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サラは、パンとスープを持ってきてくれた。
「ありがとう」
僕はそう言って、ゆっくりとパンを噛みしめるように食べ始めた。
温かい。
すぐに用意できたということは、もしかしたらエミリーが、あらかじめ温めて準備してくれていたのかもしれない。
その優しさに、胸の奥がきゅっとして、涙が出そうになった。
「起きたんだって」
そう言いながら、アレクサンダーが部屋に入ってきた。
「食欲があるなら、大丈夫だな。よく頑張った」
僕は、パンを持つ手を止めた。
「……でも、アレクサンダーみたいには、出来なかった」
思わず、小さな声になった。
「……あれは、風魔法の応用だ」
アレクサンダーはそう言いながら、両手を使って説明を始める。
「高密度の空気を、上と下から――そう、すり潰すようにするんだ」
目の前で、手のひらを上下から合わせる仕草。
……うん。
難しすぎる。
「まさか、すべて《破壊》で押し切るとはな。よく、体力も精神力も持ったものだ」
感心したような声だった。
……あれしか、出来なかっただけです。しかも、僕はこんなにボロボロなのに。どうして、アレクサンダーはあんなに無傷なんだろう。
僕は瞬きをしながら、彼を見上げた。
「……まだまだ、です」
ぽつりと、そう言った。
「結果オーライさ。今は、よく休んで回復しろ」
アレクサンダーは僕の肩を軽く叩くと、そのまま部屋を出ていった。
「そうだよ。よく、休んで」
サラが、じっと僕を見つめて言った。
少しだけ、心がほんわかした。
「……そうかな」
小さく返すと、
「そうだよ」
サラは、やさしく微笑んだ。
僕はその笑顔を見て、何だか救われた気がした。
僕は、数日間をのんびりと過ごしていた。
アレクサンダーの話では、《破壊》は魔力とは別の、体内のエネルギーを消耗するらしい。
だからこそ、無理をせず、今はしっかり休んだほうがいい――そういうことだった。
……でも、その“別のエネルギー”が何なのかは、正直よく分からない。考えても答えは出なかったので、深く考えるのはやめた。
そんな穏やかな日々の中で、ひとつ、不思議な出来事があった。
ぐらぐらしていた歯が、ある朝、ぽろりと抜けたのだ。
……ゲームの世界でも、歯って抜けるんだ?
思わず、そんなことを考えてしまう。
妙に現実的で、不思議だった。
サラはというと、僕のベッドのそばに花を飾ったり、こまめに水を持ってきてくれたりと、くるくるとよく動いていた。その姿を見ているだけで、胸の奥が少し温かくなる。
静かで、やさしい時間。
戦いも、試練も、ここにはない。
そうして、一週間が過ぎた。
息を吸っても、胸が苦しくならない。立ち上がっても、視界が揺れない。――もう、大丈夫だ。
不思議と、そう確信できた。
その日、僕はいつも通り目を覚まし、朝の光の中でアレクサンダーに声をかけた。
「もう、身体も軽くなったし……大丈夫だと思うんだけど」
それを聞いたアレクサンダーは、ほんの一瞬だけ――本当に一瞬だけ、少し悲しそうな顔をした……気がした。
けれど、すぐにいつもの笑顔に戻り、
「それは良かったな。じゃあ、最後のアイテムを取りに行くのか?」
と、穏やかに聞いてきた。
「うん。あと一つ集めれば、ラスボスの所まで行くゲートが開くんでしょう?」
「そうだ」
僕は一度、息を吸ってから、はっきりと言った。
「……僕は、やっぱり家族の所に帰りたい」
アレクサンダーは、少しだけ目を伏せ、それから頷いた。
「わかった。案内しよう。ただし――」
そこで言葉を切り、
「俺ができるのは、最後のアイテムを取りに行く場所までだ。そこから先は、ケント一人で行くことになる」
……え。
それって、アレクサンダーとは、ここで別れるということ?
厳しい。それに……寂しい。
本当に、僕一人で行ける場所なのだろうか。
不安と戸惑い、そして怖さが、胸の中をぐるぐると巡った。
「……ケントなら、行けると思うぞ」
アレクサンダーは、優しい声で言った。
「何人も、同じように送り出してきた。ケントは、《創造》も《破壊》の力も、ちゃんと使いこなしている」
……そう、なの?
泣きそうになって、僕はアレクサンダーを見上げた。
アレクサンダーは――どこか悲しそうに、笑っていた。
「……ケント、行くの?」
背後から、サラの声がした。
いつの間にか、話を聞いていたらしい。
「……その、つもりなんだ」
声が、自然と詰まった。
サラは一瞬、身体を小さく震わせたかと思うと、くるりと踵を返し、何も言わずに走り去っていった。……サラの拳はぎゅつと握られていた。
……引き止めることも、追いかけることもできなかった。
僕とアレクサンダーの間に、重たい沈黙が落ちた。




