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土葬でお願いします

 お爺ちゃんは、定年退職するまでは普通にサラリーマンをやっていた。ところが、仕事を辞めて何もする事がなくなると、どういう切っ掛けだか知らないが、突然に農業をやり始めてしまったのだ。確か、わたしがまだ小学校の低学年の頃だったと思う。

 家は大家族なのだけど、誰一人としてそれに反対をしなかった。お母さんも、お父さんも、姉夫婦も。もちろん、まだ小学生だったわたしが反対するはずもないし、弟の悟なんかはまだ幼過ぎて何の事なのかすらも分かっていなかっただろうと思う。お婆ちゃんに早くに逝かれたお爺ちゃんが、何かしら生きがいを見つけられるのだったなら、それが一番。確かに、老後に農業を始めるというのは、出遅れ感はかなりあるけど、別に上手くいかなくたっていいのだ。年金もあるし家族もいるのだから、生活には何も困らない。

 お爺ちゃんは市営の農地を借りて、そこで有機農業の真似事のようなことをやり始めた。初めの数年は失敗も多くあったが、やがては手探りで何とか上手くいくコツのようなものを掴んだのか、それなりに様になり、収穫量も増えたし品質も良くなった。わたしも時々、作業を手伝ったりしていたけど、少しずつ仕事量は減っていったように思う。きっと、やり方が分かっていったからだ。それに、身内贔屓をする訳じゃないけど、お爺ちゃんの作るお野菜は、確かに美味しかった。お爺ちゃんに拠れば、作物と時期とを間違えなければ、有機農業はそれほど困難なものではないのだそうだ。

 例えば、小松菜とか、ほうれん草とか、水菜とかを、冬の終わりから春先にかけて育てる感じなら、除草剤も殺虫剤もかけないで、案外楽に育てられるそうで、その他にも、ネギには害虫がつき難いからやり易いそうだし、元来が優秀な農法の水田でだって可能だとか。

 お爺ちゃんは農業に慣れ始めると、その規模を少しずつ大きくしていった。何だか、本格的になっていっている感じ。もうご隠居の趣味の農業なんてレベルじゃない。プロの農家と趣味の間くらいだろうか。

 お爺ちゃんはその頃になると、こんな事を言い始めていた。

 「最近になって分かって来たのよ。有機農業をもっと普及させたいのなら、社会全体の在り方を、有機農業に向けたものに変えていかなくちゃならないって事が。

 化学肥料や農薬を使うのが前提の、今の農業の社会環境に、無理矢理に有機農業を持っていけば、そりゃ失敗するのも当然な訳よ」

 お爺ちゃんは元はサラリーマンだから、有機農業がビジネスとして成立する事に、より敏感だったのかもしれない。そして、一般の人達に向けて、啓蒙活動というか、それに近い事をやり始めてしまったのだった。

 生ごみや糞のリサイクルで堆肥を作り、その堆肥を利用した農作物の生産、販売、そしてまたリサイクル… この流れを意識して創り出す事こそが重要で、この過程でコストカットや他の収益の可能性を考え、無理なく経済として成立する有機農業を中心とした循環型社会を目指す。

 生ごみや糞のリサイクルを行えば、当然、ゴミや廃棄物処理の為にかかる費用が浮く事になる訳だし、そこで発生するメタンガスやバイオエタノール等の副産物は、利益の足しになる。そういったものを活用する体制を創り出せれば、通貨経済の上でも循環型の社会は必ず実現できる、というのがお爺ちゃんの主張だった。

 ここまで来ると、流石に家族の皆は、多少はお爺ちゃんを止めたかった様子だけど、表立って文句を言いはしなかった。ただ、それでなのか、積極的にお爺ちゃんを助けるようなこともしなかった。お爺ちゃんもそんな家族の気持ちを分かっていたのか、弟の悟とわたし以外には、家族に対してはこの話をあまりしなかった。

 まだ小学生の悟は、分かっているのかいないのか、お爺ちゃんの農作業を喜んで手伝っていたし、お爺ちゃんの作ったお野菜も美味しいと言って食べていた。お爺ちゃんのお野菜は、あまり苦くなくて、少し甘味があるものだから、悟でも好きになったらしい。

 お爺ちゃんは、アミノ酸がどうとか、硝酸塩がどうとか言っていたけど、わたしにはよく分からなかった。要は肥料を工夫しているという話らしいのだけど。

 家族の理解が得られない事について、お爺ちゃんは少なからず残念そうにしていた。いや、寂しそうにしていたのか。無理もないよと思いながらも、ちょっとだけ、わたしはお爺ちゃんを可哀想だと思った。

 ただ、どうして、そんなに循環型の社会にしなくちゃならないのか、そもそもそれが、わたしにはよく分からないから、お爺ちゃんの話を聞いても、単なる綺麗事のようにしか思えなかったのだけど。


 ――と。

 物語の途中ですが、ここで少し解説をさせてもらいます。

 この物語のお爺ちゃんは、どうやら不器用な人なのか、循環型社会のその必要性を伝える事ができなかったようですが、これから先、近い将来に迎えるだろう“資源枯渇の時代”を考えるのなら、その実現は急務と言わざるを得ません。

