2話
学校の裏手の森を抜けると小さな小川を挟んだ向こう側にはユーリの裏庭がある。腰ほどの高さがある木柵は等間隔で隙間が空いている、そこからは野花がひっそりと顔を覗かせている。
人の気配がないのを確認しリゼットとユーリがそっと裏戸口の扉を開く、扉の立て付けが良くないのか悲鳴のように軋む音を鳴らす、二人ではっと顔を見合わせ一呼吸置く。何も反応もない事から家人はいなさそうだ。家の中にさっと身を滑り込ませると、リゼットは家人に見つからないようにさっと階段下に身を潜り込ませる、それを確認したユーリは少し驚いたような顔をしたが軽く頷くと
「ここでまっていて、すぐに戻るからね」
そういってユーリは素早く階段を駆け上がっていく
二階で扉を閉めた音がしたのでいくぶんほっとする。
「ユーリの家って来たのはどれくらい前だったかしら…」
ユーリ達がリゼットの家を頻繁に訪れることはあってもリゼットがユーリ宅に呼ばれることはほとんどないのもあっていささか緊張してしまう
久しぶりにユーリの家に入ったリゼットは辺りをそれとなく見渡す、赤レンガ造りの外観とは異なって内装はふんだんに木が使われている、質素な作りの家にはこれといった装飾もなくいたって普通の家に感じるがリゼットにはなんともいえない違和感を感じた
「なにかしら…」
もう一度辺りを見渡す、木目の美しい床に壁には白い壁紙が張られている家自体にはぬくもりがあふれている、家具もブラウンで統一されている
「そうだ、飾りっけがないんだわ!…絵もないし花もないわ」
「それはね、男所帯だからじゃないかな」
「きゃぁ!」
ぱっと声がした方を振り向くと、いつの間にか階段下から身を乗り出していたリゼットの背後にいた人物にぎょっとする。がっしりとした体つきに見上げるほどの身長の彼はユーリの叔父にあたる人だ
「レオンさん…!あ、あのわたし」
「あれ?どうしたのその恰好!」
どういいわけしようか慌てている間に指摘されたくない事を言われてしまったことに渋い顔つきになってしまう。ぼろぼろになっているワンピースはユーリが貸してくれているジャケットで覆われているが、見るからにサイズが合っていないのは一目瞭然。とたんに見透かされているようで恥ずかしくなる
「こここれはですね、ユーリのジャケットをお借りしてしまって…」
リゼットの言い訳をぽかんとした顔で見下ろすレオンに自分がまぬけな事を言ってしまっている自覚はあったものの言い訳を考えてなかったリゼットにはどうすることも出来ない。
「とっても仕立てが良くて、あの、いい香りもしてですね・・・」
堪えきれなかったのか頭上からくぐもった笑い声が聞こえる
「それはね、学校の帰りに野犬に追い回されて破けてしまったんだよ」
「ユーリ!」
とんとんとリズミカルに階段を降りてくると蹲るリゼットの手を取って立たせると自然と視線が合いふわりと微笑まれる。リゼットもユーリの顔をみて安堵するも、今しがた自分の発言に赤面する
わたしったらいい香りがするとか何いってるの・・・!
ユーリとリゼットに交互で視線をはわせたレオンは、赤銅色の髪をかきあげると
「そうなのか、それは災難だったな。それでその野犬はどうしたんだほっとくわけにはいかんだろ?」
「えっと…」
「僕がそんな危険な野犬ほっとくわけがないでしょう?ちゃーんと捕まえて悪さをしないように躾けておくよ、野犬がどこに向かったかしっているからね」
「ほぉ、おれも協力したほうがよさそうだな」
「やめてよ十三歳にもなって叔父と野犬狩りなんかしていたら笑われてしまうよ、ねリゼット?」
「え、えっと、そうね」
「それにしたって、リゼットちゃんの家に帰って着替えしたほうがよくないか?ここには男物しかないしなぁ」
「森の中で遭遇したんだよ。森をつっきればリゼットの家より僕の家の方が近いしね仮にこの格好のリゼットを家に送っていったとして僕が無理強いをしたと勘違いされないとはいいきれないだろ?」
「えっ!?それはありえな」
繋がれたままの手に圧力を感じる、ユーリが少し力を入れたそこで、それまで霧散していた虐めを隠すという目的を思い出す。
わたし馬鹿だ・・・ユーリに告白してもらったことで有頂天になってた!
