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妖峰戦記‐宝永の乱‐【第一部】  作者: ナマオ
第四章 猿山編
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第60話:切り拓く者たち

 宝永二十七年も終わりが近付き、日ノ本はすでに本格的な冬を迎えていた。五街道の一つに数えられる東海道とうかいどうも、この日は人通りが少なく、松並木が風に揺れる音が時々虚しく響くばかりである。そんな中を、大名行列さながらに進み行く一団があった。

 先頭で騎乗しているのは、三十代半ばほどの男。彫りの深い顔立ちで、豊かな栗色の髪は海面のように波打っている。まげを結ったとしても、大半の者は異人と見紛うであろう。

 彼らは、駿河国から遣わされた九鬼家の使者であった。

「はぁ~あ……絶対正月までに戻れねぇ~よ、これ」

「そう言うな。上手く行けば江戸で遊べるかもしれんぞ」

 後列の者が、敵地に居るとは思えないような、気の抜けた会話を交わす。

 幕府からの離反を表明している九鬼家だが、独立までの経緯を振り返れば、実は元から九鬼家に仕えていた者はごくわずかで、ほとんどは駿河出身である。幕府と一度も戦火を交えたことがないと来たら、こうなるのも無理はない。

 と、そんな旅行気分の彼らの前に、これまた旅装をした集団が現れた。

 三度笠に黒い外套をした十人の集団。全員の足並みがやけに揃っているのが、どうも不気味だ。九鬼の使者が近付くと、三度笠の集団は彼らを囲むようにして道に広がった。

 明らかな進路妨害。最前列にいた九鬼家の者が舌打ちをして、怪しい集団に詰め寄る。

「無礼者! 道を空け……うぷっ」

 突然、詰め寄った男は首のあたりを押さえて倒れた。

 見れば、倒れた男の首には太い針のようなものが刺さり、口からは血の泡を吹いている。

 九鬼の者たちが状況を理解した時にはもう、三度笠の集団は駆け出していた。

「! 万次郎まんじろう様、お下がりください!」

 異人風の男を守るべく、従者たちが次々と応戦するが、ほとんど刀を交える間もなく絶命していく。

 外套の内側からの虚を突いた攻撃が、この一方的な結果を生んだ。白昼堂々、正面からの襲撃だが、それでも三度笠の集団の異質さは際立った。

 敵の数が少なかったこと、孤立する危険があったことから、騎乗している主だけ逃がすという判断が遅れた。今からだと、いずれかと刃を交えなければ切り抜けられない。

 そこまで追い詰められた時、敵のさらに向こう側から馬蹄が響いてきた。

 現れたのは笹暮友晴。腰から細身の直刀を引き抜き、馬から飛び降りると同時に三度笠の者を一人斬り捨てた。

 驚いて動きを止めた三度笠の者が、さらにもう一人、異人風の男に斬り伏せられる。

「笹暮だ! 全員で殺せ!」

 誰かがそう叫ぶと、三度笠の集団は包囲を解いて笹暮に殺到した。

 ハヤブサの剣――笹暮の名を知っているならば、聞いたことがあるはずだ。それを警戒してか、先行した五人が、左右前後上方から同時に仕掛けた。

 だが笹暮の剣は、彼らの予想の遥か斜め上を行くものだった。

 防御するように横に構えたかと思えば、次の瞬間、笹暮の周囲に無数の閃光が生じた。

 殺到していた五人の敵が、血飛沫を上げて、投げつけた暗器もろとも吹き飛ぶ。

 血飛沫は笹暮の周囲にパタパタと落下して、綺麗な輪を描いた。

 完全に笹暮の間合いの外のはずだった。なにが起きたか理解できた者は、恐らく本人以外にはいないだろう。生き残った三人は、別々の方向へ逃げ出した。

 すべてを追うことはできない。笹暮はそのうちの一人に向けて直刀を一閃した。距離は五間《約九メートル》ほどあったが、少し遅れて三度笠に刀傷が走り、落下する。

 その時に一瞬だけ、敵の顔が見えた。刃のような切れ長の目に、いやに赤みを帯びた唇。

 ―――女……?