 もし、仮にあなたが「苦しみながら死んでいきたい」、と考えているのならば、その限りにあらずですが、そんな人は極稀でしょう。

 有機農業とか、リサイクルとかいう話を聞くと、単なる綺麗事だと思う人が、大勢いるようですが、資源が枯渇するのを考えるのなら、ゴミからの資源再利用を実現しないという選択肢は存在しません。

 (そもそも資源が枯渇すれば、リサイクルだって充分、利益を生むビジネスとして成立するようになります。実際、少しずつそれは起こってもいますが)

 当たり前ですが、そもそも、資源がないので、ゴミから得るより他はないからですね。今回は農業の話なので、特に農業に的を絞って話を進めますが、窒素、リン酸、カリウムといって、これらが普通、肥料の三大要素と言われるものです。

 実はこの三つともが、資源枯渇による供給不安を抱えています。リンとカリウムは、鉱物資源から得ており、日本はそのほとんどを輸入に頼っています。特にリンは深刻で、だからこそアメリカは既にリンの輸出を制限する処置をしています。鉱物資源だからこそ枯渇してしまうのですが、今後、世界の人口増による食糧不足に伴って、リンやカリウムを得難くなっていくだろう事はほぼ確実だろうと考えられます。

 日本だけの問題ではないので、日本を特に強調し過ぎるのもどうかとは思いますが、敢えて説明を追加するのなら、日本の現在(2012年8月)の主なリンの輸入先は中国で、もし政治問題が発生してリンを得られなくなれば、日本は食糧生産難に陥るだろう懸念すらあります。また、仮に政治問題が発生しなくても、人口増かつ経済成長が起こり続ければ、やがては自国の食料確保の為に、リンの輸出を中国が止めるのは充分に考えられます。

 つまり、日本には、ほぼ間違いなくピンチが待ち受けているのです。

 資源量自体は豊富な窒素に関しても不安要因があります。現在、窒素は原油からその多くを得ていますが、原油も資源枯渇が心配されていますし、エネルギー資源の枯渇でコストが上がっていけば、工業的に窒素化学肥料を作るのにも無理が出てきます(再生可能エネルギーが、充分に普及すれば、その限りにあらずですが)。

 もし仮に、循環型の社会が実現できるのならば、これらの問題を緩和、或いは解決する事ができます(生ごみや家畜の堆肥だけでなく、下水の整備により、人の屎尿の再利用まで可能になれば、恐らく、ほぼ解決すると思われます)。

 人々が飢えるような事態に陥る前に、生ゴミ糞尿等を完全に堆肥化する技術及びに、社会体制を作り上げるべきでしょう。

 日本という国は、後手が好きみたいですが、こればかりは後手に回す訳にはいきません。循環型社会を実現する必要があるのです。


 ある時、お爺ちゃんが、大病を患って入院してしまった。

 今までに元気に農作業をし続けていたのに、と皆はとても心配していたけど、なんとか無事に退院できた。しかし、その頃に、ちょっと困った事をお爺ちゃんは言い始めてしまったのだった。

 「土葬でお願いします」

 病気で弱気になってしまったお爺ちゃんは、突然に、自分の埋葬方法は、土葬が良いと言い始めたのだ。これは生物は土に返るべき、というお爺ちゃんの美学というか、思想のようなものが根底にあるらしい。しかも、それは、ちゃんと遺体が土に綺麗に分解される方法… つまりは自分が植物達の肥料になる事を望むようなものだった。それを聞いて、流石に家族の皆は反対した。もっとも悟だけはお爺ちゃんの味方だったようだけど。

 土葬は国の法律上では火葬と同等に扱われているらしいけど、自治体の条例では禁止されているケースもあるし、その他でも土葬用墓地の使用を許可しないなどの方法で、多くは内規よって実質的に禁止されているのが日本の現状らしい。つまり、今の日本で土葬はほぼ不可能なのだ。ただ、仮にそれが可能だったとしても、家族の皆は反対したのじゃないかと思うけど。

 それからのお爺ちゃんは、家族からも反対されて、すっかり意固地になってしまったようだった。それでなのか(もしかしたら、そんな事は関係なかったのかもしれないけど)、家族が止めるのも聞かずに、体力が弱ってからも農作業に精を出し続けた。そして、ある真夏の炎天下の日、いつもはそんな時に畑に出たりなんかしないのに、何故かお爺ちゃんは畑で作業をしていて、気を失って倒れてしまったのだ。

 そのままお爺ちゃんの意識は回復せず、病院に運ばれてからわずか数時間で息を引き取ってしまった。不思議と安らかな顔だった。それで、お爺ちゃんはもしかしたら、これを知っていたからこそ、畑に出ていたのかもしれない、なんて話すらも出た。大好きな畑で、お爺ちゃんは生涯を終えたかったのじゃないか、というそんな理屈だ。

