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リヴァイアトラウトの背の上で  作者: .六条河原おにび
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欠伸をするように長い首を仰け反らせ、嘴の狭間に魔光を溜めるのだった。この鳥の前で、アルスのできることはつまり、何もない。かといってこのまま畑を荒らされるわけにもいかなかった。彼は帯魔計を巨鳥へ翳してみる。けれども何も起こりはしない。嘴からはふたたび光線が放たれ、土が掘り返される。アルスは一旦、畑から退くことにした。街道には人気(ひとけ)がない。脇にのけられた石を拾い、投擲(とうてき)する。大きな個体であった。狙いを定めれば容易に当たるのだった。

 巨大な鳥が存在することは聞いたことがあるが、それは王都近辺に棲むものではないし、この鳥はおそらく(しゅ)の問題ではないのだろう。突然変異なのだろう。港町でみたイカと同じように……

 鳥は羽搏(はばた)くのをやめた。畑へと降り、首を伸ばしてアルスを突き殺そうとした。転がって逃れる。

 彼は続けざまに石を投げた。空飛ぶ怪物は甲高い鳴き声をあげる。耳を(つんざ)き、頭を割るような咆哮である。

 そのうち王都はこの異変に気付くだろう。そして王子が棺のなかにあることも露見してしまうかもしれない。それは王子にとって幸となるか、凶となるか。或いは王都の人々にとって。

 転がって避けたアルスが防御体制に入った途端、嘴はその位置を把握し勢いよく啄ばんだ。咄嗟に着地する場所を逸らしたことで間一髪、躱すことができたけれども、短剣が弾き跳んだ。手の甲に痛みが走る。隙を作ってしまった。嘴で突き殺すことの叶わなかった獲物に苛立ったのか、鳥は長い首を振りたくり、自身よりも小さな生き物を薙ぎ払った。逃げるにも逃げ切れず直撃する。彼は吹き飛ばされ、あとは国を左右するという石飾りごと餌食になるだけだった。ところがアルスが餌となる前に、鳥は一刀のもとに斬り捨てられた。暗いなかに駆けた一閃を彼も目にしていた。巨体の倒れる音を聞く。土と血の匂いが風に乗せられてアルスの鼻腔へ運ばれてきた。

 怪物を倒したのは誰だったのか。鍛錬場へ行く道ですれ違い、ランタナ師匠の伝言を届けた城勤めの女性である。手にしていた細剣を振り、外灯の明かりを拒む暗い色を払った。

「アルス様。お怪我をされていますね」

 巨鳥の死骸が当然のようにそこに横たわりながらも、彼女は(うやうや)しくアルスのほうを向いた。

「どうしてここが……」

 冷たい手に皮膚の裂けた手を取られる。

「申し訳ございません、アルス様。先程のご様子がいつもと違うようにお見えになりましたので、後を尾けてまいりました」

「あなたは?」

「王囲親衛隊第二課、階級を将星(しょうしょう)、名をルフィオと申します」

 つまり王子の護衛であるが、アルスは彼女を知らなかった。顔も初めて見た。

「そうだったんですね。知りませんでした」

「二課に配属されましたのも、将星になりましたのもつい昨日のことでございますから、無理もないことでございます」

 もしかすると、王城襲撃で落命した隊員たちの穴埋めのため昇進なのかもしれない。

 彼女は手持ちの物でアルスの手当てを済ませる。

「御令魚とは、お会いになれましたか」

 最初、彼は何のことだか分からなかった。微妙な間を置いてから気付く。アルスはこの物腰の柔らかそうな印象の女にすべてを話す気にはならなかった。その理由は漠然としてはっきりしない。理由という理由もない気がした。だが、その穏やかそうな表情や空気感が胡散臭い。

