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リヴァイアトラウトの背の上で  作者: .六条河原おにび
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「ビーデルくんの――知り合いの声が確かにしたんだけど」

 室内を見回す。この部屋には、リスティとセルーティア氏がいたのみで、ビーデルくんもベラム教授もいる気配がない。

「隣の部屋から声がしたわね」

 リスティの後ろからセルーティア氏がアルスの元へやって来る。

「セルさんは入院患者です。安静にしていてください」

「知り合いがこの島から帰ってきていないんです。見つけられるまで帰れません」

「分かりました。ですがセルさん。ご自身の立場をよく考えてください。今現在、この国にとって誰よりも重要な身の上にあることだけでは覚えておいてください」

 アルスは杖を帰す。しかし氏は手を伸ばさない。

「セルさんが持っていてください。まだ安全とはいえません」

「でももしオレの身に何かあったら、セルーティア先生は何よりも最優先にレーラを治してくれるんですよね」

 橙色の瞳がアルスを捉えた。

「行くわよ、アルスくん」

 リスティは溜息を吐き、居間を出ていった。しかし戻ってきて、アルスを引き摺る。分岐点に差しかかる。別の通路へ進む。居間の通路よりも幅が広く造られていた。彼女は立ち止まり、後ろを歩いていたアルスはその背中にぶつかる。

 鉄錆びの匂いと饐えた匂いがした。鉄錆びの匂いは鼻血が出ていたためであろう。しかし饐えた匂いの正体は分からなかった。腐った生肉の匂いにも似ている。

「何?」

 前方を覗く。台として切り出された岩の上に、茶色とも赤色ともいえない大きなしみがあった。壁際に並んだ木箱には肉とも蛞蝓(なめくじ)とも判じられない水気を多分に含んだ物体が盛られている。蠢いている。生き物だろうか。否、虫が湧いている。

 セルーティア先生は臆せず、台の上の汚れを指で (こそ)ぎ取った。

「やっぱりそれって……」

 リスティの声は平生(へいぜい)よりも低かった。

「血です」

「血?」

 アルスは場所も構わず叫んでしまった。これから進むべき道は松明のひつも点いていなかった。恐ろしいものが、この先に潜んでいるようだ。氏の杖を握る手が慄く。

「まだ新しいんですか」

「いいえ」

 安堵とはいえないが、ビーデルくんではないようだ。

 リスティはアルスを振り返る。

「これから先は、子供には目の毒かもしれないわよ。知り合いってどんな子? あたしが見つけ出してきてあげる」

 彼女の表情はしかつめらしい。音吐も普段とは異質であった。友人だと思っていたが、彼女自身は保護者のつもりでいたのかもしれない。

「大丈夫。オレも行くよ」

 アルスは後ろのセルーティア氏を顧みた。しかし氏はすでに2人を置いて暗い隧道(ずいどう)へ進んでいる。

 松明は消されたばかりのようで、焦げ臭さが残っていた。

 アルスたちがついてくるのを認めると、セルーティア氏は尖筆に燈火を点した。見えなくても良かったものが視認できるようになった。通路にはいくつも小部屋が掘られていた。そして仕切りとばかりに格子がかかっている。中には人がいた。項垂れ、座っている。1人ずつ、或いは2人ずつ、狭い空間に収まっている。裸に近い身形で、姿勢といい、肌や髪の艶といい、健やかな状態にはないようだった。

 セルーティア氏は興味を示したようだ。格子の奥で身体を小さくしている人物の視線に合わせて屈み、動かなくなってしまった。

「先生……?」

 アルスは氏の様子に気付き、傍へ寄る。

 明かりが小部屋を照らした。部屋の主が顔を上げる。削げた頬に暗い影を落とす。肌は毛羽立ち、唇は乾涸びて色が悪い。

 氏は真っ直ぐに囚われ人を見詰め、脇にいるアルスの存在も忘れているかのようである。

「手術をされているようですが、正式な医療機関で施されたものですか」

 アルスはこの問いによって、先程会った女性のことを思い出した。彼女の脇腹にも、稲光に似た縫合痕があった。

 囚われ人は黄ばんだ目を向き、ただでさえ乾いた唇を風化させるかのごとく呼吸を激しくした。

「セルーティア先生。その質問の意味するところは?」 

 リスティも檻の傍へやって来て問うた。

「まったく素人の縫合とは思えませんが、処理が杜撰です」

 氏はリスティに答え、また檻へ向き直る。

「包帯や当て布があるはずですが、ご自分で外されたのですか」

 囚われ人は答えなかった。呻きはじめ、啜り泣く。

 代わりに、別の檻から返答があった。島民は脇腹の手術を受けるのだという。そしてその手術を受けた者は「和獰(オド)」を使えなくなるのだという。

和獰(オド)って何?」

魔凪(マナ)のことです」

 リスティに訊ねたが、セルーティア氏が答えた。

 島民の話はまだ終わらなかった。この島を牛耳る"王族をお守りする王都兵長"なる人物がいかに"お偉く"、"お強い"か。テュンバロから支給された人工クリスタルを回収したこと、突然村を焼かれたことを涙ながらに語る。

