アネット無双 5
「あ、あのっ」
攻防戦を続ける、アネットとアデラールの間に割り入る者がいた。
「あの、アネット様……助けて頂きありがとうございました」
声をかけたのは、カトゥリンで彼女はアネットに向かって勢い良く頭を下げた。
アネットは、突き飛ばされたときについたのであろう、木屑を取るためカトゥリンの髪に触れる。
「顔を上げて、カトゥリン嬢。貴女の綺麗なお顔に傷が付かなくて良かったわ」
「アアア、アネット様?!」
「あら、顔が赤いわ。熱でもあるのかしら?」
「ちちち、近いですッ。アネット様」
顔を上げさせるため、カトゥリンの顎を持ち上げるアネットにカトゥリンは目を見開き頬を染めた。
アネットは知ってか知らずか、頬を染める目の前の少女の前髪を片手で押し上げて顔を寄せた。人目を集める美貌と上級貴族のご令嬢であるアネットは、カトゥリンにとって雲の上の存在だ。
そんなアネットに、直接触れられ端麗な顔が近付いているとなると、同性であっても頬が紅潮し熱が上がる。
目前にまで迫るアネットにカトゥリンはぎゅっと目を瞑った。
「はい、ストーップ。アネット嬢何してるの?」
「何って熱がないか確認しているのですわ」
距離を縮めるアネットとカトゥリンの間に、アデラールの手が差し込まれて近付くアネットの額を抑えて動きを止めた。
アネットは、キョトンとした顔でアデラールを見遣る。
「熱を測るにしては近過ぎじゃない?」
「額を合わせるのだから近いのは当たり前でしょう?」
「は?額を合わせるって?」
「額をこっつんして熱は測るものでしょう?」
アネットの発言にアデラールとカトゥリンは言葉を失った。
二人が何に驚いているのか分からないアネットは首を傾ぐ。
「アネット嬢、家でもそうしてるの?」
「弟のディオンが熱を出した時はこうして測ることが多いわね」
「手を額に当てるだけで良くないかい?」
「あら、だって額同士をくっ付けた方がよくわかるでしょう?」
「アネット嬢……その測り方は出来るだけやめた方がいいと俺は思うよ」
「どうして?」
「被害者が出るから」
アデラールの言っている意味が分からないアネットは、訝しんだ表情を向けた。
ディオンの熱の測り方は、アネットから受け継がれたもので、後に本当に被害者が出ていることなど知りもしなかった。
しかし、アデラールの言葉にこくこくと頷いて同調するカトゥリンの姿に、アネットはしぶしぶ顔を離した。
「それに、顔を近付けるならこっちの方が絵になるだろう?」
そう言って、アデラールはアネットの顎を持ち上げ、自分の方に向けると顔を寄せた。
「邪魔ですわ」
顎を持ち上げられた事で、横を向いた状態で顔を固定され首に僅かな痛みが走り眉宇を寄せた。
目の前にあるアデラールの顔を凝視して、彼の顎に掌を当てて顔を押し上げる。
乱雑な対処法にアデラールは首を痛めたがアネットは気にせず、カトゥリンへと向き直った。
「アデラール様がいたのなら、わたくしは要らなかったわね。彼ならもっとスマートに助けられたでしょうし」
「そ、そんなっ。アネット様に助けて頂けて、わたくし本当に嬉しかったです」
「カトゥリン嬢はいい子ね。助けるためとはいえ、怖がらせちゃってごめんなさいね」
十三歳の年頃といえば、そろそろ恋愛感情に芽生え始める頃だろう。
人気の高いアデラールに助けられたとなれば、それはもう自慢にもなるし、乙女時代の甘い思い出にも成りうる。
前世の記憶を持つアネットにとって、十三歳など子供ではあるが、彼等も同じ人間であり感情がある。無闇に、でしゃばって彼等の邪魔をしてはいけないなと反省した。
「あ、あのアネット様?」
「何かしら、カトゥリン嬢」
「えぇーっと……」
言い淀むカトゥリンに、はっきりとしない子ね、などと思っていると傍から横やりが入った。
「同い年の令嬢に撫でられてるから困ってるんだろうよ」
「あら、ごめんなさい。つい癖が出てしまったわ」
婦警時代、迷子になった子供や泣きじゃくる子供を落ち着かせるために、頭を撫でてやっていた癖が染み付いていた。
子供と見るや、ついつい頭を撫でてしまう。それも、カトゥリンはアネットよりも更に身長が低いものだから、頭を撫でやすいのだ。
「それでは、わたくしはこれで失礼致しますわ」
挨拶をして、アネットは二人と別れた。はずだった──
「何時まで着いて来るのかしら」
校舎へと向かうアネット。その後に続くアデラールを振り返り、アネットは目を吊り上げた。
「同じクラスだし方向が同じ何だから仕方ないだろう?」
「わたくし、遠回りをして教室に向かっているのですけれど」
「でも、向かう先は同じだろ?」
「わたくし、貴方に着いて来て欲しくないから遠回りをしているのですけど」
