16
翌日。
僕は《転移》《登録地点》で、昨日アレクサンダーと別れたあの場所に立っていた。
とりあえず《瞬歩》を確認したいな――そう思っていた矢先、空間がふっと揺れた。
アレクサンダーが現れた。《転移》だ。
この、前触れもなく出てくる感じ……心臓に悪い。
「おはようございます」
「おはよう。早いな」
「目的地まで、あと少しなので」
……瞬歩は、後でいいか。
「じゃあ、行くか」
アレクサンダーが歩き出し、僕もついていく。しばらくすると、彼は急に立ち止まった。何だろう、と横に並んだ瞬間――足元が暗闇に抜け落ちた。
深い谷だった。底が見えないほどの。
「……どうするの?」
「降りるぞ。アイテムは、この谷を降りたところだ」
え。
降りるって……どうやって?
近くて簡単なルートじゃ、ないの?
「どうやって降りるんですか?」
アレクサンダーは持っていた布をひょいと左手に掲げた。
《創造》《パラシュート》
光が弾け、彼の手にはパラシュートが二つ。
「ほら。着けるぞ」
……これで、落ちる?
ちょっと待って。怖すぎるんだけど。
「落ちるだけだ。楽なもんだろ?」
アレクサンダーは朗らかに笑った。
いやいやいや。楽じゃないって!
「やり方は分かったな。じゃあ、先に行くからな」
そう言った途端――
アレクサンダーは迷いゼロで谷に身を投げた。落下しながら、途中でパラシュートを広げる。
「……嘘」
僕は呆然と立ち尽くすしかなかった。
僕は谷を覗きこんだ。
深い。
深すぎる。
底なんて影も形も見えない。
視界の奥が吸い込まれそうで、足が震える。背筋に冷たいものが走った。
どうしよう。怖い。とても。
……でも、行くしかない。
僕は目をぎゅっと瞑った。
そして、覚悟を決めて足を踏み出した。
瞬間、重力が消えたような浮遊感が身体を包む。
――あ、これ死んだ。
そんな考えがよぎるほどの落下速度。
それでも僕は、必死にパラシュートの紐を引いた。
ばさっ。
身体にがくりと衝撃が走る。
一瞬、呼吸が止まるほどの強烈な引き戻し。
それでも――落下はゆっくりになった。
安堵で力が抜けかけた頃、視界の下に細い川が見えた。そのほとりで、アレクサンダーが腕を組み、退屈そうに立っていた。
「遅かったな」
僕の青白い顔を見て、彼はニカッと笑った。
……何も言い返せなかった。
「ほら、あれだ」
アレクサンダーが指さした先――その視線の先に、一本の木があった。
……実がなる木?
でも、あれ……銀色の実?
近づくにつれ、はっきりわかった。
銀色に輝く林檎が、枝にずらりと実っている。
僕とアレクサンダーはその木の前まで歩いた。
……本当に“銀色の林檎の木”だ。
アレクサンダーは一つもぎ取り、そのまま僕に手渡してきた。
「これが、ゲートを開くためのアイテムだ」
……一個目が金色で、二個目が銀色の林檎。どういう基準なんだろう?
「……構えろ」
「え? なにを――」
言い切る前に、空気が震えた。
目の前に“それ”は現れた。
ごごご、と大地を揺らす足音。
岩が積み重なったような身体。
僕の何倍もある巨体。
赤く光る目が、異様だ。
岩石の巨人――。
「殺るぞ」
アレクサンダーが短く言い放つ。
……ちょっと待って。どうやって!?
僕の弓矢も斧も、絶対効かないって!
巨人が僕に向けて岩のような腕を振り上げた。
「――っ!」
反応しきれない。身体が固まる。
「ちっ!」
アレクサンダーが舌打ちし、僕の身体を抱えて後ろへ飛び退いた。巨人の腕が地面をえぐり、土煙がふきあがる。
「ぼさっとしてるんじゃない!」
短く、鋭く、アレクサンダーが吐き捨てた。
……いや、無理でしょこんなの!ていうか、あんなの当たったら即死!ヤバい!
心の中で叫びながら、僕は必死に体勢を立て直した。
アレクサンダーは地面へ片手を押しつけた。
「《創造》《盾》」
瞬間、ぼっ、と音がして、土が盛り上がる。巨大な土壁が、僕の目の前に立ち上がった。
「少し、ここで見てろ」
そう言い残し、アレクサンダーの身体が――跳ね上がった。
……高い。
人間が跳べる高さじゃない。
体勢を崩すことなく、空中でアレクサンダーは短く詠唱する。
「《風魔法》《砲弾》」
圧縮された空気の塊が、炸裂するような音を立てて巨人へ放たれた。
巨人は岩で出来ているくせに、驚くほど素早く身をよじって避ける。
避けた――はずだった。
だが。
空気の弾丸はかすめた巨人の腕をえぐり飛ばした。
岩の腕が爆ぜ、砕け散る。
……すごい。あれ、直撃だったらどうなってたんだろう。
しかし巨人は失った腕をちらりと見ただけだった。そして、ぐうぅ……と地鳴りのような声を発する。
巨体が赤くきらめく。砕け散った腕の断面から、岩が盛り上がるように再構築され――、 再生した。
「……ちょっと、強すぎない?」
思わず声が漏れる。
僕には壁の影から、息を潜めて見守ることしか出来なかった。




