アネット無双 3
一人の時間が増えたアネットは、有意義な時間を過ごせるようになった。
自由に行きたい場所へと行き、静かに読書も出来る。人気が無い場所へと赴き、昼寝だって出来るのだ。
学園には、中庭と裏庭がある。生徒に人気なのは中庭だ。
上靴でも出歩けるように芝生が敷かれ、木陰が出来るように数本の木が植えられており、中央には噴水がある。
木陰や噴水の周辺にベンチが置かれ、此処で弁当を持参しお昼を食べる者もいる。
人混みを嫌うアネットのお気に入りは、人気の少ない裏庭だった。
花の庭園があるのだが、わざわざ靴に履き替えて校舎を回ってまで休み時間中に裏庭に来る者は少なかった。
庭園の中に置かれたベンチで静かに読書したりうたた寝するのがアネットの、学園内での少ない楽しみである。
「ちょっと、聞いていますの!」
裏庭へと向かう道すがら、聞こえてきたのは甲高い女性の声。
目の前では、一人の令嬢を囲む集団がいた。
このまま、無視して通り過ぎようと思えば通りすがれる程の道幅はある。
だが、多勢に無勢で一人の令嬢を突き飛ばし、校舎の側面に立ち並ぶ木々の一つに集団で追い詰める様を黙って見過ごすことなど、出来なかった。
アネットの前世は婦警。元々、正義感溢れる女性だった。
「何をやっていらっしゃるのかしら」
令嬢を突き飛ばし嘲笑を浮かべる集団の背後から、両腕を組み声をかける。
「あ、アネット様」
「随分と面白そうなことをしてますわね。わたくしも仲間に入れてくださらない?」
「え、ええ……もちろん」
無表情のまま尋ねるアネットに、集団の令嬢たちは引き攣った笑みを浮かべるも、咎められたのでは無いとわかって、ホッと息を吐いた。
「それで、わたくしはどうしたらよろしいかしら」
アネットが集団へと歩み寄ると、令嬢たちは自然と道を開ける。
空間が出来たお陰で、突き飛ばされ標的となった令嬢が判明した。カトゥリン・シャレット、シャレット伯爵家のご令嬢だ。
シャレット家は特筆した家柄でもなければ、強大な権力を持っているわけでもない。
カトゥリンを取り囲んでいた、令嬢たちの方が家柄がいい者もいる。
中には、公爵家と侯爵家の令嬢もいるのだ。普段であれば、大した権力もない伯爵家のご令嬢など目もくれないだろうに、そんなカトゥリンをいじめるのにはわけがあった。
「この方は、自分の立場も弁えず最近よくクリストフ殿下にお近付きになられているのです」
「ですから、わたくし達が彼女の立場というものを教えて差し上げているのですわ」
「クリストフ殿下にお似合いなのは、アネット様のように美しく教養あり、家柄も良い方だけですわ」
「アネット様もそう思いますわよね?是非ともこの身の程知らずなご令嬢に教えて差し上げてくださいませ」
カトゥリンは、近頃第一王子のクリストフとよく会話している姿を見かける令嬢であった。
特定の令嬢とだけ深い仲にならず、誰にでも平等であるクリストフが友人のように自ら声をかける令嬢。
アネットもすれ違うたびに声をかけられるのだが、彼女たちは、自分よりも下位のカトゥリンがクリストフと親密に話しているのが許せなかったのだろう。
その上、カトゥリンの容姿はアネットと同等の美貌を兼ね備え、頭脳明晰でもあった。
アネットが冷たい美人だとすると、カトゥリンは優しさ溢れる聖母のような美しさだった。
実際、その通りなのだが。カトゥリンは誰にでも優しく、自分より下位の男爵家の令嬢令息であっても対等に話し、権威を用いることは一切しない。
また、困った人がいれば迷わず手を差し伸べることが出来る非の打ち所がない令嬢である。
カトゥリンを囲う令嬢たちは、嫉妬を隠そうともせず、口々にアネットに話し出す。
「本当に。身の程知らずには、ハッキリと伝えないといけないわね」
「ええ、アネット様の仰るとおりですわ」
令嬢たちは、アネットも自分たちの意見に賛同し、カトゥリンを快く思っていないのだと思い込んだ。
宰相の娘にして強大な権力を持つ、アネットを味方につけほくそ笑む。
アネットに見つめられるカトゥリンは、大きな瞳に涙を浮かべ、恐怖に耐える。
「あなた達に同意頂けて嬉しいわ。これで心置き無く身の程を知らしめることが出来るもの」
カトゥリンに数歩近付いて、令嬢たちを振り返った。
アネットの顔には、令嬢たちが初めて目にする笑みが浮かんでいた。
「あなた達、態度は大きのに心は貧相な程に狭いのね。容姿もカトゥリン嬢の足元にも及ばなければ、性格も不細工だなんて最悪ね」
満面の笑みで毒を吐くアネット。
浮かべる笑顔は柔らかいのに、紡ぐ言葉は自分たちを貶しているのだと理解するのに、集団の令嬢たちは時間がかかった。
「アネット様……?」
「本当に、身の程知らずって嫌よね。例えば、わたくしの行く先で、気分を害するような行為を見せつけるお馬鹿なご令嬢とか」
アネットの表情から笑顔は消え、令嬢たちを鋭く睨める。
漸く、アネットが罵詈を浴びせているのはカトゥリンではなく、自分たちなのだと理解した令嬢たちは、わなわなと唇を震わせた。
「ぶっ……くくくく。もー無理。我慢の限界」
凍てつく空間に、笑い声が響く。
声がする方に顔を向けると、アネットたちが立つ植木の一つ隣の木の上から降り立つ人物がいた。
口元に手を当てて、未だ笑いに肩を震わせる男性がアネット達の元へと歩み寄った。