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快苦

作者: Mr.G

 

「あなたに私の何が分かるのですか。消えてください」


 消えない。

 それはただそこに。


「消えてください。お願いです」


 消えない。

 消えない。


「最初からそこにいないのですか?」


 ――雨の中、ただひたすらに逃げました。

 ですがそれはずっと付いてきます。


 雨だから、余計に。

 どこもかしこも満たされているのです。


 濡れたくはありません。

 ただ、だからといって喫茶店で雨宿り、なんてことは無為に等しいのでした。


 だってまた現れるのですから。

 いつだって、追いついてくる。


 そう思います。


 ただ、ここまで来ると吐き気を催します。

 何も出来ない自身への吐き気。


 逃げようとすればするほど、ここにあるのだという確信に変わります。


 最初から逃げられないのだと。

 向き合うしかないのだと。


 しかし向き合うと言えば簡単ですが、実際にはそうもいきません。


 向き合って何になるか、私には皆目見当もつきません。

 ですから逃げるのです。


 その逃げ道こそが本体だと知りながら。



 ***



 当時の私は幼かったですから、逃げようとは考えなかったのです。

 我々には元来、その機能は備わっていないように思います。


 そこにあったのは幸福、安心、正解、仁義、ただ一様にそう呼ばれるものでした。

 親や生活環境が、関係あるといえばあるのかもしれません。


 裕福な家でなければ余裕も生まれない。

 そういうものだと教わりましたから。


 私にその不安が芽生えたのは、学生の時分だったでしょうか。

 学生といえどもマトモな人間ではありませんので、遊んでばかりいました。


 マトモな学生が何を指すかは分かりません。

 学生など遊ぶ方がマトモだと言う方もおられますから、そうなると私をどう形容すべきか頭を悩ませます。


 とにかくやりたいことをやろうと思っていました。

 それはその時にしかできない感情、全能感を持った遊びでした。


 あの頃の私に出来ぬものはありません。


 些末なことに成績も優秀でした。

 全く、随分と傲慢な人間ですが、時々世渡りが良いことは痛感しました。


 そしてそれは、その時に覚えた違和感でした。

 人生は一切皆苦だとお釈迦様が仰いますが、それとは無縁。


 いえむしろ、その言葉それ自体のどちらかでしょう。

 苦しみのない、達観とはまことつまらぬものです。


 何を隠そう、私を満たしてくれたのは苦しみなのでした。


 理解出来ぬ苦しみ、恨みつらみ、それらが私に襲いかかった時、それは意義を与えるのです。


 それに解放されるカタルシスはその時にしか生まれ得ぬ、まさに奇跡の所業でした。

 運動をされている方なら、分かるかもしれませんが、苦しい練習の後、その技ができると嬉しいものです。


 その積み重ねが、人を成長させるカタルシスそのものなのです。

 ですからもう遅かったのです。


 学生の時分では既に。

 遅いと言っても知っていれば止められたというものでもございません。


 いわば私の本能や機能はここまでということですから、潔く受け入れるしかないのでした。


 思うに、仏様も神様も、全知全能ではいらっしゃらないのではないかと。

 げにつまらぬものでありますから。


 いつしか私という者を飼い殺し、私をも操り、最終的にはただの器としての機能しか持たぬのなら、それは機械の中の幽霊という言葉がふさわしいのです。


 既に分かっている人間には全てが無駄でした。

 身内の不幸、友人との決別、恋人との破局、その全てが受け入れられるものでした。


 予想通りの結末、見た光景、見た風景、見た出会い。

 そんなものに人は心躍らされぬのです。


 私の苦しみの尺度は既に決着が着いているも同然。

 一切皆苦とは名ばかりの予定調和に思えました。


 仕事も出来ます、家事も出来ます、友人や女性などの人間関係で困ったこともありません。

 健康優良、精神安定、誰もが欲しがるこの人生はなんの意味も無い代物だと、今になって思います。



 ***



 ――さて、くだらないことですが、この苦しみは永遠と続くものではありません。

 ええ、死んでしまえば終わりますから。


 ですが、終われません。

 苦しみのカタルシスを感じることは、乗り越えることです。


 乗り越えるには、『生』が不可欠です。

 私はそれにしがみついて、もがかなければならない。


 私はこれが私の生きる意味になることを切に願いますから、これには必死です。


 ですがもがくときは、その背に重りがつきますから一筋縄ではいきません。

 今まで以上に学問に励み、仕事をこなし、古今東西あらゆる地へ赴きましたが得られるものといえば想像の範疇に過ぎませんでした。


 つまりはまだ楽しめるものでした。

 終わらぬ旅、という感覚でしょうか。


 苦しみはもはや苦しみのままでは居られず、輝きを増すばかりでした。

 私にはそれが垂涎ものでした。


 私の人生をかけた快楽を一合で斬り伏せる苦しみがあるとすれば、そのカタルシスは天を穿つものでしょうから。

 思いも一入です。


 ただ、困ったことにそれは私を付いてまわり、逃げても逃げても追いかけてきました。


 一時も離れることが出来ないのです。

 苦しみという快楽は、一度自覚すると、それを超えるまでは、延々と付いてきました。


 私は苦しみと快楽に押し潰される思いでした。

 どうすれば、良い結果に終わるだろうか、どうすれば私は良い道をゆけるだろうか、そう考えているうちに一つ余計な壁にたどり着きました。


 突然、恐怖が芽生えました。


 苦しみも、快楽も、私自身から生まれるものだと気づいたのです。


 いえ、馬鹿馬鹿しい話ですが、苦しみや快楽というものは、元からあったのではなく、生み出されたものでした。


 つまりは私が居て、考えて、初めて認識したという体を成したプロセスを、我々は発見したと表現しているのです。


 ですから世の中の全ては、私が生み出していたのでした。

 すると苦と快は喉元を過ぎ、ついには口元への侵入を許しました。


 吐きました。

 私は私の上で踊らされていたのです。


 苦しい時間も、乗り越えた快楽も、私は予定調和に過ぎませんでした。

 その行為自体が、壮大なまでの運命に縛られる奴隷の様相を示します。


 ついに私は飛び出しました。

 雨の中でした。


 何処にも反射しています。

 してやったりという顔が浮かびます。


 あそこにもここにも。

 あなたはずっと分かっていた。


 私がここにいて、あなたもここにいることを。

 なのに黙っていた。


 これを味わうには、この方法しかないことを知っていたからです。

 私を苦しみで苦しめず、快楽によって苦しめるのは己で計画した忌まわしき悪でした。


 降りしきる雨の中傘もささず、脇目も振らず、ついには鏡や窓、見える全てを乗り越えて辿り着いた山間に、私はひっそり息を潜めました。


 平静を取り戻しました。

 いえ、私のではなく、苦しみのです。


 苦しみは快楽を通り過ぎ、私に代わりました。

 私はあなたを得ましたが、これで全てを失ったと表現するには十分でした。



 これで私は苦しまずに済むでしょうか。




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