 セルーティア氏は立ち上がる。そして暗い先の道を向いた。

「"王都兵長"というものは王都にはありません。王都にあるのは王囲憲衛警備隊です」

 氏は冷淡だった。向いたほうへ歩きだす。

「ビーデルくんって知ってますか」

 訊きたいことは手術のことではなかった。島民ならば、ビーデルくんの安否を知っているかもしれない。

 するとまた別の檻に囚われた人物が、村はビーデルくんのために焼かれたのだと話した。そして次から次へとビーデルくんへの恨み節と悲嘆が投げられる。

 なかには目撃情報もあった。彼はこの先にいるようだ。さらには身形の良い中年男性も連行されていったらしい。おそらくベラム教授だろう。

 アルスは氏の背を追う。目的は決まった。しかし狼狽(うろた)えてもいた。ビーデルくんは嫌われていた。憎まれていた。島民は彼に裏切られたのだと口にしていた。彼はこの島を救いたかったのではないのか。けれども結果として巻き込まれ、実害に遭ったのは島民だ。

 気の利いた一言でもかけられたならばよかった。彼等が救われ、助かったならば、ビーデルくんの努力は報われるはずなのだ。しかし言えなかった。とても言えはしない。

「アルスくん。あたしが先に行くわ。危ないから。入院患者さんは後ろに控えていてちょうだい」

「いや……でも」

「そうしてください。セルさんは今現在、王都にとって最重要人物です」

 彼の歩みは遅くなる。その脇をリスティが通り抜けていく。

 さらに進んでいくと、大部屋とばかりの檻と突き当たる。十数本の松明が焚かれていたが濃い影を落として中は見えなかった。しかし人の気配は感じとれる。首魁(しゅかい)はそこにいた。島民を一人、腕に抱いて、その首元に大剣を添えている。

「それ以上近付くと、こいつの首を斬る」

 副業の土木作業の傍らの舞台演劇で聞いたことがある台詞をそのまま聞いた。実際は迫力がない。威勢こそあるが、緊張感がない。

「あなたがたの組織に、医業の心得のある者がいますね。どなたですか」

 セルーティア氏が口を開くと、格子に奥から何者かが透けて見えた。ビーデルくんだ。

「そんなことを訊きに来たのか」

「今現在の目的はそうです」

 氏とは最初から目的が違っていたらしい。

「そんなことを訊いてどうするんだ」

「手術をする技量にありません。即刻やめさせてください。処置も杜撰です。たいへん不衛生で感染症になってしまいます。テュンバロ市長に通告するべき事案ですので報告させていただきます。会わせていただけないのであればそうお伝えください」

 首魁は嗤う。

「てめぇ、誰に指図してやがる。いいか、そいつはな、お前等お頭のいい連中が、出世のために切り捨てた学者だよ。この設備であれだけの人数切ったんだ。大したもんだろ。質問には答えたぜ。帰れ」

「待って、待って。誰が手術したかなんてオレはどうでもいいんだ。島民を解放してほしい。それだけ」

 アルスはリスティを追い越し、セルーティア氏の横に並ぶ。のみならず、半歩前へ出た。

「いいだろう」

 要求はすぐに通った。しかし誰も、島民を解放しにいこうとはしない。目的は果たせるというのに、要求した張本人も悠長に立ち尽くしている。

「島民は解放してやる」

 あとは島民たちの収容されている檻を開き、彼等を焼け焦げた集落に帰し、小舟に揺られ、日が暮れる前にテュンバロへ戻ることができるのだ。けれどもアルスは動こうとしない。

「島民たちの手術が済んだからか!」

 格子に縋り、ビーデルくんが叫んだ。

 セルーティア氏がそのほうを見遣った。

「そいつは島民から冥肝(めいかん)を切除していたんです」

 アルスは島民たちの脇腹に走る縫合の痕を思い出していた。そして四つ這いで歩かされていた女性のことを思い出していた。切除されたというのは、おそらく臓器だ。

 彼の病衣の背には冷えた汗が滲んでいく。

「冥肝を切除して、どうしようというのです」

 氏は檻から首魁へ片眼を向ける。

「オレ様がもらう。そしてオレ様が最強の、この国の王になるのだ!」

 この国の王。アルスは耳の孔に綿を詰め込まれたような気分になった。この国の王になるために、島民を蹂躙したというのか。この国の王というものに、果たしてそれほどの値打ちがあるのだろうか。

「冥肝を人からもらい、それで何故、王になれると考えているのか、その論拠をお聞かせください」

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