第五話
目が覚めると、そこには真っ白な天井。ゆっくりと瞬きを繰り返す。ぼんやりとした意識の中、目線だけを動かし、辺りの様子をうかがう。白とベージュを基調としたきれいな部屋だ。ふと耳に入ったのはタッタッと何かを軽く叩く音。見ると、お姉さんが椅子に座りながらタブレットを操作している。
「あ、起きてる!」
こちらに気づくなり、ベッドに座って寄り添ってくれた。
「大丈夫? 気分はどう?」
「ここは……?」
「ここは私が寝泊まりしているホテル」
「ホテル……」
「丸一日間寝てたんだよ。よっぽど疲れてたんだね」
「丸、一日……!?」
意識が徐々にハッキリするとともに状況が掴めてきた。お礼をしなければと、慌てて上半身を起こす。
「あ、あの、ありがとうございま……!」
その時、お腹がグウ~~~と部屋中に響き渡りそうなぐらい鳴った。
「あ、これは……///」
「あはは、本当にわかりやすいね! 大丈夫! お腹空いてるだろうと思って、ご飯買っといたよ! 好きなやつか分からないけど……」
そう言うお姉さんの目線の先にはテーブル。その上にはコンビニ弁当が積んであった。
「ゴクリ……」
「どうぞ召し上がれ♪」
飛びつく。箸もまともに使わないぐらいがっついた。他人にどう見られようが関係ない。ただただ美味しかった。
「もごもご……」
お腹を一杯に満たした後、そのまま椅子にもたれかかり、満腹という当たり前だった幸せに浸る。
「美味しかった?」
お姉さんに声を掛けられハッと我に返る。
「あ、はい! あの……ありがとうございました!」
「いえいえ、どういたしまして!」
食事中は気づかなかったが、対面の席でこちらを見守ってくれていたようだ。弁当を動物のように貪ってしまった自分を今更ながら恥じる。
「き、汚くてすみません……///」
「いいよいいよ! それよりもさ……」
お姉さんは前かがみになると、こう尋ねてきた。
「お名前、教えてくれるかな?」
そうだ、私たちはまだお互いの名前すら知らない。
「あ、はい! えっと、私は日葵って言います!」
「日葵ちゃんか! 明るくてかわいくていい名前だね!」
「本当ですか! ありがとうございます! あの、お姉さんの名前は……」
「私? 私の名前は……」
お姉さんは少し困った顔をすると、こうごまかした。
「お姉ちゃんでいいよ! あとタメ口で!」
本名を明かせない事情があるのだろうか。気にはなったが、深くは追及しないことにした。
「お、お姉ちゃんですか? ……わかりました! じゃなくて、わかった!」
「オーケー、オーケー! よろしくね、日葵ちゃん!」
お姉ちゃんが元気に手を差し伸べる。私もゆっくりと手を伸ばし、ギュッと握手に応じる。温かい。そうやって相手の存在を肌で感じられたことで、仲間ができたんだと実感し、少し安心した。
「……もう一つ訊いていい?」
お姉ちゃんの声のトーンが少し低くなる。お母さんが凶変する時もそうだったことを思い出し、少し身構えてしまう。
「どうして家出してたのかな?」
やはりそう来たか。話すか一瞬迷うが、ここまで良くしてもらって黙っておくわけにもいかない。
「お母さんとケンカしちゃって……」
「……何でお母さんとケンカしちゃったの?」
結構グイグイと突っ込んでくるな、と思いつつも答える。
「私、大学を辞めて上京したいと思ってて……でも、お母さんには安定した道を進みなさいって猛反対されて……それが原因でケンカしちゃったんだ」
「うんうん、なるほど、そうだったんだね…… じゃあ何で東京に行きたいのかな? 何かエンターテイナーになりたいってこと?」
エンタメ都市国家「東京」。国内外から多種多様なエンターテイナーが集う場所。アイドルも含め、有名なエンターテイナーは必ずと言っていいほど東京で修業を積み、夢を掴んでいる。そんな経緯もあり、エンタメ業界で夢を目指すなら上京することが、この世界の通例となっていた。
「ええっと……」
「ああ、回りくどくてごめんね! 単刀直入に言うと、日葵ちゃんの夢が知りたいんだ!」
「私の夢?」
「そう、感じるんだよね! 何と言うか……こう、内に秘めたキラキラを!」
どうやら観念するしかないようだ。私はお姉ちゃんから目を反らしながら、ビクビクしつつ打ち明けた。
「わ、私、アイドルになりたくて……」
「アイドル!?!?!?」
机を叩く音に飛び上がる。お姉ちゃんは顔がぶつかりそうなぐらい前のめりに立つと、目を見開きながら問い詰めてきた。
「今、アイドルって言った!?」
「は、はい~~~……」
私は後悔していた。やはり、この世界ではうかつに「アイドルになりたい」と言ってはいけないのだ。お姉ちゃんもお母さんと同じように凶変してしまう。そしてまた怒られてしまうのだろうか。そう思い目をつぶったその時、
「いいね! 応援するよ!」
「ごめんな…… へ、ふえ?」
返ってきたのは予想とは真逆の反応。
「応援してくれるの……?」
「当たり前だよ! なんたってお姉ちゃんもアイドル……」
お姉ちゃんはそこまで言うと、しまったというように口を手で押さえた。
「ええ、お姉ちゃんもアイドルなの!?」
「あ、いや、その……」
完全に形勢逆転である。
「そう言われるとどこかで見たことがあるような……?」
「え、ええ!? 気のせい、気のせい、完全に気のせいだよ!」
お姉ちゃんの目線が右上、左上と泳ぎ回る。嘘が苦手なところは、どうやら自分と一緒のようだ。
「怪しい~」
「そ、それよりもさ、大切な話があるんだけど!」
話題を無理やり変えられる。もう少しとっちめたいが、今日はこのぐらいにしておこう。
「日葵ちゃんはこれからどうしたい?」
「え、私?」
どうしたいか、という漠然とした質問に考え込んでしまう。そうやって悩んでいる私に、お姉ちゃんは少し意地悪な笑みで質問を重ねる。
「このまま家出生活を続けるつもり? お母さんから逃げ続けるの?」
核心を突かれた。言われた通り、現状、私は逃げているだけだ。お母さんからも、大学生活という現実からも。
「……私、見せたい!」
何も言い返せなかったあの時。その悔しさを負けん気に変えて訴える。
「本気だってことを! ちゃんと歌って踊れるようになって、お母さんに認めてもらいたい!」
しばらくの沈黙。その後、お姉ちゃんは納得したようにうんうんと頷き、
「そう言ってくれるって、信じてた」
と、にっこり満面の笑みを浮かべた。
「よし、日葵ちゃん……アイドルになるよ、絶対に!」