「うーむ、まぁそれだけはないと思うが・・・」
「父親っていうのは娘可愛さに盲目になることもあるとか、実際リゼットは可愛いけどね」
それはユーリの感性の問題ではないのだろうか・・・ひょっとして崩れている容姿の子のほうが好きとかそういった事ではないのかしら
腕を組んだレオンは何か考えるそぶりを見せるが、納得したように一人頷いている
そもそもいもしない野犬をどうこうできるわけもないのでこれで一件落着とふんだリゼットは本日何度目になるかわからない安堵を覚えた
「リゼット、これに着替えておいでーそうだな僕の部屋ならいいかな」
「そうだな、居間でってわけにもいかんだろうし、リゼットちゃん俺たちは下にいるからそうしておいで」
「あ、ありがとうございます」
ユーリが差し出した衣類を渡されたリゼットは素直に従い二階へ上がっていく
よく磨かれた階段の手すりに沿って進めばすぐにユーリの部屋がある
これからユーリの部屋に入るというのはなんとも緊張してしまう
「じゃぁ・・・お邪魔します!」
下にも聞こえるように大きな声でそう言うと
「はい、どうぞ」
クスクスと笑い声とともにユーリの良く通る声で返事が返ってきた
ドアノブに手をかけ開いた隙間からそっと中を覗いてみる、こじんまりとした部屋は綺麗に片付けられていて、表通りに面した窓にはグレーのカーテンがかかっている。着替えるのに気を使ってくれたのか白いレースカーテンが窓を覆っている
シンプルなベッドはやや大きめなもののシーツもピシリとかけられていてユーリの几帳面さが表れている
物書き用の机も整頓されていて本棚には難しそうな本がびっしりと並べられている。
「ユーリのお部屋も余計なものは置かれていないのね」
わたしの部屋はちょっとごちゃごちゃしすぎなのかしら、野花をドライフラワーにしたものやお気入りの人形や蚤市場で買った絵画で溢れているものね…
破れてしまったスカートを脱ぎわたされたズボンに吐き掛けえるとどうしても裾があまってしまうので何度か折り畳み調節する、ウエストにも気を使ってくれたのかベルトも用意していてくれたのに感謝する。敗れたスカートはなるべく綺麗に畳んで鞄にしまってしまう
「そうだ…ユーリから借りていたジャケットはお洗濯してから返した方がいいよね」
ジャケットを畳むとなるべくしわにならないように手で持ち部屋を出る
階段を降りていくと下からユーリとレオンの話す声が聞こえてくるがいつになく早口なので何を話しているのかはよく聞き取れない。階段を降りると正面には玄関が通路を挟んだ右手にはダイニングルームがあるどうやら話し声はそちらから聞こえてくる
居間は扉がなく、ノックするわけにもいかないので顔だけのぞかせ声をかける
「ありがとうございました、お部屋も洋服もお借りしてしまってすみません」
リゼットがそう言うなやいや、二人はピタリと会話をやめてにこやかに振り返る。レオンはテーブルに置かれていたカップを指示して
「リゼットちゃん帰る前にお茶でも飲んでいきなさい」
リゼットの答えを聞く前にレオンがポットから勢いよくカップにお茶を流しいれる
「相変わらず豪快だな~ちょっとテーブルに跳ねるから…あぁ!」
「ん?あぁ気にしなさんな、そんくらい」
対照的な二人のやり取りにおもわず笑ってしまう。
入り口で立ったまま笑うリゼットにユーリは手招きで横に座るよう促してくる
「ほら、リゼットも付き合ってこの殺風景なお茶会に花を添えてくれないかな」
「ではお呼ばれします」
淑女見習いの学習で教わった通りに絵会釈して部屋に入ると、ユーリが紳士よく引いてくれた椅子に腰かける。ずいっと前に出されたカップからは香りのよい紅茶がなみなみと揺らいでいる
「ほら、リゼットちゃん、これにこれを入れるとすごく美味しいから!」
「ミルク、ですか?」
「そう!」