 ただ、それは今にして思えば、こっち側の都合の良い解釈だったのかもしれない。……お爺ちゃんは、ちっとも成仏なんかしていなかったのだ。


 生前のお爺ちゃんの願いだとはいえ、流石にお爺ちゃんを土葬にしようと言い出す人は一人もいなかった。そして、普通に火葬前提で葬式の準備が始められて、しばらくが経った頃だ。ちょっとした騒ぎが起こった。

 ――お爺ちゃんの遺体が消えてしまったのだ。

 棺に納められて、家の中に安置されていたお爺ちゃんの遺体が、いつの間にか消えてしまったらしいのだ。しかも外から人が入ったような形跡はなく、そして、他の物は一切なくなっていなかった。

 もちろん、家族も呼び出されたお巡りさんも首を傾げていた。

 遺体を盗む泥棒なんて聞いた事がない。

 しばらくが経つと、お巡りさんが庭で誰かの足跡を見つけた。素足で、大きさはお爺ちゃんと同じくらい。しかも、庭から出て行く方向のものだけで、家に入る足跡は見つけられなかった。そして、家族の誰にも、素足で庭から外に出た記憶なんてなかった。

 「どういう事かしら? 靴を履いて来た泥棒が、家の中で靴を脱いで、素足で帰っていたって事?

 家の中の何処にも知らない人の靴なんてないけどね」

 と、お母さんがそう言うと、お父さんがそれにこう返した。

 「そんな、どこかの推理小説じゃあるまいし。それなら、父の遺体が蘇って、庭から逃げ出したって考える方がよっぽどすっきりするよ」

 それを聞いて、家族の皆は「ワハハハ」と笑った(何気にのん気だ)。が、そのタイミングで、電話がかかってきたのだった。それは市役所からのもので、何でも、家のお爺ちゃんを自称している人が、「土葬でお願いします」と、自分の埋葬方法を土葬にしてくれと頼みに来たのだとか。しかも、土下座したまま動かないらしい。

 家族の皆は顔を見合わせた。


 家族会議の為、家族一同がそこには集まっていた。隣の部屋には、空になった棺が置かれている。そこは、いつも皆でご飯を食べる居間だ。家族が全員座れるような場所は、そこしかなかったのだ。

 「まず、状況整理から」

 と、お父さんが口を開いた。

 「第一に、父は生前、土葬を願っていた。これは確かだ。全員それは、知っているよな? 第二に、その父の遺体が消えてしまった。これも疑いようがない。そして、庭には父と同じくらいのサイズの足跡が残されている。第三に、今日の昼間、市役所にまるで死体のように思える容貌の高齢の男性が訪れ、父だと名乗り、更に土葬にしてくれと懇願した…」

 昼間。明らかに普通じゃない様子の、青白い顔の老人が、お爺ちゃんの名を名乗り、市役所を訪れたのだそうだ。しかも、経帷子を着ていて、冗談とは思えない真剣な様子だったとか。それですっかり市役所の職員の方々は怯えてしまったらしい。

 老人は、「家族は分かってくれん。この老人の最期の願いを適えてくれないんだ。だから、こうして自ら頼みに来た」と、そう言ったのだそうだ。

 「“分かってくれん”と、言われてもね。こっちの立場も考えて欲しい」

 そう言って頭を抱えたのは、お父さんの姉夫婦の旦那さん(つまりは、わたしから観れば、伯父さん)だった。それを聞いて、姉夫婦の奥さん(つまりは、伯母さん)は、「ちょっと待って、まだ本当に父だと決まった訳じゃないでしょう」と、そう返す。

 「確かに、手の込んだ悪戯だって考えた方が、まだ現実的よね」

 そう言ったのはお母さん。お父さんは、「確かにそう思いたいが、しかし、市役所での目撃者の証言もあるしな…」と、そう応えた。

 市役所で、偶然にも、お爺ちゃんを知っている人が通りかかって、その姿を見ているのだそうだ。その人に拠れば、その謎の老人は、どう見ても家のお爺ちゃんにしか思えなかったのだとか。

 因みに、お爺ちゃんは、その後、市役所の人が警察と病院に一度に電話をかけると、それを察したのか、ちょっと目を離した隙に逃げてしまったらしい。

 「ま、何にせよ、早く見つけ出さないと、何も始まらないわよ」

 と、言ったのは、伯母さんだった。

 わたしはその家族会議の間、ほとんど口を開かなかった。何を言えば良いのか分からなかったから。ただ、何となく、お爺ちゃんが可哀想に思えて、お爺ちゃんが死んでいるにしろ、生きているにしろ、もう一度話せるのなら話してみたいな、とそんな事を考えていただけだ。弟の悟なんかは、その会議に参加すらしていなかった。お爺ちゃんが蘇ったという話を聞いて、外に捜しに出かけてしまったのだ。悟にならお爺ちゃんは警戒をせずに姿を現すだろうと、他の家族はどうやらそう考えているらしく、それを放置していた。

