邂逅
「…でも俺さぁ、やっぱ思うんだよね。イケメンとか可愛さだけを見て付き合う奴らって絶対長続きしないって」
「…お前その話もう何回目だよ…」
放課後、午後4時過ぎ。温かな西陽に照らされ、退廃的な雰囲気漂ういつもの図書準備室で、今日も畑中との対戦がそれなりに盛り上がる。
図書委員の権限をフルに悪用して堂々と対戦パズルゲームに興じるこの時間が、最近の僕の数少ない楽しみ。畑中の話は在校生カップルに対する嫉みが5割くらいだけど、正直僕も共感してしまう部分もあってかどうしても嫌いになれなかった。
「大事な話だから何回だってするんでしょうが!!やっぱあんな見てくれだけを見てその気になるような軽い奴らなんかより、俺のように根は優しく大局を見据える事ができる男にこそ、恋人を得るにふさわしい男だと思うんですよ」
「んでその大局を見据える事が出来る男さんは結局見下してる見た目が可愛い子に好かれたいって本音がまた悲しいね。あ、5連鎖できた」
反論しようと口を開こうとした矢先、今更画面の惨状に気付いた畑中が情けなく一吠えするのを傍目に、僕は窓の外に見える夕日を眺めながら、今朝から感じているある予感めいた感覚の事を思っていた。
今日はその、なんというか、どうも変に頭の様子が冴ていた。内容そのものはさっぱり覚えていないくせに、最後に見た夢の感覚がいつまでも引きずられているような、まどろみのなかにいながらも、目的意識は常にはっきりしているかのような、うまく説明できないけどとにかくいつもと違っていた。
まぁ心当たりがないかと言われればそんなことはなく、昨日無意味に馬鹿みたく夜更かししたのが原因だろう。自分の好きな小説ってこう、一度読み始めてしまうと歯止めが利かせられなくなる。
けどなんというか、それを抜きにして考えても、今日はいつもと少し違うような感じがした。いい予感と悪い予感が同時に来てるような、そのどちらでもないような、とにかく口ではうまく説明できないなんとも不思議な感覚に頭の中が覆われていた。
「・・・よっし、切り替えるわ。今日は一回も勝ってないからな俺。本気のキャラ使わせてもらうわ。俺のサータンでケリをつけてやるわ」
両の手をポキポキと鳴らしながら、ちょびっとだけ瞳孔が開きかけた畑中がやる気満々でゲーム機を握る。その様子にちょっと気圧されながらも、大きなあくびをしてから僕もそれに応じる。
「オッケー、じゃこっちもギア上げていくわ。まだ結構時間もあるわけだし・・・」
「いや君ら、残念ながら今日はタイムリミットとさせてもらうよ」
もう何回戦目かも忘れた頃、そろそろ飲み物が欲しくなってきた位の時に準備室の扉が開いた。少し驚いて二人が音の出るほうへ目を遣ると、この時間帯にしては珍しい人物が、傍若無人にもゲームに興じる自分達を諌めに来た。ぼさぼさの髪を申し分程度に後ろに纏めただけの物腰柔らかな司書さんが、両手を腰に当てながらニコニコと僕たちに近づいてきた。
「司書さーん!まだ完全下校時間過ぎてないじゃないすっかー!仕事ならもうとっくに終わりましたって。もうちょっとだけいいでしょねぇ・・・」
今日は絶不調だった畑中は引くに引けず。たまらず司書さんにがなり気味にお願いするも、司書さんは柔らかな笑顔を崩さず、それでいてはっきりと首を横に振った。
「つまり仕事の追加ってやつだね。新刊が入ったので畑中君はちょっと私と一緒に来て欲しいんです」
「俺だけぇ!?」
畑中は無念と承服しかねる様子を最大限に表情に出すも司書さんは変わらず続ける。
「そう君だけとりあえずここにある書類を全部職員室の私の机に置いといてほしいのです。まぁ不真面目の罰だと思っていただければ光栄かなぁ」
これ以上抗議しようと思えば出来たかもしれないが、今の自分たちの現状を改めて指摘されると確かに後ろめたさもあったので、ゲームの電源を落とし、畑中はしぶしぶ司書さんに言われた書類を職員室に足取りも重く運び出していった。
その様子を見送った司書さんは満足したように数回頷くと、今度は視線を僕に向け話を切り出した。
「それで速水君にお願いしたい事はねぇ…今週の校外近隣清掃の当番ってどこの委員か、知ってるかな?」
げっ、と内心に苦い思いを抱き、まぁ恐らく表情にも現れてはいたと思うけど。長くかかるであろう作業、重いものを持つであろう作業、そんなのを報酬無しでやれって言われて果たして嫌な顔をしない人間はいるだろうか。
…まぁもっとも、これは司書さん曰く不真面目の罰だと言うのだから、仕方がないと言えばそうなのかも知れないけど。
「まさか…今日の近隣清掃僕一人でやらないといけないって事ですか?」
