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リヴァイアトラウトの背の上で  作者: .六条河原おにび


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「誰よりも優先されるべき命って、なんだよ……」

 アルスは分かっていた。聞くまでもない。王都で目の当たりにしたではないか。そしてその恩恵を得たではないか。今更反発できないことだ。

「分かりました。でも、あの人のことを頼みます」

 俯いたまま、アルスはベラム教授を指す。

 そのうち、立ち眩みを覚えた。けれどもそれは立ち眩みではなかった。この岩室が揺れているのだ。セルーティア氏の眼差しに急かされる。

 アルスは杖の元まで走ると氏へ投げ渡した。人質にされていた島民に避難を促し、ビーデルくんの肩を叩く。

「ここはセルーティア先生に任せて、避難しよう」

「そんなこと、できるわけがない!」

 ビーデルくんはアルスを向くこともなく、その手を払う。

「セルさん、急いでください」

「分かってるよ」

 しかしビーデルくんを置いていくわけにはいかない。彼もほぼ無傷の状態で、自力で動けるはずなのだ。

「その方には防御壁を張ります。ですがセルさん。セルさんは入院患者です。防御壁を張れません。セルさんだけで避難してください」

 アルスの眉間には力が入る。彼は肩を落とし、項垂れ、脱出のための通路へ向かっていった。リスティと合流する。島民たちは弱っていたが、檻から出ると、互いに助け合い、手と手を取り合い、肩を貸し合い、腕を組んで避難していた。

 アルスのやることはもうなかった。リスティとともに外へ出る。日光を久々に見た気分だった。リスティはといえば、暗眼鏡を装着していた。彼女は物持ちがよかったし、彼女のほうが洞窟にいた時間は長い。だが、暗色の透鏡を隔てても、まだ彼女は目を(すが)め、明かりを眩しがっていた。

 アルスは彼女の横顔を不貞腐れたように眺めたあと、島民たちの集まりには寄らず、船のほうを目指していた。

「アルスくん、どこへ行くの」

「入院患者はおとなしく病院に戻ろうと思って」

 しかしアルスは呼び止められた。洞窟に入ったときに出会った島民の女性だった。深く謝意を述べられる。けれどもまだ、事は収束していない。そして収束させるのはアルスではなかった。それは彼自身、よくよく理解していた。

「人として当然のことをしただけですから。それに全部、セルーティア先生のおかげです。このあと多分、会えると思います」

 人として当然のこと……

 アルスは洞窟の口を振り返った。

「何、悄気(しょげ)てんのよ」

 背中を叩かれる。

「いや、別に、何も」

 地面が揺れた。低い音が足の裏から聞こえる。地響きが起こり、目の前に真っ暗な洞穴が歪む。足元が沈んでいくようだった。

 洞窟が崩れていく。

 島民たちは砂煙を真後ろにさらに遠くへ逃げていった。

「ここは危ないわ」

「うん」

 気の抜けた返事をリスティはどう受け取ったのだろう。アルスの腕を引っ張り、走る。ところが病院を抜け出した無頼の入院患者にはついていけなかったようだ。彼の脚は徐ろに回転を止める。

 砂煙は竜巻を起こし、洞窟を隠した。周辺の雑木林が風圧にざわめく。

 暫くすると岩山が見えた。砕けた岩の山が。

 呆然として、アルスはそれを見ていた。何のためにロレンツァへ行ったのか。何のためにテュンバロに来たのか。崩壊した岩山を見るためであったのだろうか。

 喉の奥が乾いていく。砂埃が目に沁みる。鼻にもだった。

 傍にいるリスティに何か言わなければならない気がした。ところが言うべき言葉が思い浮かばない。

「じゃ、探しますか」

 先に口を開いたのはリスティだった。

「探すって、何を?」

 暗眼鏡越しに視線を合わされる。彼女は無言でいた。アルスも待った。

「セルーティア先生よ。他に何を探すの」

「え、で、でも……」

 彼はとても楽観的にはなれなかった。

「結果がどうであれ、よ。ロレンツァのためにも、確定事項にしなきゃならないことがあるのよ」

 アルスはこの女性が年長者であることを思い出した。

「ロレンツァは要所だから、セルーティア市長の政敵は多いの。曖昧な姿勢がつまらない憶測を呼ぶってわけ」

 リスティが岩の瓦礫の山へ一歩踏み出したとき、ひとつ、瓦礫が砕けた。輝かしい柱が天を衝く。周りの岩が割れ、粉砕されていく。(やが)て砂塵と化した。そこにはセルーティア氏が立っていた。小柄な体躯の持主だというのに、肩にはベラム教授を担いでいる。ビーデルくんと賊たちもいた。