 「ま、それで、そんなこんなも含めて、助言をいただこうと思って、人を呼んでいる。杉村さん、そろそろ、入って来てください」

 突然、お父さんがそう言って呼んだのは、近所に住んでいる杉村さんという三十代くらいのおじさんだった。この人は、妖怪とか霊とか民俗学方面のそういう話に詳しいらしく、今後、この事態にわたし達家族がどう当たれば良いのかをアドバイスしてもらおうと、お父さんがこの場に呼んだのだった。

 紹介を受けて、杉村さんは困ったような顔で笑いながら入って来た

 「いや、あの、みなさん、こんばんは。杉村です。ただ、折角呼んでもらって悪いのですが、何をどう助言すれば良いのか…」

 それは確かにそうだろうと思う。

 「いえいえ、どうか、そんなに緊張せず。助言にならなくても良いので、杉村さんが思ったことを率直に語っていただければ、それで結構です」

 そう言ったのはお母さん。

 そう言われて、「はぁ」と杉村さんは返す。そして、「まぁ、それで良いのなら」と、語り始めた。

 「まず、僕が思ったのは、日本では非常に珍しい事例だということです。

 遺体がさらわれるというのなら、火車とか、魍魎とかがありますが、遺体が動き出す話は、それほど多くありません。ない訳じゃないですけどね。死人憑きとか」

 日本ではも何も、こんな事、世界の何処でだって起こった事はないと思う。わたしはそう思ったけど、何も言わなかった。が、家族の皆もどうやらそう思っていたらしく、そんなようなツッコミにも似た視線と表情とを浮かべていた。その家族皆の視線を受けて、杉村さんは慌ててこう言う。

 「いや、あの、僕が言いたいのは、民間伝承とかそういう意味でなんですけどね。世界的に観ると、死体と亡者とを深く関係させて捉えるのは決して珍しくはない。ミイラなんてものがありますが、あれは死後の魂と死体との関係性を重要だと考えているからこそ、処理されるものですしね」

 それを聞いて、わたしはこう質問した。

 「でも、ミイラって、死後の蘇りがどうのってやつでしょう? 今回のお爺ちゃんは、どちらかと言うと、ゾンビみたいなものだから、違うと思うのですけど」

 それを聞くと、杉村さんは「いい質問です」と、指を立ててそう返した。なんか、口調が自然になってきているように思える。慣れて来て、調子が出始めたのかもしれない。

 「確かに、一般的な解釈では、ミイラは蘇る為に肉体を残す為のものとされていますが、別の解釈もありましてね。

 ミイラにする為の処理とは、死後、死者が暴れ出さないように施すという意味もあるのじゃないかと考えている人もいるのですよ。放っておくと死者は、生者の世界に悪さをする。それを防ぐ為に、力を奪うのですね。言うなれば、“死体を殺す”処置だ」

 「死体を殺す?」

 それを訊いたのは、伯父さんだった。

 「ええ。有名どころでは、バンパイアでしょうか? バンパイアは、実は亡者の一例なのですが、彼らは杭などで死体を殺される事によって滅ぼされる。つまり、死体と不可分なのです。因みに西洋の民間伝承では、幽霊… つまり、ゴーストとバンパイアの境界線は、実は非常に曖昧でしてね。場合によっては、ほとんど混同されているような事も少なくない。

 あ、一応断っておくと、これは民間伝承でのお話ですよ。近年の、エンターテイメントの中では、明確に区別されていますよね。ご存知の通り」

 その説明を聞いて、お父さんが言った。

 「えっと、杉村さん。それはつまり、肉体を持った亡者は珍しくない、というようなお話なのですかね?」

 それに、杉村さんは「そうです。そうです。その通りです」と、そう返した。

 「ホラー映画で定番のゾンビだって、実はそういった下地の上に創作され、娯楽の定番と化したものだと考えた方が良いでしょうね。ブードゥー教のなんたらとかじゃなくて、その起源は昔からある西洋社会の民間伝承ですよ。純粋に霊としてある亡者って観念は、実は西洋では近年に入って登場したものなんです。

 これは、ただの憶測に過ぎませんが、哲学者デカルトの動物機械説、これにより、精神と肉体とを分離して捉える考え方が生まれ、それが社会に浸透する事によって、肉体なしで存在できる霊というものが、初めて西洋社会には登場したのじゃないでしょうか」

 なんだか嬉しそうに杉村さんは語っていたが、今回のわたし達の話には、まったく関係がありそうにない。しかし、杉村さんは止まらなかった。きっと、こんな話をする機会なんて滅多にないから、喜んでいるのだろう。それを察してか、お父さんやお母さんも止められずにいるようだ。

 「ところが、日本では、“肉体と霊の分離”という概念が早くから生まれていただろうと考えられます。各地に残る伝承や、お化けの話からもそれは窺える。これは、日本は水分に恵まれている所為で、早くに死体が土に分解されるので、自然と“死体”の重要性が低い文化が生まれたとも考えられるでしょうが、元来の日本人の精神性にも根差しているのじゃないかとも思えます」

 そこまでを語ったところで、伯父さんが口を開いた。

 「よく分かりませんが、つまり、今回みたいなのは、従来の日本のケースには当て嵌まらないから、祈祷やお祈りなどの手段は意味がない、とそういう事なんでしょうか? つまり、打つ手はないと」

 多分、伯父さんは、語りを止めにかかったのだと思う。それを聞くと杉村さんは慌てた。

 「いえいえ、そういう訳ではありません。というか、そもそも、社会的背景をベースにして人間に対して働きかけるのでなければ、恐らく、お祈りは効きません。や、これはちょっと話が逸れているな…」

 もう充分に逸れているような気がするけど……、とそれを聞いてわたしは思った。それから杉村さんは続ける。

 「実際に死体が蘇るなんて、僕としても想定外ですが、対策がない訳じゃない。故人の居場所を、まずは見つけたいのでしょう?