 笹暮が動揺する間に、その女は丁寧に笠を拾い上げ、松並木の向こうへ消えてしまった。

「笹暮殿……どうしてここへ? 河崎かわさき宿で落ち合うという話だったのでは」

 振り返ると、下馬した異人風の男が歩いてくるところであった。

「不審な集団を見たという情報が入ったのでな。もしやと思い駆けつけた」

 そう言って、笹暮は謎の集団の骸を確認する。

 棒手裏剣などの暗器を見て真っ先に思い浮かべたのは、月光。だが彼らは越後に居るはずである。第一、寡兵で正面から襲うのは、彼らのやり方ではない。

 誰の差し金かはだいたい想像がつくが、謎は深まるばかりであった。


「九鬼家家臣の喜利きり万次郎まんじろうでございます。お迎えにあがりました。影狼《《様》》」

 生まれて初めて様呼びされて、影狼は自分が九鬼家の末裔であることを実感した。

 そして目の前で跪く異人風の男が、茶色い髪をしていることがさらにそう思わせる。彼の場合、血筋によるものなのか、潮風でそうなったのか分からないが。

 高見の提案が通り、影狼は九鬼家と協力して志摩を攻略することになった。出航元の相模国からも三千の兵が加わるそうだ。

 出港は年明け。メランの商船が到着してからとなる。というのも、メランの商船は軍船としても優秀で、ヒュウが幕府に売り込んだというのだ。こんな時でさえ商才を発揮するとは、影狼のためでもあるのだろうが、頼もしいやら末恐ろしいやら。

 羽貫衆とはしばしの別れとなる。屋敷を出発する前に、栄作が激励の言葉を贈った。

「お前の帰る場所はここだからな。絶対戻ってこいよ!」

 九鬼家の家臣が居る前でそれを言うのは、なかなか豪胆なことだが、万次郎は顔色一つ変えなかった。少なくとも栄作よりは気の利く男のようだ。この男になら影狼を任せられると、柳斎は思った。

「この半月でやれることはすべてやり尽くした。あとは自分を信じて突き進め」

 海猫の修行は、初日の坐禅で寝落ちしてしまったりと、まだ十分とは言えないが、一つだけ術を使えるようになった。それだけでも、これまでと比べれば大きな進歩であろう。

 いつもはうるさいくらいに絡んでくる來が、珍しく黙りこくっている。

 影狼が志摩に行くと聞いて、來はついて行くと言い張ったのだが、侵蝕人であることなどが問題となって許可が出なかった。それでムスッとしているらしい。

「來にも来て欲しかったなぁ……流石に、一人じゃ寂しいし」少し目線を逸らしつつ、影狼は言った。「でも、ここに残ってくれた方が、帰りたいって気持ちが強くなるかも」

 來は一瞬、きょとんとした顔で影狼を見つめてから、また不満顔に戻り――

「あんまり遅かったら、アタシが引っ張り戻すから」

「そして帰って来たらけっこンフッ……」

 水を差そうとした太郎次郎の口は、柳斎の手で塞がれた。


     *  *  *


「そうか……失敗か」

 薄暗い執務室の中に響いたその声は、落ち着いていたが、軽い失望の色をはらんでいた。

 声の主は妖派を束ねる赤髪の男――柘榴である。

「どうだ伊織? お前ならやれるか?」

 そばにたたずむ青年に、冗談めかした調子で柘榴が問う。

 答えに窮しているのか、思うところがあるのか、伊織は口を真一文字に結んだままだ。

「最近、剣の腕が鈍っているようだな。やはり影狼のことが頭から離れないか?」

「いえ……鍛錬が足りないだけです」

 苦々しげに、ようやく口を開いた伊織。

 影狼の脱走を許したことは、最古参の奇兵として輝かしい戦歴を重ねてきた伊織が、初めて経験した挫折である。それまでの功績が大きかったこともあり、特に処罰はなかったが、以前のような死をも恐れぬ勢いは見る影もなくなってしまった。

