三十夜の月
私の村ではある『伝承』がある。所謂、『噂』とか、『迷信』だとか、そういう類のものであって、決して大仰なものではない。
村で、最長老の祖母から小さい頃に聞いた話だ。
「ある年の、ある月に、十五夜の満月が二回、出るときがあるのさ。それを見た子供は、神隠しにあっちまうんだ」
そう、祖母は恐ろし気に私に話したのを覚えている。当然その頃、私は幼かったので、意味がわからないなりに、怖い、と思ったのも覚えているが、それから今の今まで、この話にあったことを見たことはない。
その伝承を私に伝え、直に祖母は亡くなってしまった。
この話を知っている者はおそらく、私くらいのものだろう。もしかしたら祖母が目が悪くて、満月に見えただけかもしれないし、本当にあったのかもしれない。かといって、私がこれを、誰かに積極的に伝えようだとか、受け継ぐべきだとか、そうは思わない。大体話が嘘くさいのだ。だから精々、友人との席で、私の村でこんな怖い話があるんだよ、と面白く話す程度だろう。
もちろん私はこの伝承を信じていない。
神隠しだなんて、あるものか。
そう考えていた。
ある時、私が居間でのんびりとしていると、歳の離れた弟がこう言った。
「お姉ちゃん。月がまあるいよ」
だから私は、縁側に出て空を見上げた。確かに、今日は満月だった。
「綺麗だね」
「うん」
たったそれだけの会話をして、私は趣味に戻ったのだった。
しかしその月の終わり頃、弟がまた、こう言ったのだ。
「お姉ちゃん、今日も月がまんまるだよ」
私は言われて、ふと、空を見上げた。
確かに、満月だった。
私は特別目が悪いわけではなく、夜空の星々もはっきりと見える。だから、月だってはっきりと見えた。
「ほんと、だね」
そう言ったものの、私は少し、いや、大分恐怖に駆られた。祖母の話を思い出したのだ。
ーーー見た子供は、神隠しに。
その時私達二人は、買い物の帰りで外にいた。私はそんなことあるわけない、と心の中で思いながらも、体が震え、怖かった。
「帰ろう。ね?」
空を見上げている弟に、そう言い、震える体を押さえつけて、私達は家に帰った。
無事に家に帰ると、私は緊張の糸がほどけ、倒れこむように眠ったのだった。
それから、どのくらいの時間眠っていたのかわからない。
目を開けると、家の中は暗かった。
誰かがいるはずなのに、人気がなく、気味悪く感じた私は、眠い目をこすって、立ち上がった。
ギシリ、と床板が軋む音が、静かな家に響く。
一歩、一歩と進むたびに、足元から音がして、私は段々、怖くなった。
誰の声もせず、誰の姿も見えず、足音だけが聞こえる。
恐る恐る、居間へ行き、そうっと扉を開けた。
中には、誰もいなかった。
嫌な予感が走り、私は闇雲に家を歩き回り、扉を開け、家族を探し回った。
しかし、誰もいない。
誰も、いない。
私は一体、どこへ迷い込んだのだろう?