 なら、普通に考えて、故人は“土葬にしてもらいたい”という思いを抱えて死に、その願いを適えるべくして蘇ったのだから、今、故人は、自ら土に返るべく行動していると考えてまず間違いないでしょう。土葬と言うよりは、土に返りたい、というのがその本当の願いでしょうから、誰にも見つかりそうにない場所ってのが狙い目ですか。例えば、森の中とか」

 それを聞いて、家族の皆は顔を見合わせた。あまりに常軌を逸した事態で冷静に考えられなくなっていて、何となく、オカルト的な解決方法を考えていたのだけど、確かに杉村さんの言う通りのような気がする。お爺ちゃんは、簡単に言えば、植物の肥料になりたがっていたのだ。それから、お父さんが口を開いた。

 「なるほど。それは気付きませんでした。しかし、それでは捜索範囲が広すぎませんか? 何処をどう探せば良いのやら…」

 それを聞くと、杉村さんは数度頷き、こう言ったのだった。

 「その通りですね。では、ネットで検索してみましょうか」

 「ネットで?」

 そう声を漏らしたのは、伯母さんだった。杉村さんはコクリと頷く。

 「もちろん、もう少し時間は置かないと駄目でしょうが」

 今日の情報化社会においては、インターネットで検索しさえすれば、変わった出来事を簡単に拾う事ができる。本当に、SFの世界が現実になってしまったかのようだ。次の日、杉村さんは、家のパソコンで、“土葬”、“老人”、“土に埋まる”等のいくつかのキーワードで検索をし、それっぽいものを見つけ出してしまった(因みに、昼間の市役所の土葬懇願騒動もヒットしてしまった。ネット上で話題になっている。どうやら、有名になってしまったようだ)。

 それはちょっと意外な内容だった。

 早朝。ある農家の方が、畑仕事をしようと畑に出ると、そこに奇妙なものが生えているのを見つけた。はじめ、誰かが悪戯で朽木を埋めたのだと思ったのだが、よく見てみると木には思えない。目が馴染んでくると、それが人の頭のような気がして来た。

 白髪で頭髪に思えるものがある。肌の色は妙に白いが確かに顔の形をしている。土で汚れていて見え難いが、目に思えるようなものもある気がした。

 しかし、それでもその農家の方は、そこに誰かが埋まっているとは考えなかったのだそうだ。まさか、そんな所に人の顔があるはずがない、と思い込んでいたのだろう。

 しかし、

 「この土はいかん」

 と、そこで突然に“それ”は声を発した。農家の方は、それで驚いてその場で固まってしまった。まさか、と思う。聞き間違いだ、と思う。しかし、それから“それ”は動いた。もりもりと、土から這い出てきた。そして、こんな説教は始めたのだそうだ。

 「こんな土じゃ、ワシが分解されるまでに時間がかかり過ぎるわい。一晩、寝てみてよっく分かった。微生物も少ないし、菌も少ない。それに、分解された後の養分も充分には活かされんだろう。不合格じゃ、不合格。

 あんた、ここの畑の主か?

 素人のワシが言うのもあれだが、もっと土作りを懸命にやらんかい。堆肥をあまり入れておらんだろう? 土に団粒構造がほとんどないぞ。これでは、保水力も養分を蓄える能力も弱過ぎる。化学肥料や農薬に頼り過ぎなんじゃ。ベースは飽くまで有機。それを補うような感じで、化学肥料や農薬に頼るのが土作りの理想だろうが」

 農家の方は、唖然となってしまって動けなかったそうだ。そして、

 「化け物だー!」

 そう叫んで、そのまま逃げてしまったのだとか。お爺ちゃんの身体は、少しずつ朽ちかけていたようなので、それも無理もない話だったのかもしれない。後から戻ってみると、既にお爺ちゃんの姿は消えていたのだそうだ。