「あはは、アネット嬢は本当に酷いことをストレートに言うね」
「あまりにしつこいと、本気で怒りますわよ……」
「分かったよ。これ以上はやめておくよ。君を本気で怒らせたいわけじゃないからね」
そう言って、やっとアデラールはアネットの後を着いて回るのをやめた。
その事に、ホッと息をつくアネット。アデラールは、衆目を集めるため、彼が傍に居るだけで通りすがる人殆どがアネットとアデラールに目を向ける。
これでは、動物園の動物よろしく晒し者ではないかと苛立ちを募らせていたアネットは、堪忍袋の緒が切れる寸前でそれを感じ取ったのであろうアデラールは素直に引いてアネットから離れた。
一人廊下を進みながら、今後どうやってしつこいアデラールを追い払うかを思案する。
考え事をしていたアネットは周囲の声も聞こえないほど、深く思索に耽っていた。
「──嬢!──のっ、──アネット嬢!」
不意に肩を掴まれて後ろに身体を引かれる。
深く考え事をしていた上に、話しかけてくる人物はここ最近クリストフかアデラールしかいなかったため、アデラールがまた戻って来たのだとアネットは思った。
幾ら、考え事をしていて声が届いていなかったとはいえ、こんなにも乱暴に肩掴まれたことに、先の苛立ちも相まって、ぷつんと何かが切れる音がした。
「痛いわね。いい加減にしないとぶん投げるわよッ!」
「きゃあああああああ」
そう言うやいなや、アネットは肩を掴む腕を両手で掴んで、腕ごと肩にかけて手を引っ張り一本背負いで背後の人物を投げ飛ばした。
思ったよりも、掴んだ相手は軽く安易に投げ飛ばされた。
こんな攻撃も躱せず、それどころかろくに受身も取れない実力で騎士を目指すなど、笑止千万だと片腕を掴んだままの人物を見下ろした。
「あら?あらあらあら?」
床に沈む人物は、ブロンドの髪にワンピース姿の何処からどう見ても女性の姿だった。
「アデラール様、貴方そんな趣味もお持ちだったのね」
「そんなわけないでしょう!!」
アネットの惚けた言葉に、即座に反論が返る。
声がした方を振り返ると、蒼い顔をした令嬢が五人ほど立っていた。
それも、会うのは初対面だが、アネットでさえも名前を知っている程のもの達である。
「これは、御機嫌麗しゅう。先輩方」
「あなたどういうつもり!?何もしてないのにいきなりレディを投げ飛ばすなんて!」
「あなた知らないわよ!その方を何方だと思っているのよ」
「ドリアーヌ様を投げ飛ばすなんて!」
「ドリアーヌ様大丈夫でございますかっ」
「貴女、宰相の娘だか知らないけど、こんなことしてもいいと思っているの?」
女たちは口々に喚き立てた。令嬢達は、グラニエ家より家格が下であるが、アネットが知らずに投げ飛ばした令嬢は違った。
令嬢たちは皆、最高学年の十五歳であり、アネットが投げ飛ばしたドリアーヌと呼ばれた女性に至っては、グラニエ家と同等の権力を持つ家柄のご令嬢だ。
「ごめんなさい、アデラール様かと思ったんですの。まさか女性でわたくしに声をかける方がいるなんて思わなかったもので」
クリストフとの一件以来、同性に嫌われていることを自負しているアネットは、困ったように眉尻を下げ謝罪する。
「あ、あなた……アデラール様を投げ飛ばす気だったの!?」
「ええ。彼ならこのくらいいいだろうと思ったのですが人違いでしたわ」
「いいわけないでしょう!アデラール様を投げ飛ばす気だったなんてあなた何を考えているのよ!」
「何を……?」
何も考えず投げ飛ばそうとしていたアネットは、令嬢達の言葉に思案する。
「ふ、ふふふ。アネット嬢あなた……」
「ドリアーヌ様!」
「ご無事ですかっ」
令嬢達が慌てて、意識を取り戻し身体を起こすドリアーヌの元へと駆け付けて身体を支えた。
「あなた……わたくしにこんなことしてタダで済むと思わない事ね!」
「申し訳ございませんでしたわ」
「そんなことで許されると思ってるの!?わたくしに対してこんな仕打ち!絶対に許しませんわよ」
「今後、わたくしの後ろに立つ時はお気を付けくださいね?お声をかける時は、後ろからではなく前からお願い致します」
「き、聞いてますの!?わたくしは怒っているのですよ!今日のところは引きますが覚えてなさい!二度とクリストフ殿下やアデラール様に近付けないようにして差し上げますわっ」
ドリアーヌはそれだけ言うと、涙を浮かべて取り巻きたちに支えられ、アネットの前からさっさと逃げ帰って行った。
結局、彼女たちの目的が分からなかったアネットだが、このことが切っ掛けとなり、夏休みを含んだ三ヶ月の謹慎処分を受けることとなった。
次回から、アストルフォ、クロエとの出会い編突入!!