「申し訳ございません。あの時私が逃したばかりに」

「いい。影狼はこのまま泳がせておく」柘榴は脚を組み替え、背もたれに深く寄りかかった。「どうやら奴はこのオレと本気で張り合う気でいるようだ。なにを見せてくれるのか、興味がある」

 影狼が志摩の攻略へ向かうという話は、伊織も聞いている。

 ―――オレが絶対に、奇兵とは違う道を選べるようにしてやるから……

 頭に浮かんだのは、自決を思い留まらせた言葉。

 決して順調とは言えないだろうが、前へ前へと進んでいるようだ。

 ―――分かったよ影狼……お前が道を示すその時まで、なにがなんでも生き抜いてやる。その代わり、つまらんものだったら叩き斬る!

 次会う時は敵か味方か。今は誰にも分からない。


     *  *  *


 善見山城の戦いから一ヶ月。越後の内乱は終結したとは言えない状況だが、鴉天狗には平穏な日常が戻りつつあった。鵺丸と幹部らは善見山城内に屋敷を与えられ、侵蝕人も城外に新しく作られた集落に落ち着いた。

 ―――本当に上手く行きやがった……これで、よかったのか……?

 鵺丸の屋敷の縁側でくつろぎながら、武蔵坊は複雑な表情を浮かべる。

 幸いなことに、侵蝕人とその縁者は一人も戦禍に巻き込まれることなく、ここまで辿り着いた。だがその陰で犠牲となった御守番、月光の者たちも少なくない。殺めた敵の数はさらに多い。終わった途端に、考えないようにしていたことが次々と思い浮かぶ。

 庭先では、殲鬼隊の父を持つ若武者――甘粕信忠が、才蔵から槍の手ほどきを受けていた。最初の戦が終わったあと、彼は鴉天狗の活動を手伝いたいと言って、よく訪ねてくるようになったのだ。今ではすっかり幹部たちとも意気投合している。

 他の吉良家の家臣も、恩義のある鴉天狗には好意的だった。八幡にいた頃より過ごしやすくなったことは間違いない。この平穏が続いてくれればいいのにと、武蔵坊は思った。

 その上の階では鵺丸が、血が滲み出すような色と刃文を持った刀を眺めていた。

「珍しいな……お主が妖刀以外の刀を打つとは」

「素材をほとんど八幡に置いてきてしまったのでね」

 その向かいには、お洒落な口髭を生やした男が座っている。

 鴉天狗専属の刀鍛冶――村正である。

「しかしそれにしても、見事な仕上がりだ」と、鵺丸。「言われなければ、妖刀と見紛うところであったぞ。妖刀以外で試し切りをしてみたいと思ったのは、久方振りだ」

「そう言っていただけると、職人冥利に尽きるというものです」嬉しそうに目を閉じて、村正は一礼する。「私には物の美醜は分かりませんが、どんな刀が人を惹きつけるのかは、はっきり分かるのですよ。人に操られる刀ではなく、人を操る刀を作る。それが私の流儀です」

