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母さんは、助手席からふいに僕の方を振り向いて問いかけてきた。
「ねえ。もし自分が物語の主人公になるなら、どんな人になりたい?」
買い物袋がカサカサと揺れる後部座席で、僕は少し考えてから答えた。
「科学者かな。四次元空間を見つけて、時空間ワープを作るんだ。それで、反重力磁場のある世界を作る!」
母さんは笑った。
「ドラえもんと、未確認飛行物体の話みたいね」
だけど僕は、本気だった。
僕は、いつか世界を変える発明をするんだって、そう信じていた。
――なのに。
家族五人、みんなで車に乗って、のんびり買い物から帰る途中だった。
前方から突っ込んでくる大型トラックを見たとき、世界が一瞬だけスローモーションになった。
ブレーキ音。母さんの叫び。
そして――衝撃。
次の瞬間、僕は“空色の世界”に立っていた。
……いや、普通こういうのって白じゃないの?雲みたいにふわふわした空間が広がっているのに、全部が薄い青色だった。
そこに立っていたのは、肌も髪も真っ黒で、チリチリ頭のおじさんだった。何者なのかまったくわからないのに、なぜか場違いに明るい笑みを浮かべている。
「坊主、転生するか?」
……なんだよ、それ。
僕の物語は、どうやらここから始まるらしい。
おじさんは僕を見るなり、肩をすくめて言った。
「悪いがよ、坊主。“おじさん”は酷いな。これでも神なんだけど?」
そう言ったあと、自分の腕を見下ろして「ああ、この姿か」と納得したようにうなずく。
「坊主、最近エジプトとかアフリカとか、そんな映像見てないか?」
……見てた。ガッツリと。ピラミッドの番組も、アフリカの民族ドキュメンタリーも、ずっと観てた。
でも、それとこれとは別だ。目の前のこの人(?)、明らかに不審者である。
僕がじっと見ていると、おじさんはひどく項垂れてしまった。
……うん。オーバーリアクションだよ。
妹だったら「ウザイ」って絶対に言うやつ。
しばらく眺めていると、おじさんはいつの間にか地面にしゃがみ込み、お山座りをしていた。
神様の威厳ゼロである。
……どうしよう? 放っておいてもいい気がする。でも、周りを見渡しても、相変わらず空色の世界が広がっているだけで、何もない。
どうやら、このおじさんが鍵らしい。
仕方ない。話を聞くか。
「……ねえ、おじさん――じゃなくて、神様?」
僕は恐る恐る声をかけた。
おじさんはパッと顔を上げた。その嬉しそうな顔……いや、なんだろう。微妙だ。
まるで「嬉しいけど、どこか悲しい」みたいな、複雑すぎる表情をしている。
……どうして、そんな顔になるのかな?
「……坊主、神はな。おまえの気持ちが直接聞けるんだよ」
そう言いながら、おじさんは僕の両肩に手を置いた。
……突然ゼロ距離はやめて。
いや、本当にやめて。
変質者か。
おじさんは僕の心の声に反応して、あわてて手を離した。うん、どうやら僕の頭の中は筒抜けらしい。
おじさんは胸をなで下ろして、ほっとした顔をした。何に安心したのかわからないけど、まあいいや。
「説明してくれる?」
僕は、もう観念してそう言った。
おじさんは腕を組み、やたら深刻そうな顔で言った。
「坊主の転生先は、異世界という名の“ゲームの中”だ」
……はい、意味不明。
いきなりハードル高すぎる説明やめてほしい。
「AIがネット空間上で勝手につくったゲームでな、そこの“主人公”になってもらう」
……もっと意味不明。
そもそもAIが勝手にそんなことできるわけない。
僕の反論を聞く前に、おじさんは肩をすくめた。
「そうなんだよな。本来、そんなことできるはずがない。ゲームの存在自体がおかしい。しかし――在るのだ」
あ。わかった。
これは夢だ。
夢の中で“夢だと気づくやつ”だ。
そう思っていたら、おじさんの額にピキッと青筋が浮かんだ。
「いい加減にしろ。特典は適当に付けてやるから、坊主はとっとと行ってラスボス倒してこい!」
乱暴な言葉とともに、おじさんは僕の足元に手をかざした。
空色の足場に、黒い穴がぱっくりと開く。
僕は――落ちた。
ずっと、ずっと下へ。
「え、ちょ、聞いてないってば――!」
叫びは空色の世界に吸い込まれていった。
僕の、新しい人生が始まる。