1日最低でも2、3人でやるこの作業を、罰とはいえ1人に任せるのはあんまりだ。その未来だけはなんとか回避したかったので、申し訳なさそうにおずおずと聞くと、司書さんは尚も笑顔を崩さぬまま再度首を横に振った。
「さすがに私もそこまで鬼じゃないさ。君にはボディーガード兼で、彼女と5時半まで掃除をしてもらうよ」
すると司書さんの右隣からひょっこり顔を出したのは、僕と同じく図書委員の篠崎さんだった。見ると二人ぶんのトングと軍手、ごみ袋を既に両手に持っていた。彼女とはクラスも一緒で何回か話した事もあるので、清掃が退屈な時間にならない事を心から安堵した。
「えっと、もしかして彼女も罰でなんですか?」
なんとなくそんな気がして司書さんに尋ねてみると、司書さんはクスクスと笑い、篠崎さんもばつが悪そうに苦笑いしていた。
「ご明察。篠崎さんはもう3回も委員回サボってるからね。速水君達の所に来る前に私がたまたま捕まえる事ができたから、こうして従事させているって訳だね」
「司書さんごめんなさいってばー。ちゃんと今日は働くからあんまりいじめないでよー」
司書さんは心底楽しそうに朗らかに笑う。つられてこっちも苦笑いしてしまう。
「さぁほら、わかったのならなるべく急いでやっておくれよ。一応は君たちへの罰を兼ねてるんだからね。ほらいったいった」
このまま談笑するのも有りかとは思ったが、また余計な仕事が増えても嫌だからゲーム機をケースに入れてベルトに引っ掛け、篠崎さんと一緒にそそくさと昇降口まで降りて行った。
「いやごめんねー、なんか付き合わせちゃったみたいでさ」
適当にゴミをトングで拾いながら、篠崎さんは申し訳なさそうに笑いながら僕に話しかけてきた。斜陽がまぶしい夕方の通学路は車の通りも少く、二人がカチカチとトングを鳴らす音以外はあまり聞こえない程に辺りの雰囲気は寂れていた。まだ部活も終わっていないだろうから校内から出てくる生徒も少く、隣に話せる知り合いがいたことが殊更にありがたく感じられた。
「いやいいって。僕も毎日仕事ほったらかして遊んでたようなもんだし。篠崎さんが気負うようなことはないよ」
「そうなんだ、まぁ図書の仕事退屈だもんねー。出るだけ真面目だと私は思うよ」
風が少しだけ強く、彼女の栗色の髪を弄ぶ。残暑も徐々に消えていく9月の中頃、やっぱり長いワイシャツにしておけば良かったと、感じる微かな肌寒さを少しだけ後悔した。
「まぁ僕は部活やってないし、授業終わってやることと言ったら、あそこでたむろする位しかないからね。篠崎さんはなんか部活やってるんだっけ」
長いこと帰宅部やってると誰がどの部活に入っているのかという事が全然わからなくなる。僕はあまり多くの人と関わらないから尚更だった。何気なく篠崎さんに聞いてみると、メガネを左手でそっとかけ直し、振り向きながら得意気に彼女は語りだした。
「うん!軽音入ってるんだ。一年目なんだけどバンド組んでるんだよ!」
たまに教室で会話する時も彼女は割と元気な方だったが、今はいつにも増してテンションが高めだった。きらびやかな笑顔もそうだったが何より目の輝きがいつもと違っていた。それほどまでに彼女の部活に対する情熱は深いのだろう。
「へぇ、すごいね。あ、もしかしてそのバンドの練習で図書室に顔出せないとか?」
「そうなの!ってまぁそれを言い訳にしちゃいけないってのはわかんだけどさ…」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、両手をがっしりと合わせて弁明する篠崎さん。今までそこまで興味があるわけでは無かったので特に意識したことは無かったが、今の彼女は中々に可愛らしいと思った。好きな話題の為か、彼女は新品のぬいぐるみを買い与えられた少女のように楽しそうに話す。
「いやー、もうすぐ文化祭じゃん?軽音部って毎年視聴覚室でライブやるんだわ。それで私たちも本番に向けて結構マジで真剣に合わせ練習やってるんだ。それで最近、あんまり委員の仕事に手が回らなかったって感じなんだよねー」
「あっ、そっかぁ。もうすぐ文化祭か…。それなら部活も忙しくなるよなぁ」
うちの高校は後約1ヶ月後に文化祭を控えている。高校一年目にしてはじめての文化祭だというのに、完全に記憶の外にあったことに気が付かされた。その時の僕の顔は、さぞかし間抜けなものになっていただろう。
「うん。だからもし良かったらさ、ライブ見に来てくれない?いつも仲がいい畑中君と一緒にさ」
「えっ!いいのかい!?」
恥ずかしながら僕にはそうしたバンドとかのライブとやらに行ったことがない。そしてこれからも自分には無縁のものだろうと思っていた。だから内心、彼女が誘ってくれた時、嬉しさよりも驚きや戸惑いの感情の方が強かった。
