第一話 人生が崩れる音
「杉浦春斗くーん、起きてくださーい」
その日も俺は、幼馴染の声で目覚めた。かれこれもう15年になるだろうか、目覚ましではちっとも起きれなくなってしまったのは彼女の所為なのかもしれない。
「はいはい起きた起きたー」
そう言って俺のかけ布団をはぎ、ぴしぴしと頬を叩いてくる女の名前は内間涼子。腰まで伸びた長い黒髪は彼女のアイデンティティとも言え、今現在寝ている俺の鼻をくすぐってくる厄介なシロモノでもある。
「うあー」とうめき声をあげながら重たい体を起こすと、頬を膨らませた涼子と目があった。
「一体春斗はいつになったら1人で起きられるのかなー」
「いつも自力で起きる直前にお前が来るんだってば」
欠伸をしながら伸びをし、ベッドから降りる。今日も晴天のようで、窓から差し込む光が涼子の顔を照らしていた。
「ありがとな。行くかー」
3月、春休みの現在俺と涼子はそれぞれ一人暮らしを始めていた。勿論学校の寮であり、4月からは同じ高校に通う予定だ。
俺と涼子は朝食にありつくために食堂へと足を進める。
「お、春斗、涼子ちゃん、おはこんばんちわ」
しかし部屋を出た瞬間に隣に住む住人と出くわしてしまった。
「弘人くん…おはこんばんちわ?」
涼子が律儀にアホ挨拶を返しているこの相手は、神永弘人。同い年のザ・男子高校生である。
「そうだ今朝のニュースみた?」
「今朝のニュース?」
「私みたよ。猫50匹飼ってるおじさんでしょ?凄いよねー」
「違う違う。あれだよ、また起こったってやつ。例の爆発事故」
あーそっちかあ、と能天気な声を出している涼子は放っておき、俺は弘人の話に耳を傾ける
「今度は市役所だってよ。やべーよなあ」
「なんなんだろうな、テロか何かかな」
「やめろよーもうすぐ俺の華の高校生活が始まるっていうのによー」
「華かどうかはわからないけどな」
世間話もほどほどに、階段を降り食堂へ向かう。
着いた先には先に食パンをもしゃもしゃと食べている人物がいた。
「春斗、涼子ちゃん、おはよー」
「俺は!?」
過剰にリアクションする弘人を無視してこちらを見ているのは足利蓮。彼もまたこの春から同じ高校に通うことになる人物である。
「あ、今朝のニュースみた!?猫50匹飼ってるおじさんのやつ!」
「みたみた〜!」
椅子から立ち上がり興奮した状態で涼子と話す蓮。立つと蓮より涼子の方が身長は高いが、これは涼子の背が高いのではなく蓮の背が低いのである。
いわゆる可愛い系男子だ、こういうのが高校でモテるのだろうなあと思っていると弘人も蓮の事をジトーッとした目で見ていた。おそらく考えている事は同じだろう。
それから朝食を終えた俺は、「散歩しようよ」という涼子の一声により外へ出た。弘人と蓮は部屋でゲームをして遊ぶからあとで部屋に来てとの事。
「どうしたんだよ、散歩なんて珍しい」
目の前を歩く涼子の黒髪は風にふかれてなびいている。あんなに長いと邪魔になったりしないのだろうか、そんな事を考えていると振り返った涼子と目があう。
「あのね、春斗に相談があるの」
「相談」
「変な事だとは思ってるんだけど…笑わないでよ?」
「うん」
「絶対の絶対だからね、笑ったら八つ裂きにするからね」
八つ裂きは勘弁である。
「あのね」と言ってから次の言葉を中々続けない涼子を俺は辛抱強く待った。
3月にしては少し暑いくらいの日差しを浴びながら俺と涼子は寮から少し離れた河原沿いの道で向き合って立っていた。
そして内間涼子は、漸くその重たい口を開いてこう言った。
「私、おかしくなっちゃったの」
今思えば、この時もっと事態を深刻に受け止めていればあんな事にはなっていなかったのかしれない。勿論、叶わぬ望みであることはわかってはいるのだが。
その時の俺はあまりにも無知すぎた、だからこそ彼女の告白も真剣に受け止めてやる事が出来なかったのだ。
「おかしくなった人はおかしくなっちゃったなんて言わないと思います」
「もう、真面目に聞いてよ。ちょっとスマホかして」
