘い声をあげた

「そんな声を出したら皆に聞こえてしまうよ?まさか──望んでいるのかな…

いや、まさか…わたしの婚約者はそんな淫らでは困ってしまう…」

そういって手を離したユーリロンバルトの顔をクリスティーナははっと見る

ユーリロンバルトは真剣な顔付きでクリスティーナをじっと見据えている

「わ、私はそんなつもりでは…!」

「汝、無垢であれ。それこそが救いである。」

「ユーリロンバルト様、それは…?」

「知っているだろう?教えの73章だ」

少し青褪めながらもクリスティーナが慌ててそう訴えればユーリロンバルトは破顔して喜んだ

「そうだよね、すまない私の思いちがいだ。君が私の一番嫌うような女性でないことはわかっていたのに謝るよ…許してくれるかい?」

「え、ええ、もちろんですわ…」

「ありがとう、君は私の理想通りの人だ」

そう言って座席から立ち上がったユーリロンバルトは白手袋をした手を差し出しクリスティーナを立ち上がらせると、ロイヤルルームを後にした。



それから半年後

「おーい、みんな聞いてくれ!!」

公演を全て終了したマラビスバはこの国を出国しリゼットの故郷でもあるリンドリルグ国へ向かうために荷物をまとめていた時だった、団長が皆を呼び集めたのだ

 団員は荷物をまとめたり運んだりとするために軽装しているが団長の格好はそれよりもひどくて、上半身裸といった体でおもわずアイリッシュもリゼットも抗議の声をあげるが団長のホークは方手で意に介さないとばかりにあしらうと話を進める

「これから俺達はリンドリルグ国へ向かうが、先ほど大変名誉な要請を受けた!

リンドリルグ国の首都マセイトの大劇場ブルーベルでの追加公演が決まった、それもこれはリンドリルグ国王陛下からの直々の要請だ!」

団長の話に団員達が色めき立つ、それもそのはずで国王直々に公演を依頼するなどマラビスバ開設から数えるほどの出来事なのだ

「団長、それってすごく名誉な事ですよね?」

アイリッシュが問えば

「そうだ、今回の要請でマラビスバに思いもよらないほどの拍が付くだろう、しかもアイリッシュ、お前もどこかの貴族方に望まれるかもしれんぞ」

「お前 も って」

「マラビスバ三姫はすでに有名だからな、そういうこともあるかもしれない、もちろん劇団に残ってくれれば恩の字だが、そのときは一言相談してくれよ?」

 片目を瞑ったホークは軽くいなすと、手を叩いて早く荷物をまとめろと皆をせっついてまわった。団員等はきゃあきゃあと騒がしくも稀な出来ごとに喜んでいる

リゼットはなにくわぬ顔をして自分の荷物をまとめていたが、皆の目を盗んで一人になると震える身体を抱きかかえるようにしてうずくまった

 リンドリルグ国で公演するときは決まってこんな風になってしまうのだ、過去の出来事が顔を擡げてリゼットを苛むのだ

ひょっとしたらどこかでユーリに会ってしまうのではないか、その時にあの美しい婚約者はユーリの隣にいて幸せそうに並び立つ

そんな事が頭をよぎるたびにリゼットは怖くて仕方が無かった、まだあの幼い恋心は心のどこかでくすぶり続けていてちりちりと胸を焦がすのだ、それが解っているからこそリゼットはあの抜け殻の様だった自分に戻ってしまうのではないかと怯えてしまう


 ユーリにほんの少しでも後悔してもらえたら、きっとそれでリゼットは満足出来る、それを復讐にしよう、そして前だけ向いて生きていこうと決めた、それは何年たっても変化することはないのだ。結局ユーリを心の底から憎むことなど不可能な様に思える。

一抹の不安を抱えたリゼットを伴ってマラビスバは一カ月後リンドリルグ国へ入国したのだった


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