この愛に課金はつきもの。だけど無償です。
ちょっと情緒バグってて、
ステージの光と現場落選通知の狭間で生きる、愛と消費と供給の物語。
さあ、キラキラと地獄の交差点へどうぞ。
推しが今日も生きてる。
その事実だけで、とりあえず私は呼吸を継続できる。
現場?落選。全滅。復活もなし。
だけど今朝、雑誌で見た推しの笑顔は、
かすかに右目が腫れてて、
「寝不足…?昨日、収録深夜までだったよね…?」
って、私の中の医療従事者人格がそっと目を細めた。
アプリ通知が鳴る。
Johnny’s Web更新。
“〇〇のひとこと日記”
1行。それだけでファンは生き返る。むしろ解剖可能。
「今日は寒いね〜」って、それだけなのに、
「“寒い”ってことは、誰かに温めてほしいっていう潜在的欲求では…?」とか
大学時代、ゼミで培った考察力を最大出力で注ぎ込む。
論文?書けないけど考察ツイなら3000字余裕です。
ライブ円盤。
予約済み。初回限定盤A・B、通常盤、すべて。
内容かぶってても問題なし。
パッケージが違う。歌声が違う(気がする)。
愛が違う。推しは推せるうちに、ですから。
周囲に言えない金額の遠征費。
貯金の代わりに増えるグッズ。
「自己投資だから」「精神衛生にいいから」って、
何回自分に言い訳してきたかな。
でも、推しが笑ってくれるなら、それでいいじゃん、って。
ねぇ、これって恋じゃなくてなんなの?
オタクって儚い。
でも、オタクって一途。
そして、ジャニオタって、つよい。
だって、毎年“推しのデビュー記念日”に泣けるんだよ。
この情緒どこで習得した?