渋々差し出したスマホを俺の手からむしり取った涼子は、チラリとこちらの様子を伺う。
「なんだよ」
「口挟まないでね」
どういう意味だと問うよりもはやく、涼子はスマホを持った手を大きく振りかぶったかと思うとあろうことかそのまま地面に叩きつけた。下はコンクリート、ひび割れどこかしらが欠けたのだろう、破片が散る。
「おまっ!俺のスマホが」
「待って!」
「いやだって」
「いいから!!」
涼子がここまで真剣な表情をするのは珍しい。俺は彼女の勢いに気圧され、行く末を見守ることにした。ヒビの入った俺のスマホを拾うと、涼子は「見ててよ」と言いながらバキバキになった画面を俺に見せつけてきた。流石にスマホをおじゃんにされたのだ、少し泣きそうな俺の顔が画面に反射して映っている。
「いくよ」
そう言って涼子はスマホをこちらに向けたまま、目を閉じ眉間にシワを寄せた。ハンドパワーでもやるつもりなのだろうか。
そう思ってスマホを見ていると。
…パキ、と。
画面の大きなヒビが少しずつ小さくなっていく、見間違いかと思ったがそのまま画面のヒビはみるみる小さくなっていき最後には傷一つない俺のスマホに戻っていた。
「なに、これ」
ふぅっ、と一息ついた涼子は呆然とする俺を見て得意げにニカッと笑ってこう言った。
「ね?凄いでしょ」
■ □ ■
「それで、いつからなんだよ」
「わかんないけど、私のスマホの画面ってひび割れてたでしょ?なのに昨日持った瞬間ひびがどんどん消えてって。びっくりして落としちゃったよ」
そう言って割れたスマホを見せてくる涼子。
どうやらマジックなんかではなく、本当にヒビを直してしまえるらしく、再びスマホが綺麗になっていく様を見せつけられる。
「ねえどうしよう春斗、私おかしくなっちゃったよ」
「ったく変なこと言うんじゃねえよ…とりあえず、色々試してみよう、お前になにが起こってるのか把握するために」
「うん」
不安気な幼馴染を少しでも安心させるべく、極力自分は動揺していないフリをする。勿論心中穏やかではない、もしかしたら幼馴染が超能力少女か何かになっているのかもしれないのだ、驚かない方が無理な話である。
「スマホ以外は何か試したか?」
「ううん、まだ」
「じゃあこれ、目覚まし時計」
俺の部屋はベッドと勉強机があるだけの簡素なものである。その中でもひときわ地味さを際立たせているありふれたアナログ式の目覚まし時計を手に取り、涼子に渡す。
「…え、なに」
「床に叩きつけて」
「私を野蛮人か何かだと思ってない…?」
「わかったよ」
確かに床に叩きつけて破片が飛んでくるのも恐ろしいので、俺は時計のベルを叩く部分をグニャリと曲げた。
「ほら、試してみろよ」
「……うん」
部屋を緊張感が包む。もしも内間涼子に不思議な力が宿ったのだとしたら、曲がった金属は元通り真っ直ぐになるはずである。涼子は右手を目覚まし時計へと伸ばす。
「ふんっ」
そして。
「も、戻った…」
グニャリと鋭角に曲げたはずのモノは何事も無かったかのように戻っていった。それが当然の事であるかのように。
「超能力、か。色々試してみよう」
興奮する涼子を宥めつつ、俺たちはその後も色々なことを試した。
破ったベッドのシーツ、穴を開けたお菓子の袋、様々な物を壊しては涼子の“チカラ”で直していった。
「なんか、疲れてきた、よ」
「体力を使う、と」
「なんか、冷静だね、春斗」
「別に。ちょっとワクワクしてるだけだよ」
「男の子だね」
力なく笑ってベッドに体を預ける涼子。ってちょっと待て。
「自分の部屋で寝てこい」
「えー」とふて腐れる彼女を無理やりベッドから引き剥がし部屋から追い出す。ドアをどんどん叩き「入れてよ〜」という様は悪霊か何かのようである。
「今日はもう寝ろって。また明日色々確認しよう」
「うーん、わかった」
なんだかんだ物分かりは良いので助かる。ここで地縛霊のごとくドアの前に立ち続けていれば俺のベッドは彼女に奪われていたことだろう。
俺は空いたベッドに横たわりながらぼんやりと天井を見つめる。
