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紅ショウガと虐殺器官

 ショウガの身は白に近い食べ物なのに、なぜ紅ショウガなのだろうか。


 それはさておき、言葉に限界を求めたがる心というのは、自分の限界を認めたがらない弱気の虫だと最近になってよく思う。

 この世の中は言葉で語りつくせぬものだと、実によく語りつくされている。


 さて、悪いのは言葉であるのか、あるいは使いこなせぬ己であるのか。

 考えてみたとき、自分の他に責任を求めたほうが心は楽というものだ。

 言葉のほうが足りていない、己のほうは満ち足りている。

 まことに結構な言い分である。

 自尊心に傷つく所のない、まことに結構な言い分である。


 バット、スイカ、頭蓋骨。


 さて、思い浮かんだ映像とは、まことに物騒きわまりないものだと思う。

 これが面白いことに、順序を変えると話も変わる。


 スイカ、頭蓋骨、バット。


 果てさて、どのようなイメージが浮かびあがっただろうか。……あるいは、何のイメージも湧かなかったのではなかろうか。少なくとも、前のものよりはいささか平和なものであったと思う。

 三つの単語とその並び。てにおはの助詞さえも省かれたシンプルな並び一つで、こうも結果が変わるというのに、言葉の全てを知った気になって、言葉では語りつくせぬものがある。など、よくもシレッとした顔で言えたものだ。


 さて、このように思い至った背景がある。

 伊藤計劃、その著作の虐殺器官、その映像化であるアニメを見て、欠伸をこぼした。目の端にこぼれるほどの涙を溜めて、一時間半を過ごした。途中途中に休みを挟んで、トイレに行ったり、散歩などしてみたり、あれこれと苦労しながらの一時間半の時を過ごした。

 うむ、さっぱりわからん。

 話の途中で投げ出すのも失礼だと思い、全てを見終えて、結論を出した。

 うむ、さっぱりわからん。


 仕方なく近所の本屋まで足を運んで、なんぞオシャレな装丁の本を手に取って、会計を済ませ、「カバーはおかけしますか?」と訊ねられたから、「はい、お願いします」と頼み込んだ。

 なんぞのコラボであるのか、若者の文字離れ、若者のコミック接近が進む昨今、オシャレ過ぎて外で読むのに恥ずかしくなる本が、ままある。

 幼女戦記には困ったものだ。

 その、題名からして。

 そういった諸々の厄介を回避しつつ、ようやく伊藤計劃は虐殺器官のページをめくり始めた。

 本屋の二階といったらTSUTAYAであったから、見終わったDVDを返却するのにもちょうど良かった。

 アニメのほうを見るに至った経緯もあるのだけれど、ことの次第をさかのぼり過ぎれば人生録さえ出来上がってしまうだろうから、ここでは黙すことにする。


 それで、虐殺器官のことである。

 なるほど、ふむふむ、映像化が不可能であるわけだ。

 文字の世界には心象描写と情景描写の二種があって、虐殺器官という本ときたら心象描写がやたらに強い。情景描写にあっては、目で見てわかる動き回る絵にこそ軍配はあがるが、人のこころの葛藤ときたら文字のほうが余程に表現に長ける。

 よくまぁ、これの映像化に踏み切ったものだと、その蛮勇に拍手をおくりたくもなった。

 あと、金返せとか、こっそり。


 話のありかとしては、人の罪のありかが強く問われていたけれども、強く関心が惹かれたところは別で、文法のもつ効用により、他者の行動を操ることが出来るか否かという点に、意識の大半は飲み込まれていた。

 可能であると薄々以上に感づいていた。


 ある種の音楽は聴くものを興奮させ、緊張を誘い、リラックスを引き起こし、ときにはエロティックなムードを盛り上げるものだ。

 映画のなかにバックグラウンドミュージックが流れても、誰も気に留めたりはしない。あって当然のものとして受け入れている。無防備にも。無意識の内側に、脳の内側に、音の侵入を許している。

 心のなかに忍び込んだ音楽といったら、人生における劇的な効果は望めないが、映画における劇的な効果は果たしていた。

 音楽が人の心に作用する例であれば、映画の数だけ世の中にはあった。


 そういうわけだから、ブルーハーツを聴いた。

 どういうわけか分からなくても良い。そういうわけなのだ。

 コンビニで、スーパーで、ネットで、CMで、当たり前のように忍び寄る言葉を無自覚のうちに受け取っては、心のほうを操作されているのは、薄々どころか濃厚に感づいていた。

 それがミュージシャンの仕事で、コピーライターの仕事だ。

 キャッチーに人の心を動かせなければ、むしろ困る。世の中が退屈だ。

 ただ、取捨選択は己のほうでさせてくれ。

 そういうわけだから、とりあえずブルーハーツを聴いた。


 歌詞を紙に起こして、サインペンとマーカーを使い、聴きながら浮かんでくる情景と文法上の言葉の配置を照らし合わせて、歌のもつメッセージ性の強さが何処に潜んでいるのかを暴きだそうと試みた。

 なかなかに面白い結果がでた。

 まだ表層の一枚目を剥いだ程度の状況だが、面白い題材ができた。


 銃弾、的、眼球。


 まぁ、ぶっそうな情景が想い浮かんだことだろう。


 眼球、銃弾、的。


 狙いを定めているシーンでも浮かんだのではないだろうか。


 たった三語の、それも助詞すら省いた言葉の並びだというのに、ここまで大きな違いを持つ。むしろ、助詞が省かれたぶん、補おうとする脳の作用がイメージを強めているところすらある。


 バットでスイカ割りでもするように頭蓋骨が砕かれた。

 これを縮めて、


 バット、スイカ、頭蓋骨。


 この三語のほうが想像を引き起こすに易いということさえわかる。


 振り下ろされるバット、スイカ、頭蓋骨。――それが彼女。

 夏だ。蠅は腐肉を好む。白いウジ虫も肉のなかで元気に蠢く季節である。

 締め切られた窓。四畳半。呼吸。蒸した香りが肺と鼻腔に満ちあふれた。


 その気になれば、残酷な描写タグを付けなくとも、読者の頭のなかに自分の好きな絵を描けることに気がついた。気がついたからには、極めたくなるのが人情というものだ。

 まだ、紙に起こしてサインペンとマーカーを用いなければ使えもしない文法構造だが、そのうちに素で使えるようになりたいと思う。こればかりは訓練あるのみだろう。


 それでなんだが、紅ショウガが赤い理由はアントシアニンにある。ショウガの酢漬けは酸と反応して浅黒くなり食欲をそそらない。そこで、紅ショウガは着色料で赤く染めているというわけなのだ。

 最近の野菜高のせいなのか、弁当についてくる漬物が黄色の大根から紅ショウガに代わって、寂しい想いをしたから調べてみたのであった。

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