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リヴァイアトラウトの背の上で  作者: .六条河原おにび


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 王族クリスタルは王都の水路のどこかへ消えてしまった。セルーティア氏ごと。そしてそこには2人の

民間人が共にいることも。アルスはすぐにガーゴン大臣にそれを伝えたあと、膝を折るようにして倒れてしまった。魔凪(マナ)によって起こされた異常気象は彼の内に埋め込まれた帯魔計にも影響をしていた。彼は負傷者であったし、もともと魔凪を蓄えられる体質ではなかったのだ。埋め込まれている帯魔計は医療用器具ではなかったし、本来の用途からも外れ、常時彼の回復に動き続け、許されている以上の負荷もかかっている。

 体力はある程度戻ってきていた。帯魔計の摘出手術が行われたらしいが、それは彼の意識のないときのことであった。

 目を覚ましたとき、外には雪が降っていた。やはり異常である。病室には誰もいない。いくら王都にとって、ロレンツァにとって重要人物といえども捜索ができる状況ではないのだろう。

 幼馴染には嫌なものを見せてしまった。そして情けない姿も。気遣うこともできなかった。その答えが、この無人の病室か。

 後悔に苛まれた。野次馬などするべきではなかった。しかし自身があの場に居合わせなくとも、事は変わらなかったのではあるまいか。彼は考えてみたが、結局分からなかった。しかしひとつ、やはり分かるのは、王子に成り代わるのを渋ったゆえに、王都には異常現象が立て続けに起こっている。噂に聞いたことがあるだけの、綿埃みたいなものを彼は窓から見ていた。冷たいそうだ。触れると溶けるらしい。鳥が上空で惨殺されて、羽毛が落ちてきているようだった。

 長いこと雪を眺めていると、傷が痛んだ。一度開いて縫ったばかりの傷が疼いている。しかし鎮痛剤が効いていた。激痛ではなかった。痺れるような、気を散らすような痛みであった。だがそれが幸いであった。王子を見捨て、王子にならなければならない。王都はこの異常事態におそらく耐えられないのだろう。それ等を忘れさせてくれるのだから。城仕えの偉い官吏が考えるべきことだ。

 沈黙は相談室のようだった。王子に成り代わる覚悟はなかなか決まらない。ただ、そうなるほかないという諦めと、なるかも知れぬという可能性を視野に入れるので精一杯であった。この現状を目の当たりにしても、自ら王子に成り代わろうとする高潔な気概など持てはしなかった。湧いたとて、長続きはしないのだろう。そのときの義憤と正義感は、爆発的に燃えて呆気なく燃え尽きるのだ。

 アルスはガーゴン大臣を待った。だが待たなければすぐにやって来るあの男も、待つとなると途端にもったいぶるのである。否、次々と王都を襲う異変に忙しいのであろう。役目を背負いながら務めを果たさず、のらりくらり、のうのうと生活を変えずに過ごしている者もいるというのに……アルスは卑屈になった。

 雪をかぶったガーゴン大臣は、日が暮れた頃にやって来た。傍へ近寄る大臣の衣服についた白い粉末へ、咄嗟に手を伸ばした。彼は初めて雪に揺れた。指と接した瞬間に消えてしまう。噂に聞く冷たさも知覚できない。その量では実体のない綿埃と何ら変わらなかった。

「具合はどうだ」

 雪はすぐに解け、ガーゴン大臣を濡らした。病室には暖房が焚かれている。異様な光景であった。

「悪くはないですけど……」

 待ち焦がれた訪問だというのに、語尾は消え入り、躊躇いがちであった。ここで言わなければ、生半可でも、決着した覚悟が跡形もなく崩れ去るだろう。けれど口にしてしまう勇気も、また出ないのである。

「今はしっかり休め」

「寝ているときでもしっかり頭を働かせるのが、血税食みの矜持(きょうじ)ですよね」

 ガーゴン大臣が温もりのある人間よろしく苦笑するのから、彼は顔を背けた。

「入院するほどの怪我人が寝もせず休みもせず考えた意見に耳を傾けろと言うのか」

「ベッドの上も案外暇なんですよ。だか色々思いつきます。ときにガーゴン大臣……レーラに、会わせてくれませんか」

 (つみ)のない雑談は終わってしまった。ガーゴン大臣に高官の面構えが戻る。

「会って、どうする」

「会ってから決める、じゃ、満足のいく答えではないのでしょうね」

「アルス。お前には幼馴染でも、国にとっては大事な御方なのだ。本来ならば、そう易々と会える相手ではないのは分かっているな。相応の理由が要る。ただ幼馴染に会いに行くから、というわけにはいかない」

