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プロローグ:日本統制帝国誕生

 昭和40年9月、日本の上空に突如として光り輝く人型実体が出現した。

 凄まじい巨体を誇りながらもあらゆる観測波に捕捉されず、ただ人の目にのみ映った超自然的な上位存在。それは自らを統制者と名乗り、日本国民全員の精神へと直接語り掛けた。

 曰く『啓示けいじを授ける』のだと。

 意図や経緯、己のことを何一つ述べることなく、統制者は啓示なる言葉を残して消滅する。以後、人類の前に姿を現したことはない。

 だが事実として当時国内に暮らしていた全ての日本国民は、同時に特異な能力を発現した。

 本人が念じ求めた時、固有の現象が実情を以って世界に反映されるという、未知なる力。

 ある者は自由に炎を生み出し、ある者は氷柱を作り出し、ある者は雷鳴を呼び寄せ、ある者は障壁の如き力場を形成し、ある者は触れた対象の傷を癒す。一人につき一つだけ、任意に奇跡を行使し得る権能である。

 統制者の言葉を借りてそのまま『啓示けいじ』と呼ばれた力は、日本国民一人一人によって効用が異なり、当然のように社会へ未曾有の混乱を齎した。


 唐突に与えられた魔法とも超能力ともつかない異能、奇跡の支配と制御の御業は、多くの人々へ邪心を芽生えさせる。

 特に攻撃的な啓示は悪意を持って揮われた時、対処が難しく容易に被害を拡大させ、様々な騒動を引き起こした。

 全国で啓示を用いた犯罪や事件・事故が頻発し、世情不安が加速していく。政府の対応は後手に回り続け、法整備もままならず、公的組織は十分な機能を果たしたと言い難い。国家の舵取りが精彩を欠き、応じて治安の乱れが問題化していく中、民衆心理にも変化が生じ始めた。

 政府への失望に比して、強力な啓示を誇る者が次第にカリスマ性を発揮していき、その下へ敬服・同調した人々が集い、一個の目的意識でまとめられた勢力を形成していったのだ。

 それは町内の寄り合い所帯めいたものから、新興宗教団体であったり、反社会勢力の連合、或いは自衛隊を中核とする過激な思想集団まで幅広い。

 そして各勢力が全国で独自に台頭していくと、主義主張の対立から小競り合いが幾度となく発生。瞬く間に大規模な武力衝突へと発展し、戦火は日本全土に伝播していく。

 一度始まった争いは啓示という力に後押しされて激しさを増し、群雄が割拠する戦国時代もかくやの様相を呈した。

 血で血を洗う動乱の時代は、しかし長くは続かない。屈服させた敵対勢力を取り込み、数多の啓示を的確に運用し、強烈な指導力によって邁進する『新生帝国主義統制軍』が快進撃を示した為に。

 ある程度以上の規模を持つ勢力は、悉くが統制軍に正面から打ち負かされ、恭順を求め併呑されていった。

 逆らう者に一切容赦しない統制軍の冷厳さと圧倒的な覇権姿勢は、混迷を極める日本の中で強いリーダー並びに揺るがない統治機構を求める民心の支持を集める。また有用な人材は積極的に登用し、能力と働きに則した要職を与える実力主義体制も高い評価を受けた。


 昭和43年10月、全国に興っていた独自勢力を平定し終え、既に形骸化していた政府組織を武力で打倒し、統制軍が日本の再統一を完了させる。

 同年、天皇家を特別象徴としつつ、統制軍首脳陣が中枢機関として国政の委細を掌握運営する軍事国家『日本統制帝国』が誕生。

 統制軍団長『スメラギ 鋼輝コウキ』が初代統制帝国皇帝に即位した。

 また皇鋼輝の腹心であった四大幹部は、軍権を司る皇帝直属の最側近として四啓将軍に就任する。


 昭和44年1月、統制帝国歴1年。

 全国47都道府県は領名へと改められ、それぞれに帝意を実行する直轄軍令府が設立される。


 昭和64年1月、統制帝国歴21年。

 昭和天皇の退位に伴い鋼輝帝も退位。実子である鋼都コウトが第二代統制帝国皇帝に即位する。


 平成31年4月、統制帝国歴52年。

 明仁天皇の退位に伴い鋼都帝も退位。実子である輝陽キヨウが第三代統制帝国皇帝に即位する。


 令和8年9月、統制帝国歴60年。

 輝陽帝が大病により崩御。実子である太陽タイヨウが第四代統制帝国皇帝に即位する。


 令和10年10月、統制帝国歴62年。

 熊本領で療養中だった太河タイガ帝弟に謀反の嫌疑が掛かる。

 太陽帝は真偽を明らかとするべく帝弟を東京領帝城へ招聘。しかし帝弟は持病の悪化を理由に拒絶した。

 同年、熊本領軍令府が挙兵。太河帝弟を正統帝位継承者として掲げ、東征を開始する。

 太陽帝の命を受け四啓将軍が西進し、叛乱軍と岡山領で激突。

 四啓将軍は叛乱軍を破り熊本領まで進軍、太河帝弟を捕縛した。


 令和11年1月、統制帝国歴63年。

 東京領帝城まで移送された太河帝弟を、太陽帝が断罪。

 熊本領軍令府も連座により大粛清が行われる。

 叛乱の関係者に対して徹底的な狩り出しが行われ、処断された人命は熊本領全民の凡そ半分80万人にのぼる。


 令和13年7月、統制帝国歴65年。

 太陽帝の圧政に対して北海道領が異を唱えるも、叛逆の意思ありとして血の粛清を受ける。

 当初は善政を敷いていた太陽帝だが帝弟の叛乱以後、残虐な暴君へと変わっていった。

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