 「――何をやっているんだ、お義父さんは!」

 と、そのエピソードを読み終えて、伯父さんが頭を抱えた。それを受けて、杉村さんは言う。

 「確かにこれは予想外ですね。まさか、農地の肥料になろうとしているとは…」

 しかし、それからお母さんがこう続けた。

 「でも、これで的は絞り易くなったわよ。要は農地でしょう? しかも、有機農業をやっている所を目指す可能性が大きい」

 が、それに伯母さんがこう反論する。

 「って言っても、私達にはそんな知識ないわよ? 何処を探すの?」

 杉村さんがそれに続ける。

 「流石に、有機農業の知識は僕にもありません」

 それを聞いて、お父さんは悔しそうにしながらこう言った。

 「ああ、父は僕等には、農業の話をほとんどしなかったからな… こんな事なら、少しくらいは聞いておくんだった…」

 その議論を受けて、わたしは手をゆっくりと上げた。

 「あの… わたし、お爺ちゃんが好きだった堆肥の作り方なら、知っているけど…」

 そして、そう言う。

 家族及びに杉村さんの視線が、わたしに集まった。

 「え?」

 と、皆はそう言った。

 わたしと悟は、お爺ちゃんから農業の話を色々と聞いていたのだ。悟がどれくらい理解しているかは分からないけど、わたしは何となくなら分かっている。

 「お爺ちゃんは、普通に行われている堆肥作りには反対だって言ってた。短時間高温の醗酵で、いい堆肥が作れるはずがないって。堆肥とか土っていうのは、人間で言えば、腸内環境みたいなもんなんだって。だから、人間がヨーグルトとか食べて腸内に良い菌をたくさん繁殖させているのと同じような発想で、じっくりとゆっくりと作っていくのが良いって」

 わたしがそう言うと、お母さんは「うん、そういう具体的な話は良いから、それは何処で作られているの?」と、そう訊いて来た。わたしは記憶を掘り起こしながら答える。

 「えっと… 確か、山の腐葉土をどうとかって…」


 ――と。

 物語の途中ですが、ここでまた解説を挟ませてもらいます。

 堆肥ってな言葉が出てきましたが、皆さん、それがどんなものかをご存知でしょうか? 知らなくても無理はありません。ほとんど農業に関わらずに育ってきたのであれば、知る機会がなくて当然ですから。

 堆肥とは、有機物を微生物によって完全に分解した肥料のことをいいます。有機農業においては、核となる肥料ですね。因みに、“たいひ”と読みます。

 ただし、この堆肥には使用上の注意点があるし、もちろん、メリットデメリットがあります。だから、適切に使わなければ、望む効果を得られないのは当たり前の話で、その所為か誤解も多いのが現状らしいです。

 そこで、軽く堆肥について説明をしたいと思いますが、この説明は主に『「あまった食べ物」が農業を救う PHPサイエンス・ワールド新書』の内容を基に書かせてもらいます。多少は僕の経験談や、その他からの知識も含めますがね。

 まず、菌による堆肥の醗酵(分解)は、以下のようにして進みます。

 タンパク質→アミノ酸→アンモニア→硝酸

 この分解過程のうち、もっとも好ましいのはアミノ酸段階だそうです。アンモニアまで進んでしまうと、土壌がアルカリ性になってしまい、種類にもよりますが、植物が病気になってしまう事も多いからです。しかも、まだ醗酵が未熟なので、農地で醗酵が進んでしまう為に高温を発し、それも植物にダメージを与えます。これを防ぐには、完全に硝酸まで分解するか、施肥した後に空気を入れ、更にしばらく間を置いてから作物を植える必要があります。農地で、堆肥の分解を進めるという発想ですね(土壌がアルカリ性に傾いていたなら、土壌改良をする必要もありますが)。

 本来なら、アミノ酸段階までの醗酵で堆肥の分解を止めておくが好ましい訳ですが、現在の堆肥作りでは、それはほとんど行われていないそうです。

 現在の堆肥作りは、空気と水とを大量に入れ、好気性菌によって分解を行う方法を執っているそうです。こうすると、醗酵によって熱とそれによる大量の湯気が発生し、急速に水分を失いながら分解が行われます。堆肥の生成は速い訳ですが、アミノ酸段階で分解を止めておくような操作は難しくなります。

 実は、これ、僕にも少しだけ手伝った記憶があります。高温になる為、堆肥が乾燥し易く、乾燥すると分解が止まってしまうので、それを防ぐ為に堆肥をかき混ぜながらホースで水を撒くのですが、刺激臭のある湯気にさらされるために、目や喉が痛くなったのを覚えています。皆さんが想像する“醗酵”とは少しばかり違っているのじゃないでしょうか?

 それもそのはず、人間が食物を作る際に利用する醗酵菌は、好気性ではなく、嫌気性菌が普通で、高温はあまり発しません。

 と、ここで、何気なくさらっと登場させてしまった、好気性菌と嫌気性菌について軽く説明しておきます。

 好気性菌というのは、酸素を好む菌で、酸素は高いエネルギーを持つために、その分解エネルギーも高くなるのです。だから、発生する熱も高くなる。それに対し、嫌気性菌は酸素を好まない為に、分解エネルギーはそれほど高くなりません。マイルドに、じっくりと醗酵が進むイメージですね。

 そして実は、この嫌気性菌による堆肥の醗酵ならば、アミノ酸レベルまでで分解を止めておくのに適しているのです。

 例えば、山から腐葉土を取って来てベースとし、糞などの様々な原料を入れ、水をかけ、空気を出して、じっくりとゆっくりと醗酵させた堆肥は、上質な肥料となるのじゃないかと思います。