「ええ、まあ。ガーゴンさんにまた新しいのが欲しいってわがままを言わなきゃ」

「城に戻られるのならお伴いたします。また恐ろしい怪物が出てこないともかぎりませんから」

「城には戻れるのですか」

 彼は何も知らないふりをした。

「南舞踏館に、皆様が(つど)っておられます」

「そうですか。じゃあそこに行ってみようかな」

 アルスはルフィオ将星を連れて南舞踏館へ向かった。大規模な建物は大人数を収容するのにちょうどよい規模である。

「アルスか。よく戻ってきた。

 厳めしい面構えがわずかに和らぐのが薄気味悪い。

「ただいま帰りました」

「女連れで」

 彼はそれをルフィオ将星のことかと思い、後ろを振り返ったが彼女はすでにいなくなっていた。将星といえども、この蝙蝠親父は苦手なのかもしれない。

「幼馴染の娘はどうする?隅に置けないやつめ」

 ガーゴン大臣の様子から、将星のことではないらしかった。リスティのことに違いない。彼女は無事ここを訪れたのだ。

「あの人は既婚者ですよ」

「既婚者は(まず)いな。場合によっては、あらゆる手を使って別れさせてもいい。お前は王子に成るのだから」

 ガーゴン大臣はアルスの鳩尾(みぞおち)の辺りを見下ろしていた。上着に隠れているが、そこにはセルーティア氏から預かった石がある。

「大臣。急ぎの話なんです。王子のことなんです」

 大臣はすぐさま彼に接近した。王子の話は他の者に聞かせたくないらしい。

「場所を変える」

 そして移ったのは、全壊や半壊を免れたものの、危険と判断され立ち入り禁止にされたアルスの自宅であった。彼はガーゴン大臣に経緯を話す。

「だから、自然公園法面の街道にある畑を掘り起こしてほしいんです。オレが昔、ランタナ師匠と喧嘩して、遅くまで帰らなかった……看板が落ちているはずで、きっとそこに……」

 険しい表情の融通の利かなそうな(つら)は簡単に合意しないだろう。

「オレは嫌ですよ。少なくとも、あらゆる手を使って、それでもどうしてもという話でないのなら。オレを王都から出すべきではありませんでしたね。王都は虚勢を張るので精一杯なんですね」

「観光地の権威主義にでも毒されたか」

「いいえ。王子に今から成り代わる器ではないとよく分かったんです。オレは税で食わされながら、平民同然に、しかしぬくぬくと平和で退屈な日々を過ごしていたいのです」

「誰もがそうさ。欲の大小はあれど、皆、そうしたい。ゆえに幸せの形というものを国が作り、格差を見せつけ、同じ方向に理想を抱かせて尻を叩かねば人の世は成り立たん。お前はその(いしずえ)にならねばならない。その密やかな欲は普遍的なもので、悪いものではない。だが人には生まれながらに背負い、果たすべく努力しなければならぬ務めがあるのだ」

 それは聞き慣れた小煩い説教とは違っていた。どこかアルスを上に見た、畏れを感じているような、(おもね)るような調子を感じるのだった。暴れまわる子供に疲れた親のような微かな媚びを。

「悔いなくそうするために、オレは王子を掘り起こせとお願いしているんです。セルーティア先生を連れて帰ってきたのはそのためです。小石を受け取るつもりなんかありませんでした。そこの窓から投げ捨てろと言われたら、今にもすぐに投げ捨てられます。大臣、これは預けます」

 アルスは首飾りを外した。しかしガーゴン大臣は後ろへ背を反らせた。

「手放すな。それは常に持主を選ぶ。恐ろしいものなのだ。そしてアルス、お前はそれに選ばれている。適合しているのだ。……分かった。畑の所有者を早急に割り出して、大至急暴くことにしよう」

「ありがとうございます、大臣」

「困った話だ。ただ、お前の望む展開にならなかったとしても、」

 アルスは食い気味に答える。

「分かっています。十分、承知していますよ。そのときは、オレが王子に成り代わり、この国の民草の(あまね)くを欺きます。そのために、親も家も何の才もない孤児がここまで不自由なく大きくなったのですから」

「その場合は養護施設で育ったはずだ。王都の機構を侮るな」

「そういうことにしておいてくださいよ。そうしてないと生きていけなかったんだって、必死に溜飲を下げてきたのに」

 彼は眉を下げる。頑固親父に労わりの心はない。

「少なくとも、この一軒家はなかっただろう」

「まぁ、いいでしょう。ところで、セルーティア先生はどちらへ行かれたか御存知ですか。王子のこと、オレからも改めて頼んでおきたいので」

「ヴァーミリオンクリスタル広場だ」

 城前広場の正式名称をアルスはやっと思い出した。

「そうですか。ありがとうございます。では」

「アルス」

「はえ」

 背を向けた直後だった。呼ばれるとは予期していなかった。間抜けな返事が出る。

「お前に王子に成り代わる素質がなかった場合は、私の養子になるはずだった」

 異様な衝撃に頭を殴られたような心地がした。目を丸くし、口を半開きにすることしかできなかった。上手い言い回しが、気の利いた言葉が浮かばず、声も出そうになかった。何も聞かなかったみたいに、彼は家を飛び出した。

 足だけは動いたのだ。

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