『暗中』作・涼影響也
もはや麗奈は麗奈でなくなっていた。目を血走らせてつぶやく形相はまるで悪霊に憑りつかれたようだ。
僕は何も考えることもできずに茫然と妹を眺めていた。現実なのか夢を見ているのかですら定かではなかった。
麗奈のつぶやきが闇をこだまし、空気を駆ける。
肌を撫でるように響き渡る声に気味の悪さを感じ始めた瞬間、今まで気づいていなかったこの状況への恐怖と麗奈への嫌悪感が心を支配した。
この場から一刻も早く逃げたい。こんな風になってしまった麗奈が気持ち悪い。早く安全な場所へ。早く。誰か。お母さん。助けて。助けて。
―――はっとして胸が苦しくなる。自分の妹を拒絶してしまった。自分のことばかり考えて麗奈のことなんて微塵も考えていなかった。
自己嫌悪に襲われる。でも、今はそんなことをしている場合なのか?いや、そんなわけない。ここで自分がすべきことは……。
恐怖で体を震わせながらもゆっくりと深呼吸をして思考を落ち着かせる。少しでも恐怖がなくなるようにと無理やりだが笑っているような顔を作った。
少し落ち着いて麗奈を見ると麗奈も怖くて仕方がないように見えた。さっき嫌悪感を持ってしまったのが本当に申し訳ない。でも、もう大丈夫。絶対に助ける。
ふー。と小さく息を吐く。不意に心臓の脈動を強く感じ、心が折れそうになるが必死に耐える。
麗奈をどのくらい動かせるかを確認する。腕を曲げたり、首を揺らしたりはできるようだ。ただ、歩こうとしない。移動するなら背負っていくしかないだろう。背負うなら麦わら帽子と虫よけスプレーは邪魔になるから置いていこう。後でお母さんに怒られるかもしれないけど仕方ない。カブトムシはどうしようか。普通なら置いていくところだがせっかく捕ったのにと考えると名残惜しい。
悩んだ結果、一匹だけ連れていくことにした。つぶやき続ける麗奈を背負ったまま闇の中を歩くのは一人だと心細い。カブトムシといえど仲間になったと考えるだけでかなり心が軽くなる。
惜しみながらも捕まえたカブトムシを離してやる。一匹、また一匹と離してやるとその毎に闇の中へ消えていった。あっという間に一匹を残して飛んで行ってしまった。
カブトムシたちはどこへ行ったのだろうか。このおかしな状況から抜け出せたのか。僕たちは助かるのか。
麗奈を見ると変わらずつぶやき続けている。今はもう麗奈が気持ち悪くない。やっぱり麗奈は怖がっているんだ。
よしっ。と心の中で言って自分を奮い立たせる。ここは所詮僕の家の裏なんだ。知っている場所から帰れないわけがない。
僕は思いっきり先の見えない闇を睨み付けてやった。