 硝酸まで醗酵が進んだ肥料を大量に入れると、実は人間の健康を害するような作物が育ってしまうと言われています。残留硝酸塩による健康被害ですね。これは、実は野菜の苦味やえぐ味の原因となり、野菜を不味くさせているのではないかと言われています。硝酸塩過剰の問題は、もちろん化学肥料だろうが、有機肥料だろうが関係なく起こります。

 詳細は割愛しますが、堆肥には遅効性や土壌改良効果というメリットがあるので、良質な堆肥をベースにした土作りを行い、それを補うような形で、即効性の化学肥料や緊急事態対策用の農薬を使っていく事がより好ましいのではないかと思います(土壌に良質な菌が繁殖していれば、それが作物を護ってくれるので、通常は殺菌する為の農薬は必要なくなります。これは、人間の身体の理屈とほぼ同じですね。表皮でも腸内でも善玉菌を繁殖させておけば、身体を護ってくれる)。因みに、これが上手くいけば、施肥の回数を減らせるため、労働負担も減るらしいです。

 以上、農業に関わっている人以外には、ほぼ無意味な説明でした。


 それは小高い丘に囲まれて窪地になっている場所にあった。木の柵で囲まれたその中にたくさんの落ち葉や藁や糞なんかが入っている。

 聞いた話によると、昔ながらの方法に一工夫を加えた実験的な堆肥作りらしい。ゆっくりと醗酵を進めている最中の堆肥。

 そして、

 その真ん中辺りに、お爺ちゃんはいた。埋まっている。首だけ出している。お父さんが無表情でそのお爺ちゃんのいる所にまで進んだ。他の皆は、それを心配そうに木の柵の外から眺めていた。

 「何をやっているんですか、あなたは」

 と、そうお父さんは言った。

 ……わたしがお爺ちゃんが好きな堆肥作りを説明し終えると、後は簡単だった。徒歩で行ける範囲内の該当する場所は、そこ一つだけだったからだ。そして、土地の持ち主に許可を取って(本当の事は流石に言えなかったらしい)、中を確認してみると、確かにお爺ちゃんはいたのだ。

 しばらくは何の反応もなかった。それで、やはり何かの間違いじゃないのか、とそう思いかけそうになったタイミングで、声が聞こえた。

 「ワシは、今、ゆっくりと分解されている最中だ。非常に気分が良い。邪魔するな」

 お爺ちゃんの声だ。それにお父さんはため息を漏らす。

 「お父さん。ここはよそ様の土地です。それに、堆肥に人体を分解した成分を入れるなんて、嫌がらせに近い。お爺ちゃんの好きな農業に、迷惑をかけたくないと思うのなら、どうか止めてください」

 それを聞くとお爺ちゃんは、しばらく黙った後に、「うるさい。そもそも、お前らの理解が足りないのが悪い」と、そう返した。もしかしたら、分解が進んだお蔭で、反応が遅くなっているのかもしれない。

 お父さんはまたため息をつく。

 「そんな事を言っても、今の日本の社会状況じゃ、土葬なんて無理なんですよ。少しはこっちの身にもなってください」

 そして、そう言った。

 「知らんわい」

 と、お爺ちゃんはそれに返した。

 「お父さん… 土葬にしたくても、無理なんですよ。分かってください」

 と、お父さんは漏らすようにそう説得を試みる。予想はしていたけど、話し合いは平行線だ。しかし、そこで二人とは別の声が上がったのだった。

 「あの… それなんですが、手はあると思うんですよ」

 それは杉村さんだった。

 「手ってなんですか?」

 と、尋ねたのはお母さん。杉村さんは説明を始める。

 「確かに、今の日本の現状じゃ土葬は無理でしょう。ですが、“土に返る”というのがその目的ならば、不可能じゃない。故人の遺体は、盗難届が受理されていて、現在、盗難品として扱われていますから……」

 それに伯父が言った。

 「ああ、なるほど。盗まれた遺体が、勝手に土に埋まっている分には、何の支障もない訳か。正式には土葬じゃないから、それ用の土地を用意する必要もなくて、許可も必要ないし」

 伯母が続けた。

 「確か、近くに空き地があったわよね? もう十年以上も遊ばせている… あそこの持ち主、確かお父さんの知り合いの人のじゃなかったかしら?」

 そこまでの流れを受けて、お爺ちゃんとお父さんは顔を見合わせた。そして、お父さんは口を開いた。

 「……あそこに穴を掘って、埋める。まぁ、なんなら落ち葉とか他の肥料の原料になるものを一緒に入れてもいい

 農地の肥料って訳じゃないですが、それで、お父さんが満足するのなら、できなくはないです」

 それを聞いて、お爺ちゃんは頷いた。

 「贅沢は言わん。土に返れるのなら、それでいい」

 そして、そうしてお爺ちゃんの埋葬方法(?)は決まり、この騒動には、どうやらやっと決着が付いたのだった。


 ――と。

 物語もほとんど終わりですが、ここでまたまた解説を挟ませてもらいます。

 これから先の近い将来、世界的な食糧難の時代が来る危険性が高い事は、申し上げた通りです。更に、地球規模での気候変動による天災で、各地の食糧生産は極めて不安定になってもいくでしょう(近年、世界中で天変地異が起こっています)。それに対応する為には、できる限り、各地に農業生産を分散させる必要性があり、その中でも、当然、農業に適した土地の重要性は上がっていきます。そして、実は日本は世界有数の農業地帯でもあるのです。