「あはは。もちろんだよ!見に来てくれれば私たちも頑張り甲斐があるってもんだし。それに大体文化祭のライブだから、入場料なんてあるわけないし何時でもこれるわけだしさ。あ、そうだ!ちょっと待ってて…」
そう言うと篠崎さんは手提げの鞄からおもむろにクリアファイルを取り出し、中から1枚のチラシを僕に手渡してきた。学園ライブとでかでかと銘打たれたそのチラシには様々なデザインが施されていて、紙面から爆音が聞こえて来そうなファンキーなチラシだった。
「これっ!このチラシにライブの日程全部載ってるから、予定合わせて見に来る事!約束だよ?」
「お、おぉ…凄いね…」
「ちなみにね、私たちのバンド名は『アトラク=ナクア』っていうんだ!文化祭1日目のお昼過ぎにやるからね!」
言われるがままに僕はチラシを手にした。正直文化祭はどこにもいくあてが無かったから、楽しみが一つ出来たことは素直に嬉しかった。少し強引なような気もしたけど、断るような理由などあるわけも無く、僕は彼女との約束を守る事に決めた。
「うんわかった。絶対行くよ。楽しみにしてる」
「本当に!?ありがとう!速水くんやっさしー!よしっ、これで一層練習のモチベも上がったわ。ホントありがとね!」
彼女の本当に楽しそうな笑顔に、こっちまで顔が綻んでしまう。今日こうして清掃をやらされてるのは確かに不運でしかなかったけど、思いがけない幸運に巡りあえて今は良かったと思ってる。僕は手渡されたチラシを四つ折にして、無くさないようにポケットにしまいこんだ。
その時だった。今日一番の強い風が吹いたのは。篠崎さんはちょうどビニール袋のゴミを拾おうとしたところ、ビニールは強風によってあさっての方向に吹き飛ばされてしまっていた。
「うわやっば!」
「あー…結構飛ばされ…おわっ!」
反射的に彼女はビニールを回収しようと駆け出していった。僕はというとさっきの強風のお陰でポリ袋に入れていたゴミの一部が四散しているのに気付いて、僕も僕で慌てて回収しようと手当たり次第に近くに散らばったゴミを拾い上げていた。
暫くしてから顔を上げると、彼女はもう随分遠くにいた。あそこまで必死になることは無いのにとも思ったけど、それもまた彼女らしいとも思った。
そんな呑気な事を考えている間に、僕のすぐ右を灰色の大きな車が猛スピードで走り抜けていった。なんて危ない運転をするんだと、暫くその車に目を離さないでいると、車は篠崎さんの隣で止まった。何か様子がおかしい。そう違和感を感じた時には
もう全てが手遅れだった。
車の後部座席のスライドドアが突然開く。そして幾つもの腕が篠崎さんを一瞬にして掴み上げ、彼女は悲鳴すら上げる間もなく、ものの数秒で車に引き込まれた。そうしてスライドドアは再び閉ざされ、車は現れた時と同じように猛スピードでその場を去って行った。
もう車は遥か遠くに行ってしまい、肉眼では最早目視出来ない場所にまで行ってしまったはずなのに、車のエンジン音はまだ耳の中に鈍く響いていた。辺りを撫でる風の音が、やけにはっきりと聞こえる。あまりにも突然の事が、今の今目の前で起きた。でも事実を受け入れるだけの度量は、今の僕には無かった。
とんでもない事が起こってしまった。とんでもない事が起こってしまった。
思考が上手く纏まらない。どうしていいかがわからない。呆然と立ち尽くしている今この瞬間にも、彼女は悲惨な目に遭っているかも知れないのに、僕はこれからどうしたらいい?
「警察…」
浮かび上がってきた漠然としたイメージを呟いた僕の声は、酷い渇きに晒され続けたかのように掠れていた。僕じゃどうにか出来る訳がない。通報しなきゃ。震える手でしどろもどろにスマホを取り出そうとしたが、僕に出来たのはそれだけだった。
後頭部に衝撃と激しい痛みが走る。堪らず僕は歩道にくず折れるように突っ伏した。
「…危なかった。先を越されたらどうしようかと思ったよ」
頭上から犯行グループの一員と思しき声が聞こえた。非常に絶望的な状況に立たされると、何故か思考が冴えるような気がした。
僕はなんて馬鹿だったんだろう…。犯行グループは他にもいたんだ。僕達二人はずっと前から狙われていたんだ。校舎を出た瞬間くらいからだろうか?ちゃんと用心してなきゃいけなかったんだ。
「すまないね。少し、強引な手を使わせて貰うよ」
そう言うとその犯行グループの一人は僕の頭上、顔を確認させない位置取りから僕の口元に布のような物を押し当てて来た。それがなんなのかを考える間もなく、僕の意識は暗い闇の中に沈んでいった。
何も考えられず、何も感じられず、なぜ襲われているのか考える間も無く、僕は深く眠らされてしまっていた。