不思議な力なんて存在しないと思ってた、夢や想像の世界だけに許されたものだと、そう、思っていたのに。
幼馴染に超能力が宿るとは、神様も面白いことをしてくるものだ。
自分にも超能力が宿ればいいのに、そんな事を思いながら俺は目を閉じ睡魔に身を委ねた。今思えば馬鹿な奴だ、本当に。
あの時の俺は、涼子があんな事になるなんて少しも予想していなかったんだ。
■ □ ■
次の日、俺はノックの音で目が覚めた。ドンドンドン、と少し強めの音。こんな乱暴な叩き方をする知り合いがいた覚えはないので、俺は再び布団をかぶりうずくまる。
しかしノックが止むことはなく、眠らせてたまるかと言わんばかりにドンドンとなり続けている。俺の部屋のドアは楽器じゃないってのに。
「ったくうるさいなあ」
仕方なく上半身を起こしたところでピタリ、と音が止んだ。タイミングの悪い来客である。起きてしまったものはしょうがないのでベッドから降り立ち上がろうとした瞬間だった。
聞いたことがないような轟音が耳を貫いた。それだけではない、外の廊下から光が差し込んでいた、つまりは、ドアが壊された。誰に、何で、どうして――
考えている暇がないことはすぐにわかった。誰かが、来る。
俺は自分でも驚くほどに俊敏にベッドの下に無理やり体をねじ込んだ。自分の体型に感謝するのもつかの間、来訪者はその姿を現した。
「イナイ?キイテイタハナシト、チガウ」
呼吸を最小限まで抑える。常人のそれとは思えないほどの大きな足が眼前に現れ、思わず出そうになる声を気力でねじ伏せる。何者かはわからないが、危険な人物であることに間違いない。とにかく、今は、存在を消すことに集中しろ。
「ンン、ムダダッタナア」
「それはどうでしょうね」
(……新手!?)
姿は見えないが男の声が聞こえた。いや、少年か。
「オヤア?」
「話してわかるとは思っていませんよ、即決でいかせていただきます」
少年の言葉が終わった瞬間、ダンッと床を蹴る音。ベッドの下に身を潜めている俺には何が起こっているかわからないが、どうやら少年と謎の男は戦いを始めたらしい。人の部屋で暴れないでくれ、と思えるあたり俺は落ち着いているのかいないのか。
「オマエ、メンドクサイネ」
「褒め言葉として受け取っておきますねっ」
「ココハ、ニゲル、カ」
瞬間、俺の顔に風が来るほどの勢いで、謎の男は足を踏み込み1歩でた。しかし大きな足から繰り出される1歩はとてつもない大きさのようで、風に目を瞑ったその一瞬で大きな足は俺の視界の外へと消えてしまっていた。
「大きい割りに逃げ足がはやい…」
少年の口ぶりからも、男がこの部屋から出て行ったことが伺える。出来れば君もはやく出ていってほしいんだけど、という俺のささやかな願いは少年の一言で潰える。
「あの、もう大丈夫なので出てきてください」
きっとお仲間でもいるのだろう、俺のことじゃないはず。
「あ、ここにいた」
「…どうも」
ベッドの下を覗き込んだ少年にあっけなく見つかる俺。そのままのそのそと這い出る。
「無事でよかった」
そう微笑む少年に少しばかり緊張が緩む。今更ながら自分の背中が汗でびしょびしょになっていることに気づく。そりゃまあ、あんな非現実なことが起きればそうなる、よな。ゆっくりと呼吸を吐いていたそのときだった、視界の端に捕らえた異物により俺は再び体が萎縮して動けなくなる。
その少年は右手に剣を握っていた。銀色にきらめくその長剣は俺の部屋に存在するのが嘘のように思え、俺はCGなんじゃないかと目をこする。
しかしその長剣はまぎれもなく本物だった。
「ああ、すいません。仕舞いますね」
言葉の意味を問う必要はなかった。文字通り少年は剣を仕舞った。
それは鞘にではない。
剣は、ひとりでに、消えた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。僕は貴方と同じ、能力者ですよ」
その日俺は。
自分の人生が崩れていく、音を聞いたような気がした。