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「ここからが、本番です」
女の子の言葉に、僕は小さく息を呑んだ。
僕は女の子二人をポケットに入れ、光の差す木へと近づいた。
白銀の鳥も、すぐ後ろをついてくる。
やはり、実がなっていた。
……青に、銀をまぶしたような色の林檎。
僕は、そのうちの一つにそっと手を伸ばした。
触れた瞬間――
《収納》していた林檎が、僕を囲むように宙へ浮かび上がり、視界の前にウィンドウが展開された。
【ラスボスの元へ行きますか?】
……当然だ。
僕は、迷わず「はい」を選んだ。
一瞬だけ、アレクサンダーの顔と、サラの笑顔が脳裏をよぎる。
けれど、立ち止まることはなかった。
次の瞬間、林檎は光となって消え、足元に不思議な魔方陣が浮かび上がる。
光が弾けるように広がり――
僕の身体は、ラスボスの待つ場所へと転移した。
僕の視界が、ゆっくりと開けた。
――青い。
どこまでも、ただ青い世界だった。
……あれ?
女の子二人も、あの鳥の姿もない。
周囲を見回しても、僕は一人きりだった。
それに――。
……ラスボス?
いや、これは。
「おめでとう! よく、ここまで来たね!」
聞き覚えのある声に、僕は振り向いた。
そこにいたのは、あの日――
この世界に来て、最初に出会った“神様”だった。
「……神様が、ラスボス?」
思わず口に出る。
僕は疑うように、神様をじっと見つめた。
「そんな目で見るなよ。ただ、君の希望を聞くだけさ」
神様は軽い調子で言った。
「この世界に留まるか? それとも、現実世界に戻るか」
僕は、間を置かずに答えた。
「僕は、現実に戻る」
「よく考えてみろよ」
神様は、諭すように言葉を重ねる。
「現実には、今みたいな万能の力はない。理不尽も多いし、苦しみや悲しみで溢れている。それでも、戻るって言うのか? こっちだって、悪くない世界だろう?」
……確かに。
この世界には、優しさがあった。
暖かさも、確かに存在していた。
でも――。
違う。
胸の奥で、はっきりとそう感じた。
……これは、神様じゃない。
「ラスボス、だ」
人の心を揺さぶり、迷わせ、選ばせる。
そんなものは――。
「人の心を、もて遊ぶようなゲームなんて、僕は受け入れない」
僕は、神様に向かって走り出した。
右手を突き出す。
《破壊》
次の瞬間――
青い世界は、音もなく粉々に砕け散った。
「健人、起きてよ」
その声に、僕は目を覚ました。
「家に着いたよ」
すでに父さんと母さんは、買い物袋を抱えて車から降り、家の中へ運んでいるところだった。
「帰りの車で寝るなんて、珍しいわね」
母さんが、くすっと笑いながら言った。
……夢?
そう思った。
けれど、右手には、はっきりと――あの《破壊》の感触が残っていた。
僕は軽く頭を振り、気分を切り替えて家の中へ入った。
それでも、どうしても気になってしまった。
自室に入るなり、スマホを取り出し、検索欄に打ち込む。
――アレクサンダー 科学者
……出てきた。
実在していた。
それだけじゃない。サラも、エミリーも。
女の子たちが言っていた通り、だった。
画面の端に、見慣れない表示があった。
なぜか指が勝手に動き、ポチりとそれを押してしまう。
画面が切り替わった。
……これは。
ケント → 健人
女の子たち → 健人の妹たち
神様 → 父親
不死鳥 → 母親
……ゲームの構成員?
まさか、そんな。
けれど、その下には、短い物語が表示されていた。
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《ケントは、二度と戻らなかった。
アレクサンダーは、ケントから貰った封筒を開いた。
中には、人形に折られた折り紙と、ケントの歯が入っていた。
アレクサンダーは、乾いた笑い声をあげた。
「面白い……ケント、作ってやるよ」
後日、サラの元にケントがやって来る。
「ただいま、サラ」と言って――》
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僕は、スマホを握る手が震えるのを止められなかった。
……これは。
確かに、鍵になるかもしれないと思って、封筒を渡した。
でも、こんな――。
次の瞬間、画面は何事もなかったかのように消えた。
慌てて、もう一度検索する。
何度も、何度も。
けれど、その画面と再び出会うことはなかった。
――まるで、最初から存在しなかったかのように。
そうして、僕は現実を生きていくことになった。
あの世界が、夢だったのか。
それとも、現実だったのか。
今では、もうわからない。
ただ一つ確かなのは――
僕は、戻ってきた。
それだけだ。