「無事ですか」

 まるでアルスたちのほうが危険地帯にいたかのような物言いだった。

「おかげさまで。それより、ベラム教授はどうなんです」

「今は気を失っていますが、そのうち目が覚めるかと思います。明日までに目が覚めない場合は……」

 長くなりそうなセルーティア氏の説明はビーデルくんによって阻まれる。

「何故、あんな奴等まで助けるんですか」

 ビーデルくんは勢いよく間に割って入った。

「負傷していたからです」

「あいつ等は極悪人なんですよ。この島の人たちを傷付け、住むところを奪ったんです!」

「僕にとっては負傷者だったということです。そのあとのことについてはお任せします。僕は査問委員会でも裁判官でもありません」

 氏は話は終わったとばかりにビーデルくんを避ける。

「あの悪党たちを見張っていなくていいの?」

 リスティが口を挟む。つられてアルスも賊たちを見遣った。奴等はすでにいなくなっていた。ビーデルくんはそれを知るやいなや、顔を蒼白にし、汗を浮かべていた。手は震えている。首魁の恐ろしさを目の当たりにしたのだ。無理もない。

「ビーデルくん。手伝うよ、オレ……」

「セルさん。いけません。危険です」

「先生はオレの言うことなんか少しも聞いちゃくれないだろ」

 アルスは氏の無機質な片目を真正面から受け止める。

「アルスくんがそう言うんじゃ、取立て屋のあたしもアルスくんについていかなきゃならないじゃない」

 リスティが腕を鳴らす。

「――その必要はございません」 

 セルーティア氏の肩に担がれていたベラム教授が身動(みじろ)いだかと思うと、顔を上げた。

「セルーティア助教授。お騒がせし、又、お手間をかけさせました。セル少年。それから船上で以前お会いしたご婦人。ここから先は私の務めです」

 ベラム教授は自力で立ちあがる。しかし目が眩んだようだ。アルスとリスティが同時に支えようと身を乗り出した。しかし教授は額を押さえ、それを制した。

「強力な魔凪(マナ)を使っての治癒術です。解毒に時間がかかります。暫くは魔術の使用は控えてください」

 そこに承諾の返答はなかった。髭の中に弱い笑みがあるだけだった。

「何をする気?」

 リスティの問いにも彼は答えなかった。

「ビーデルくん。後のことはすべて私に任せなさい。その代わり、大学は辞めることですね。君が自分で辞めないのなら、私が辞めさせます。君に国や街の税金や補助金を費やしてまで学ぶ資格はないようです」

 ベラム教授はどこかへ踏み出そうとした。しかしセルーティア氏も踏み出す。

「人は資格で仕事に就きますが、学ぶ姿勢に資格が要るのですか」

 アルスは眉を潜め、氏の揺れ惑う毛束を凝らしていた。

「要ります。少なくとも、テュンバロの大学は」

 ベラム教授はもう一度、教え子を振り返る。

「本島に戻りなさい。島民たちへの詫びは私がします。これはビーデルくんのためではありません。そんなお為倒(ためごか)しではないのです。本校と私の矜持(きょうじ)のためです」

 言い終えると、教授の表情は凍てついた。



 セルーティア氏が傷跡に苦しむ島民たちを放っておくはずがなかった。金魚と化した王子よりも目の前の傷病者を優先するような人物である。一人ひとり診察して回っていた。症状と今後の処置、処方する薬、自身の署名符号(サイン)を書き留めた紙片を配っている。

 アルスは氏を遠目に眺め、飽きると背を向けた。ベラム教授の消えた方角が気になりはじめる。島民たちに長いこと詫びた後、舟以外の帰り道があるかのように島の奥へと進んでいったのだった。

 しかしベラム教授は引き返してきた。蹣跚(まんさん)とした足取りだが、怪我は増えていないようだった。

「ベラム教授!」

 駆け寄っていく。けれども足を止めてしまった。

「いやはや、いやはや、セル少年。情けない姿をお見せしてしまいましたな」

 教授は笑っていた。

「何か、あったんですか」

 しかし楽しくて笑っているのではないようだった。髭面と、その奥にある道の先とを交互に覗く。

「物事には、解決か、決着が必要なのですよ。この言葉の意味は、無責任なことですが、今はセル少年に委ねます」

 肩に手が置かれた。懐かしさがアルスのなかに爆ぜた。城にいる親代わりの口煩い爺が目蓋の裏を過った。

「先生」

「おや、先生などと」

「あ、いや、ベラム教授。帰りましょう。セルーティア先生は多分明日まで、明日ということは明後日まで動かないようですから……」

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