30
僕は、その夜もアレクサンダーの家に泊まった。
――もう、この場所に戻ることはない。
そう分かっていたから。
部屋で一人、僕は《収納》の中から材木と、小さな花を取り出した。
木から樹脂が作れるのなら――出来ないはずがない。
《創造》《腕輪》
手のひらの上に、小さな透明の腕輪が生まれた。樹脂製で、中には小さな花が閉じ込められている。
光を通すと、きらりと柔らかく輝く。
それから、もう一つ。
木材から封筒を作り、中に“ある物”を入れた。
……必要かどうかは分からない。
でも、どうしても渡したいと思った。
翌朝。
僕はサラとエミリーに、きちんと挨拶をした。
「色々、ありがとうございました」
「いいのよ」
エミリーは、いつも通り優しく微笑んだ。
「サラ、いっぱいありがとう」
サラは、スカートの裾をぎゅっと握りしめ、唇を結んで立っていた。
「……本物には、叶わないけど。お礼だよ」
僕は、昨夜作った腕輪を、そっとサラの前に差し出した。つるりとした触感で、透明な樹脂の中には小さな花が幾つも閉じ込められている。
サラは目を見開いた。
「……キレイ」
「腕に通してあげるね」
僕はサラの腕に、そっと腕輪を通した。
朝の光を浴びて、腕輪がきらりと輝いた。
「……本当に、行くの?」
「ごめん。僕には、帰る場所があるんだ。家族が待ってる」
サラは少し黙ってから、小さく言った。
「……さよなら、なの?」
「……多分」
その言葉を聞いた瞬間、サラはくるりと走り、エミリーの後ろに隠れた。
「……ありがとう。サヨナラ」
震える声が、背中越しに聞こえた。
僕は、胸の奥がぎゅっとなるのを感じながら、アレクサンダーに向き直った。
「アレクサンダー、行こう」
「……わかった」
アレクサンダーは、ずっと無言だった。
ただ、わずかにアレクサンダーの瞳が揺れた気がした。
僕はその腕を掴み――次の瞬間、転移の光に包まれた。
僕が目を開いた時、目の前には一本の塔がそびえ立っていた。――てっぺんが、見えない。
どれほどの高さがあるのか、想像もつかなかった。
「これを、一人で登るんだ」
アレクサンダーは、静かに言った。
……一人で?
僕は思わず塔を見上げる。やっぱり、頂上は見えない。
アレクサンダーは《収納》から、食料と飲み物を取り出した。干し肉、水、パン、保存の利きそうな簡素な食事。
――あれは、先日の狩りで手に入れた肉だ。
「エミリーが、用意したんだ。塔の道のりは長い。お腹を空かせないように、ってな」
その言葉を聞いた瞬間、胸がいっぱいになった。
視界が滲み、涙が溢れそうになる。
慌てて、袖で目元を拭った。
「……ありがとう、ございます」
声が、涙で掠れてしまった。
「気をつけてな。……サヨナラだ」
アレクサンダーの言葉は、短く、それでいて重かった。
「……これ」
僕は、封筒を一つ差し出した。
「僕が、帰らなかったら……開けてください」
「何だ?」
アレクサンダーは、少し怪訝そうな顔をした。
「今は、秘密です」
僕は泣きながら、無理やり笑った。
「本当に、ありがとうございました。サヨナラ――アレクサンダー」
そう言って、僕は振り返らなかった。
振り返ったら、きっと進めなくなる。
僕は、一歩――
塔へと足を踏み入れた。
煤けた茶色のレンガが積み上げられた、古い塔。長い年月を経てきたのだろう、壁はところどころ欠け、ひび割れている。
壁づたいに、上へと続く螺旋階段があった。
僕は、慎重に一段ずつ階段を登っていく。
塔の中は、思ったよりも明るい。
――灯りがあるわけでもないのに、ぼんやりと視界が開けている。
……どうして?
そう思った瞬間だった。
ヒュッ、と。
何かが、僕の目の前を横切った。
「……今の、何?」
僕は立ち止まり、目を凝らす。
……鳥?
いや、小さい。けれど、確かに翼があった。
その鳥のような何かは、弧を描いて旋回すると、再び僕に向かって飛んできた。
速い――!
だが、僕にはもう、ただ逃げるだけの選択肢はない。
《風魔法》《圧縮》
空気を一点に押し潰すイメージ。
次の瞬間、それは僕の目の前でピタリと止まり、力を失ったように床へ落ちた。
……出来た。
胸の奥が、熱くなる。
アレクサンダーが、あの熱砂の魔物と対峙した時に使っていた魔法。
見て、感じて、覚えていた。
床に落ちた“鳥”のような存在は、砂のように崩れ、そのまま消え去った。
……やっぱり。
この塔の中には、魔物がいる。
僕は一度、大きく息を吐き、気持ちを引き締めた。
ここから先は、
――僕一人の戦いだ。
螺旋階段の上を見据え、僕は再び歩き出した。