大きな手が小さなミルクグラスを手に取って、リゼットのカップに流しいれていくと
透き通った蜂蜜色のお茶があっという間に濁っていく
ちょっと見た目は悪そうよね…
そう思いながらそれをじっと見つめていると
「こういうの初めて見たかい?」
ユーリがそう尋ねてくるので
「ええ、初めて見たわ、だって紅茶に何かを入れるって聞いたことないもの」
「そうか、隣国ではお茶に砂糖を入れたりもっするらしいんだ」
「お砂糖を…!」
「それだけじゃないぞ、蜂蜜を入れたりもするんだ」
「蜂蜜も!レオンさんは物知りなんですね!」
「違う違う、この人は新しいもの好きなだけだよリゼット」
「美味しけりゃなんでもいいじゃないか、それに知らぬより知っていたほうがいい事もある」
レオンが横目でユーリを流したのに、ユーリがほんの少しに苦い顔をしたのにリゼットは気付かないでいた、目の前に注がれた濁った紅茶にくぎ付けになっていたのだ
そっとその紅茶に口をつけると、甘い香りと一緒に今までに味わったことのない甘さと香ばしさに思わず声をあげる
「すごく美味しい!初めてですこんなにおいしいお茶は!」
レオンを見上げてそう言えば、にっかりと笑ったレオンもとても嬉しそうにしている。リンドリルグにお茶の文化は無かったのだが最近流行りだした物らしい、どちらかといえば果実水のほうが一般的だ
葉っぱを水に溶かすなど誰が考えたのだろう。素晴らしい
「だろうとも!いつかお茶屋でも開くかな~そうすれば一儲けできそうなきがする」
「ふふっ、だったらレオンさんがお店を開くまでは秘密ってことですね」
「一生ないと思うから、リゼットは秘密をかかえることなんてしなくていいんだよ」
「あらユーリ、でもレオンさんならきっといいお店を経営できるとおもうわ」
「ほーら、リゼットちゃんは俺の味方してくれる、なんていい子なんだろうなぁ」
そういってにやつくレオンにユーリはテーブルの下で脛めがけて足を振り上げた
ぐぅっとレオンがテーブルにつっぷしたのを確認したユーリは窓の外に目をやると
「そろそろ送っていくよリゼット、あまり遅くなると皆心配するからね」
はっと外の様子を伺えば、太陽はすっかり傾いている
慌てて席を立つと
「レオンさん美味しいお茶ありがとうございました!また家にも遊びに来てくださいね、両親はレオンさんの話を聞くのをいつも楽しみにしていますから」
「あぁ、ありがとうリゼットちゃん、気を付けて帰るんだよ」
ペコリと頭を下げて部屋を後にする、玄関ドアを開けてくれているユーリにも
「ありがとうユーリとても助かったの、それにジャケットもズボンもきちんとあとでお返しするから…」
「ジャケットはそのままでいいよ」
そういうと持っていたジャケットをそのまま取られてしまう
「え、でも」
「君の香りがする」
ジャケットを顔を近づけてすんっと香りをかいだユーリの艶めかしさにリゼットは顔から火が出そうなほど恥ずかしくなった
「やっぱり!だめ!洗ってから返すから」
「洗ったらリゼットの香りがなくなるじゃないか」
きょとんしたままユーリが首をかしげる
「そ、そうだけど、じゃなくて!」
まごついている間にユーリは玄関脇のコート掛けにジャケットを下げると、リゼットの身体を外に押しやりながらユーリも外に出てしまう
「送っていくよ」
「ううん、そんな、だって隣だしそんな必要ないわ…」
「そうつれなくしないで、僕の婚約者さん?」
「こっ!!」
「違ったかな?」
上背のあるユーリがリゼットの目線にあわせるように屈みこみながらそう問えば
リゼットはただ真っ赤になりながら頷くしかなかった
「赤くなってるね、夕日なんかよりもリゼットのほうが綺麗だ」
「もう!やっぱりユーリの目はおかしいわ!」
こらえきれないという体で笑うユーリにつられてリゼットも笑う
こんなに幸せな日はないと思った