「でも棺の場所を当てたの、オレでしょう」

 卑怯な手を使った自覚はあった。彼は偽悪的な笑みを浮かべた。

「頑なに言わないつもりか」

「吐いた唾を探し出して舐め回して呑んでもいいなら言うんですけどね」

「手筈を整えよう。だがアルス、すべてを背負い込もうとするな。王子には官吏がついているのだ。それはお前に然り。だから私がいる。相談は必要なのだ、何事にも」

 彼はまた歪な笑みを返す。

「オレのことは、王子に成り代わるかも知れないし、成り代わらないかも知れない人間とだけ見てくれて大丈夫です。その覚悟は、多分、レーラの顔を見なきゃつかないんです」

 王子の成り代わると自ら志願したとき、同時にレーラという幼馴染のことは諦めなければならないことを意味する。

「本当にそのつもりがあるのなら、すぐにでも手配しよう。しかし、しかしだ、アルス。会ってみたところで、そこに答えはないかも知れないのだぞ」

「ガーゴン大臣はオレを王子にしたいんじゃないんですか」

 ガーゴン大臣はやって来て早々、城へ帰ろうというところだった。

「アルスよ、人には立場がある。道理と相反した感情を、同時に抱かねばならないことも多々あるのだ。大臣として、お前には王子になってもらわなければならない。しかし一個人としては……養父になっていたかも知れぬひとりのしがない爺いの意見としては、王都のひとりの若者として生きていける権利がどこかにあるのではないかと……」

「無いです。血税で育ったんですから。帰り、気を付けてください。得体のしれない綿埃が降っているみたいですし」

 待ち焦がれたはずの来客の滞在時間はそう長くはなかった。扉が閉まるまでアルスは見送っていた。いつもより辺りは静かだた。彼は咳をするように背を丸め、小さく戦慄いた。


 王子との一方的な面会が許された。便りで来た。ガーゴン大臣に話して一夜明け、昼過ぎのことであった。アルスは変わり果てた王都の中を歩いていた。見慣れた街衢(がいく)は白銀に煌めいている。すぐに消える綿埃が(うずたか)く降り積もったらしい。あちこちからちょろちょろと頼りない潺が聞こえる。場所によっては泥と練られて汚く見えた。最初は物珍しく思っていたが、やがて穿いているものを濡らし、裾の色を変えている。そのうちに脹脛は痛みと痒みを覚える。城のある北へ向かって土地が高い。傾斜がついている。アルスは北に向かわなければならなかった。階段は雪に覆われ、平生(へいぜい)の数倍、体力と時間を費やすことになるらしかった。いつもならば地を踏むたびに足の裏が留まり、次の一歩を出せるはずであった。だが地面を踏み締めているはずで、滑っている。王城の残骸を見上げて歩くと転ぶのである。久々の感覚だった。幼少期のことがふと甦る。当然のようにあった城は、いつまでもあるわけではなかったのだ。あれはアルスにとって、内側こそ権謀術数を巡らせた蜘蛛の巣であるが、外側からみれば平穏な日常の象徴であったのかもしれない。容易く辿り着いていたはずの場所が遠い。

 王都には王子が要るのだ。

 雪に対する興味は疾うに失っていた。見るのも飽きた。邪魔でしかなくなってしまった。皮膚に噛みつくような冷たさに耐え、進んでいく。防寒具なの用意していなかった。

 道の途中で、潰れた小屋を彼は目にした。立ち止まった。王都には王子が要る。人々が小屋から、次から次へと白い塊を引っ張り出して放り投げ、小丘を作っている。雪と思しきそれは目を凝らしてみると妙に毛羽立って尨毛めいて見えた。鶏の死骸の山だったとは、あと数歩近付いてから分かった。

 アルスはぼんやりと白い死骸が積まれていくのを眺めていた。王都はこの異変に耐えられない。耐える必要はない。王都には王子が要る。

 彼はただでさえ通行に難があるというのに、わざわざ遠回りすることを選んだ。城前広場へ、その足は向かっていた。巨大魔人の事件の後、天幕は少しずつ減った。周辺の診療所の受け入れ態勢が整ったようだった。まだ負傷者を動かせないでいるらしい鮮やかな天幕が雪に拉げて佇んでいる。

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