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リヴァイアトラウトの背の上で  作者: .六条河原おにび


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「いいえ。ついでに野暮用を頼んでもよろしいですかな」

 繕うように浮かべられた胡散臭い笑みで、(はぐ)らかされているのが分かった。しかし突き放さなければならない事情があるのだろう。アルスも然り。何も察してはいないふうを装う。

「はあ、どうぞ」

「釣りは得意ですか」

「趣味程度にはやりますが、釣果(ちょうか)には期待できません」

 訊ねながら、学者は虚空に手を翳し、釣具を出現させる。

「またまたご謙遜を。趣味ということは、上手いということですな」

 異論は認めないらしい。彼は集めた貝殻も置いて、やって来た学生を走り去っていく。

 アルスは離れていく2つの背中を見送っていた。何を釣るのかろくな説明はなかったが、適当な用事を言いつけておきたかっただけなのだろう。彼は岩場を慎重に渡り、岩壁の端を潜り抜け、岬の下に出る。目の前は2分割。(さざなみ)の音を聞きながら、少しの間、潮風に曝されていた。ロレンツァでは交響楽団の演奏が波の音を阻み、街衢(がいく)を吹き抜けてきた風には香辛料の匂いと観光客たちの温気(うんき)が混ざっていた。苔や黴を強調する純白の建物に、錆の目立つ黄金色の装具。ロレンツァは街並みこそ立派だったが、アルスはテュンバロの海のほうが好きだった。今はまだ、海から陸へ風が吹いている。

 魚影を透かすほど澄んだ海水へ釣糸を投げ入れると、後は待機。釣りは自己流だった。集中するのは難儀だった。糸への注意は散漫していく。ロレンツァでの出来事を思い返し、そのまま王都での出来事へ引き続く。己の選択を顧みてしまう。仮想へ期待を抱き、現状に不安を膨らませる。しかし我に返ると、そこには長閑(のどか)な景色が広がっている。王都では城が崩れ、王子が仮死状態にあるというのに、焦燥も戸惑いも、広大な空と海に奪われていくようだった。自発的に生じていた感情を、今度は自らの意思によって取り戻そうとすらしていた。そうでなければ、いつかリスティにこぼしたように、テュンバロへ、或いはまだ見ぬ土地へ身を隠してしまいたくなる。

 釣糸が引かれる。魚が食いついたのだ。竿を振り上げる。釣れた。板金製の魚籠(びく)に移すと、黒い魚が回遊する。水質と釣餌がいいのだろう。釣りは得意ではなかった。

 釣りは得意ではなかったが、城が崩壊した日、緋鮒が釣れた。そしてそれは王子の魂を宿していた。王子はアルスのこの趣味を知っていた。残酷な話だ。緋鮒に意思があるなどとは。

 魚籠に入った魚を見遣った。食用か実験用か。

 やがて彼の意識は果てしない空と海に拡散されていった。ぼんやりとしながら魚を釣る絡繰(からくり)人形と化していた。しかし無心でいるのも、長くは続かない。次々と釣れていく魚。何も考えず、餌を括りつけ、糸を垂らす。セルーティア氏も、怪我人や病人を前にして、こうなるのではなかろうか。氏を理解しようとした。だができなかった。不満が湧いたまま解消されることはない。

 苛立ちながら魚を待っていると、糸が水面ごと揺れた。白波が混ざる。白波は粗くなって押し寄せる。アルスは顔を上げた。あの学者を乗せた小舟が、離れたところに停まっている。人工クリスタルの力で稼動する、魔動小舟だ。