 土地が狭い、という欠点はありますが、豊富な水に恵まれていて、放っておいても勝手に木々や緑が生い茂っていく。世界中を探しても、こんな土地は滅多に観られるものじゃありません。

 つまり、単に日本だけの問題じゃなく、世界的に観ても、日本の農業は貴重な宝なのです。

 しかし、日本は今、その農業をゆるやかに衰退させ続けています。官僚や政治家の利権や票の確保の犠牲に農業がなっている為で、規制や悪影響を与える兼業農家への優遇措置で集約化や若い力の投入ができず、農業の新たな芽を摘んでいるのですね。

 もちろん、この現状は変えなければなりません。そして、農業の次の形態を目指すべきでしょう。循環社会型有機農業は、その一つです。コストがかかるのなら、無駄な流通を省けば、コストダウンは直ぐにでも可能になります(因みに、無駄な流通を省けば、驚くほど農作物は安くなりますし、農家の収益は上がります)。また、生物の長期間の保存が可能な、CAS冷凍保管を活用すれば、更なるコストダウンの可能性もあります。

 断っておきますが、僕はこれからの食糧生産を、有機農業だけでやるべきだとは思っていません。近年の世界各地の不安定な気候を鑑みるのなら、それと同時に気候変動の影響を受け難い、野菜工場の割合を増やすべきだとも思っています(その他、野菜工場の場合、ビルの各階での栽培が可能である為、土地を節約できますし、都心での栽培も可能なので、物流費を削減できるなどの、メリットがあります)。

 それに、リンゴやナシなどの果実の場合、木の資産価値が高い為、病気などで木が駄目になると、下手すれば農家は致命傷です。有機農業がいかに理想だとは言っても、そんなリスクを強いるのは酷でしょう。

 ……こういう点こそを、国はサポートするべきなのでしょうが、自分達の利益になる事以外はやらないのが、どうやら、日本の官僚や政治家の基本姿勢のようなので、期待はできないかもしれません。

 だからこそ、現状を変えるには民間から声を上げる必要があります。日本は民主主義なので、それは当たり前の話でもあるのですが。


 お爺ちゃんの土葬(?)が無事に済んでから、それなりの月日が流れたある日の事だった。

 その日の晩の食卓には、夏野菜がたくさん出ていた。ゴーヤやナスに、キュウリ。何だか知らないが、弟の悟が何処からか貰って来たものらしい。とても美味しいお野菜で、苦味もあまりしないし少し甘い。お爺ちゃんが作っていたお野菜に似ている。家族の皆にも好評で、悟はとても嬉しそうにしていた。

 そんなところに、伯父さんが仕事から帰って来た。晩飯を見て、「お、美味そうだな。夏野菜がいっぱいだ」なんて言っている。そして続けて、こんな事を言って来た。

 「夏野菜といえば、こんな事を安西さんから言われたよ」

 安西さんというのは、例のお爺ちゃんの友人で、土葬(?)にする為の土地を提供してくれた人だ。

 「“君らはあの土地に、野菜を植えたんだな。あいつは農業が好きだったから、良い供養になるよ。良い事をしたな”

 だってさ。誰か、あれから、そんな事をしたのか?」

 それを聞いて、家族の皆は少し驚いた。それぞれ、顔を眺め合う。どうも、誰にもそんな覚えはないらしい。その瞬間、わたしは何だか嫌な予感を覚えた。それから伯父さんは、その夏野菜を挙げ始める。

 「ゴーヤにナスにキュウリだって。どれも育てるのが簡単なものばかりだな」

 わたしが食卓に上がっているお野菜を眺めた。ゴーヤ、ナス、キュウリ。一致している。それからわたしは、弟の悟を見てみた。この子は野菜の育て方を、お爺ちゃんから教わっているはずだ。しかも、この子は、お爺ちゃんのお願いなら、簡単に聞いてしまいそう……

 もし、仮に、

 ……お爺ちゃんが失踪している間で、悟がお爺ちゃんを見つけていて、そしてもし仮に、こんなお願いをされていたとしたら。自分が土に埋まった後、その土で、農作物を育ててくれとか。

 まさか…、

 まさか……、


 ――お爺ちゃーん!


 わたしは心の中で絶叫した。


 悟は美味しそうに、夏野菜を食べてからわたしを見、そしてそれからにっこりと笑った。

参考文献は、

「あまった食べ物」が農業を救う PHPサイエンス・ワールド新書

死と埋葬のフォークロア ヴァンパイアと屍体 工作舎

です。


堆肥に関しては、恐らく、人間の屎尿の利用もやらないと、絶対量が足らないと思われます。

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