出会い
恋愛はタイミングだと思う。
これはタイミングが悪かった僕の話。
僕は、仕事が終わった帰り道の駅のホームで、スマホをいじってアプリを開いた。SNSって残酷だと思う。その人の情報が、思いがけず出てきてしまうから。
僕は西野零士、35歳。大手自動車メーカーに勤める一般的なサラリーマンだ。仕事ではもう中堅社員扱いで、大変だけどやり甲斐もある。実はまだ独身。結婚したくない訳ではないんだけどなぁ。
Facebookの、知り合いかもの欄に君がいる。僕はそれを見ると、胸が締め付けられる様な気持ちになる。それは僕の中の苦い思い出。
きっと、連絡先に君の名前と電話番号が入ったままだから…。君の電話番号はあの頃と変わっていないのだろう。でも削除のボタンを押す事に抵抗を感じるんだ。君は結婚して子供までいる事が、そこから分かってしまっても。自分はなんて女々しいのかと思う。
白い溜息をついて、駅のホームから冬の夜空を眺めた。
あれは15年程、昔の話。今みたいに、スーツを着て毎日会社に出勤している日常なんて、考えもしてなかった頃。
彼女と出会ったのは、アルバイトでだった。どこにでもある、カフェ&レストランだ。僕は大学の二回生で、彼女は大学を卒業した後、フリーターとして入ってきた。その当時は、就職氷河期と言われてる時代だったから、特に珍しくもない。
名前は氷川果歩。年上だったけど、バイトでは先輩の僕や、他のバイト仲間にも敬語で接してくれたし、背も低くて年上という感じはしなかった。接客業は初めてだと言う彼女は、他の先輩達に教えてもらいながら、徐々に仕事を覚えていった。土日しか入っていない僕と、平日も入ってる彼女では、バイト先にいる時間の長さも違う。正社員さんから、氷川君と呼ばれていたので、その呼び方が定着した。
はじめから好きだった訳じゃない。僕には同じバイト先に別の好きな人がいて、その子に片思い中だった。宮園智子はミヤと呼ばれていて、同じく大学二回生で、その頃にはバイトの中のリーダー的存在だった。学生の本業は大丈夫なのかと思うくらい、沢山入っていて、だからか、氷川君と仲良くなるのも早かった。
女のドロドロした面倒臭い部分を、出来るだけ避けて通って来たと言うミヤは、明るくてさっぱりした性格だ。そういう部分で氷川君と気が合ったらしい。
休憩中、ミヤがタバコを吸いながら氷川君と話している。僕もそこに合流したんだ。
ミヤはロングのストレートの明るい茶色の髪をしていて、色白で切れ長の目をしている。氷川君は、黒髪で軽く癖のある髪をいつも後ろで束ねていて、色白でパッチリとした二重の目をしていた。
「氷川君は、社員さんから頑張ってるって言われてたよ。」
「本当ですか?怒られてばかりなんですけど。」
彼女は自信がなさそうな顔をしていた。結構厳しいからな、ここは。無理もない。
「氷川君強化月間なんだって。早く覚えてもらいたいかららしいよ?」
「そうだったんですか。」
「期待されてるから、頑張って!」
「ありがとうございます。」
彼女はふわりと笑う。笑うと柔らかくて可愛い印象になる。
「それにしても、氷川君は年上と思えないなぁ。」
「ちっちゃいからかな?」
「腰が低いからじゃない?」
「…褒めてませんよね?」
氷川君は頼りないから仕方ないですけど…とジト目で僕達を見る。
「氷川君、彼氏はいるの?」
ミヤが興味津々な様子で聞いている。女子って恋バナ好きだよね。
「最近、別れたばかりです。」
「あはは、実は私も。」
ミヤは笑いながら言う。
「しばらくは恋愛はイイです。しんどいし。面倒くさいし。」
「あー、面倒ではあるよね、確かに。」
うんうんと頷きながら、相槌を打つミヤを呆れた顔で見てしまう。
「…二人共枯れてる。若者の言葉とは思えない。」
「枯れてる言うな!西野はどうなのよ?彼女出来た?」
「いたら、こんなとこでバイトしてない。可愛い彼女とデートしてると思う。」
「こんなとこで悪かったな。」
「げ!木原さん!」
「お疲れ様です。」
バーカとミヤが口パクで僕に伝えてきた。だって、ドアを背にしてるから、気付かなかったんだ。
「俺もコーヒー飲もうかな。」
そう言って、木原さんは休憩室に置いてあるコーヒーメーカーから、ピッチャーを取り出し、カップに注いだ。彼は支配人兼チーフシェフで、店長でもある。いわゆる責任者ってやつだ。40代前半だったかな。
「氷川君はどうしてここに来たの?」
「…就職活動に躓いたからです。」
「躓いた?」
「やればやるほど、自分が何をやりたいのか、分からなくなってしまったんですよ。行きたいと思った会社には断られるし、他を探そうにも行きたいところが見つからない。そもそも、私は何をやりたいんだって、疑問を持ったら止まらなくて。途中で、就活やめちゃいました。何となく就職するのは嫌だったし、取り敢えず、やったことがない事をやってみようと思ったんです。」
「だからここ?」
「はい。接客業はやった事ないから、勉強になるかと思って。取り敢えず前に進んでる実感が欲しかったんです。…今までずっとやりたい事をやってきたから、自分が何をやりたいかなんて事で、悩んだ事がなかったんですけど。…それがこんなに苦しいとは思ってませんでした。目標があると、前に進めるけど、無ければ迷うしかないじゃないですか。」
ちゃんと考えてるだけ、偉いんじゃないかなと思う。何となく就職する人間だって、多いと思うから。
「ああ、確かにそうだね。」
「西野とミヤは?やりたい事あるの?」
「私は、いつか自分でお店を持つのが夢です。」
「僕は、車関連に興味があるんです。」
「…羨ましい。」
氷川君はそう言って、苦笑いした。
「大学では何を勉強してたんだ?」
「私は、デザインです。一応美大生でした。」
「デザインは嫌なの?」
「嫌ではないんですけど、何か物足りないなって。パソコンに向かって作業するのが、どうも向いてない気がして。考えることも嫌いじゃないし、モック作りも好きなんですけどね。…我儘ですね。」
そう言った後、コーヒーに口をつける。少し眉間にシワが寄っている。何か彼女なりの理由があるのだろう。
「まぁ、どうせなら好きな事を仕事にした方がいいからな。俺も食べる事が好きだから、シェフやってるんだし。迷うのも人生の醍醐味だから、ゆっくり探したらいいさ。ここは万年人手不足だから、いつでも歓迎ウェルカムだよ。」
木原さんはそう言って笑った。
「ありがとうございます。」
氷川君は笑って、またコーヒーを飲む。今度は眉間にシワは寄っていなかった。