 学者は舟の上で両手を振っている。砂浜に来た学生も一緒だ。

「少年! セル少年!」

 大声を張りあげている。アルスも手を上げて応える。

「人探しを手伝ってはくれませぬか!」

 承諾を身振り手振りで伝える。学者は舟着き場の方角を指した。そこで合流するつもりなのだろう。

 重くなった魚籠を片手にアルスは海辺に踵を返す。

 合流した学者はさらに顔色を悪くしていた。

「緊急事態ですか」

「ええ、ええ、そうです。おそらくは……おそらくは……確定的ではありませんが……」

 (ども)り、目は泳ぎ、手は忙しなく意味のない動きをする。

「一体誰を探しているんですか」

 学者は目を逸らした。

「ビーデルという、私の元教え子でして……」

「元教え子を探せばいいのですね」

「この街にはいません。おそらく、いないでしょう。詳しくは舟の上で……離れ小島まで、ご同行願えますか」

 セルーティア氏とリスティのことが浮かんだ。しかし氏には、王子を優先しようとする気配がない。

「いいですよ」

 大人が5人も乗れないような、小さく脆げな舟だった。アルスは座っていたが、学者は落ち着かない様子で立ったり座ったりしていた。

「まず……私の能力ではセルーティア氏には到底及ばず、何人かの研究生たちが私の研究室を去っていたことは、先程お話しましたね。そのうちの1人が、ビーデルくんです。今から向かう島で、民俗学をやるとかやらないとか聞いていたのですが」

「セルーティア先生の力に及ぶ人のほうが、少ないですよ……」

 返ってくるのは卑屈な微笑であった。

「それで、そのビーデルくんというのが、現地調査(フィールドワーク)をしてる村に、何か迷惑をかけているらしくてですね」

「迷惑とは? 火遊びとかですか」

 溜息が返ってくる。それを話すのも我が恥だとばかりである。

「その話をするには、まずこの話をしなければなりません。王都の方には大変言いづらい話ですが、島には……凶賊といいますか、王都の安寧が行き届いていないのですな。島の村人に、恐怖政治を敷いているわけです」

 アルスは眉間に皺を寄せた。戦争はもうない。飢饉も史書の話だ。

「それは、ずっと放置されてきたことですか」

「四方が海ですからな。都から離れ、閉ざされた土地ですから、横も縦も繋がりが深く、狭い関係ですから、漏らすことは赦されないのでしょう。そしてテュンバロの地域という扱いですから、そんな精霊司定都市でそんな横暴があるとは想像がつきにくく……」

 アルスは話を止めた。

「あの、精霊司定都市ってなんですか」

 ロレンツァも、精霊司定都市だという。

 学者は不思議そうにアルスの目を覗き込む。

「"精霊の恩恵を優先的に供給する人口の多い都市"と教科書には書かれていますが……」

 低まった声に疑惑が滲む。

「ああ、すみません。四則演算も危ういくらいなので……でも、王都というものがありながらそんなことが…・・・」

「王や王子も、津々浦々に目があるわけではございません。島に潜入する(よし)もありませんでしょう。テュンバロの市長に対する義理もありますでしょうし、況してや王族の方々が視察に来るような島ではございませんよ。で、話が逸れましたが、その迷惑という話ですが、凶賊を討ち倒そうと画策しているようなのです」

 アルスは思ったことと裏腹な返事をした。

「危険ですね」

 住民を踏み(にじ)る悪党を倒す。それの何が問題だというのか。勇敢な話ではないか。

「はい。もし危険な目に遭うのが彼一人なら、それはもう半分、自己責任と言い捨てるほかありません。彼は最早、私の教え子ではないどころか、うちの大学の学生ですらないのですから。しかし、私が危懼(きく)してるのは、彼が島民を巻き込んでしまったときのことなのです。現地の人には現地の人の事情や仕来(しきた)り、文化があるのです。そこに現在の自身(あなた)の価値観や立ち位置で首を突っ込むな、と私は口酸っぱく説いてきたつもりでありました。しかし私のそれが彼に届かなかったばかりか、他の人を巻き込んだのだとしたら、私の責任も同然です」

 学者は嘆息し、項垂れる。

「行政の、仕事ですね……確かに。学生のやることではないです]

 アルスはばつが悪くなった。外方を向こうとしたとき、膝に乗せていた手を突如ひとつに纏められた。そして冷たく乾いた手に握り締められる。

「ビーデルくんと同年代の貴方には理解されないことだと思っていました。それでも部外の者に頼ることで内々で済ませようという私の情けなさが、私は恥ずかしい。(かたじけな)い。理解を示してくださり、感謝いたします」

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