10
僕は村へ向かって、ひたすら歩いた。
道の途中、唐突に牛が現れた。
……よし。《風魔法》《鎌鼬》
指先から放たれた見えない刃が、牛を一瞬で切り裂く。
牛は影のように消え、肉と牛乳が足元に残った。
面倒だし……《収納》
声をかけるだけでアイテムが吸い込まれる。
この便利さ、ちょっとクセになりそうだ。
そのまま歩いていると、遠くで何か音が聞こえた気がした。……気のせいかな?と思っていたら今度は猫が出てきた。
小さくて、ふわふわで、にゃーにゃー鳴いている。……かわいい。めちゃくちゃ可愛い。
「え、これ倒すの? 無理では?」
風魔法を撃つのをためらった、その一瞬。
猫が――ありえない速さで突進してきた。
「はっ……!?」
見た目に反して、牙がギラリと光る。
赤い目が、僕を真っ直ぐ捕らえていた。
本気で殺しにきてるやつだ、これ!
咄嗟に僕は地面を転がって避けた。
服が土で汚れるなんて、どうでもいい。死にたくない。
猫は即座に向きを変え、再び僕を狙ってくる。
心臓が痛いほど速く打つ。
やばい、撃たなきゃ。魔法――!
その瞬間、横から矢が飛んだ。
ヒュッ。
矢は一直線に猫へ突き刺さり、
「ギャンッ!」
短い悲鳴を上げて、猫は霧のように消えた。
僕は尻もちをついたまま、荒い息を整える。
「君、大丈夫か?」
上から聞こえた声に、僕は顔を上げた。
背の高い男が立っていた。肩まである弓、背中の矢筒、腰には使い込まれたナイフ。まるでファンタジー世界の狩人そのものだ。
「……その服装、来訪者か? 久しぶりに見たな」
おじさんはそう言うと、僕の手を取って軽々と立たせてくれた。僕は久しぶりに握った人の手が、とても温かく感じた。
「君は地球から来たんだろう? いつ来たんだい?」
白い歯を見せながら笑う顔は、屈託がなくて優しそうだった。
……悪い人ではなさそう。少なくとも、さっきの化け猫よりは百倍マシだ。
「……日本から。一昨日に来た」
「そうか。じゃあ村に向かうところだな。俺もちょうど帰るところだ。案内してやろう」
その言葉に少し迷ったが、おじさんが指差した方向は、僕の地図ウインドウに表示された矢印と一致していた。
……なら、信じてもいいだろう。
「じゃあ、お願いします」
僕が頭を下げると、おじさんは満足そうに頷いた。周りにあるのは、森と草原のみ。風が僕の頬をくすぐった。
歩き出してすぐ、おじさんが口を開く。
「さっきのは、猫に見えるが魔物化した奴だ。凶暴でな、足も速いし牙も鋭い。遭遇したら即攻撃するか、一目散に逃げるんだ。まともに戦えば初心者じゃ死ぬ」
「……猫は、魔物なのですか?」
……そんな強いの?
あんな小さいのに??
「普通の猫に遭う時もある。普通の猫はみんな“青色の目”をしてる。魔物化したものと見分けになるから覚えておくといい」
「普通の猫は、全て青い目なのですか?」
「そうだ」
おじさんは当然のように言った。
なるほど……そういう設定なんだ。
これはちゃんと覚えておこう。
ファンタジー世界の豆知識を聞きながら、僕はおじさんと並んで村へ向かった。
途中で豚と狼に遭遇したけれど――
僕が《風魔法》と言いながら右手を構える前に、おじさんの矢が放たれていて、豚も狼も一撃で霧のように消えていた。
消えた場所にはアイテムが残っていて、豚は肉、狼は毛皮をドロップしていた。
おじさんが倒しても僕と同じようにこうして落ちるのか……便利だな。
ところで……弓矢ってカッコいい。
絶対に。とっても。すごく。
風魔法も良いけれど、効かない相手もあった。攻撃手段、多い方がいいよね。
僕も弓矢、欲しいな。
練習したら使えるようになるかな?
そんなことを考えていたら、おじさんの弓矢ばかり見ていたらしい。
「弓矢が欲しいのか?」
不意に声をかけられ、僕は慌てて視線をおじさんの顔に向けた。
「う、うん。カッコいいと思って……」
おじさんは声を上げて笑った。
「いいじゃないか。欲しいのなら、手伝ってやるよ」
て、手伝う?
何を?
僕はよくわからなかったが、おじさんが歩き始めたので、慌てて後ろを着いていった。
遠くに建物が集まっているのが見えた。それを、ぐるりと柵が囲っていた。
「あれが、村だ」
おじさんは言った。
村の門をくぐった瞬間、急に明るいざわめきが広がった。
露店で野菜を売る人。
井戸端で楽しそうに話す人たち。
子どもを抱いた若い母親。
……でも、どこか妙にひっかかる。かつて感じた、違和感。
そんな中――
「父さーん!お帰り~!」
高い声がして、ひとりの女の子が駆けてきた。陽の光を受けて、長い髪がキラキラと輝いている。頬はうっすら赤く、息を弾ませながら、それでも嬉しそうに笑っていた。
………可愛い子だ。
彼女の少し前を、牧羊犬が先に走っていく。
そして、おじさんを見るなり勢いよく飛びついた。
「おおっと、ジョン! はは、やめろって!」
おじさんの顔を、牧羊犬が容赦なく舐めまわす。村に戻った瞬間、こんなに歓迎されるなんて……すごい。
「はぁ……やっと追いついた……」
息を切らしながら、女の子が僕の目の前に立った。その青い瞳が真っ直ぐ僕に向けられた瞬間、なんとなく胸がざわついた。