「ククク……そうか。操られぬよう気を付けねばならんな」

 もう手遅れの鵺丸は、それを知ってか知らずか、軽口を叩いたのであった。


     *  *  *


 年が明け、宝永二十八年一月――

 影狼の姿は、相模の港町――浦嘉うらがにあった。

 船着場に整然と並ぶ三千の相模兵。その向こう側には、三本の帆柱を持った大きな船が、どっしりと横たわっていた。メラン製の最新鋭のガレオン船である。

「すごい……こんなもの用意してくれたんだ」

「影狼は父さんの命の恩人だし、これくらいのことはするよ」

 大船に乗った気でいなよと、ヒュウは得意げに笑った。

 彼の他には、高見と笹暮が見送りに来ていた。

「ことが済みましたら、先ほど伝えた方法で連絡してくださいね」高見が言った。「無事に帰還できるように、できる限りのことはします」

 影狼はうなずき、やや心配そうな面持ちの笹暮に告げた。

「必ず、強くなって戻ってきますから。帰ってきたら、また力を貸して下さい!」

「うむ。待っているぞ」笹暮は微笑んだ。「留守の間のことは、任せておけ」

 それから万次郎らに促され、影狼は九鬼家の船に乗り込んだ。

 甲板に立つと、ひんやりとした潮風が頬を撫でた。はためく帆の向こうには、果てしなく広がる青い空と海。これから途方もない旅が始まることを予感させた。

 だが恐れることはない。

 これまで多くの者が影狼を支え、思いを託していった。決して孤独な戦いではないのだ。

 ―――それじゃあ、行ってくるよ。みんな……

 幸成の願いを宿した刀に手を添え、影狼は心につぶやいた。


     *  *  *


 どことも知れぬ世界が、そこに広がっていた。

 重厚感のある異国風の街並み。洋装を着こなした道行く人々。浦嘉とは比べ物にならないほどに大きな港には、異国の船がいくつも並んでいる。

 だがここは日ノ本である。和泉国――さかい。皇国の本拠地である。

 すべての戦いはこの地から始まった。影狼の新たな戦いも、そのほんの一部に過ぎない。

 異国情緒あふれる街並みから少し外れた場所に、広大な庭を持つ古風の屋敷があった。

 その奥まった部屋の御簾みすの前で、男がひれ伏している。

 威厳のある太い眉に、眉より細い目。髪は短く刈り込まれ、全体的にこざっぱりしているが、大物を予感させる顔立ちだった。紺色の軍服が、この上なく似合っている。

 この男こそが、皇国の建国者にして最高指導者――大隈おおくま与一郎よいちろうである。

 大隈が顔を上げると、御簾の奥から二つの声が響いてきた。

「私から言うことはただ一つ」憂いを帯びた、しかし気高さを感じさせる女の声。「一刻も早く日ノ本の統一を。これ以上、日ノ本の民を苦しめてはなりません」

「よいのじゃ母上」それからまだ幼さの残る、少年の声が。「与一郎に限って、手抜かりのあるはずがなかろう。予は信じておるぞ」

 声の主は、日ノ本の皇帝と皇太后。

 太古の昔から日ノ本の王として君臨し続けた彼らの一族は、鬼道と呼ばれる特別な力を持つと言われている。並の人間が目を合わせれば、たちどころに魂を吸われるのだとか。

 御簾越しに、大隈は再び頭を下げて言った。

「まことに不甲斐無いことで……しかしご安心を。私に考えがございます。今年こそは、よい報せをお聞かせできるでしょう」

 大隈が御所を出ると、門のすぐ横に、一重瞼の怪しい男が寄りかかっていた。

 柴田海八。プロセインとの外交や、軍制改革で功績を上げた皇国の重鎮である。伽羅倶利峠の合戦以降、行方が分からなくなっていた。それが久々に姿を見せた。

「なんだお前か。今度こそ本当に死んだのかと思ったぞ」

 大隈は大して驚く様子もなく、一瞥しただけでその場を去ろうとする。

「あら、それだけ? もっと喜んでくれてもいいのよ」

「お前に預けた兵も一緒だったら、喜んでやってもよかったのだがな」

 伽羅倶利峠の合戦に参加したのは、長年かけて育て上げてきた皇国最新鋭の兵。それが全滅したということは、日ノ本統一がまた遠のいたということ。大隈としては、どの面下げて帰って来たと言いたいところであろう。

「連れて帰りましょうか?」

「要らん。どうせろくなことにならんだろう」

 なにやら物騒なやり取りをしながら、大隈は馬に跨った。

「これからプロセインとの会談がある。飾りでもいいからお前も参加しろ」


 海辺の洋館に、白地に鷲が描かれた旗と、黄色地に鷲が描かれた旗が翻っている。

 プロセインの公使館であるが、二つの旗があるのには、少しややこしいワケがある。

 その二階の会議室には、五人の影が並んでいた。

 丸顔にクルクルとした巻き髪を生やした、肉付きのよい男。

 ブロンドの髪を後ろに撫で付けた、三十代ほどの男。

 丸眼鏡を掛けた、少年のように小柄な男。

 そして大隈与一郎と、柴田海八である。

 しばしの沈黙があり、やがて大隈が重々しい口調で切り出した。

「以前、こちらから断わった話を、また持ち出すのは恐れ多いが……もう一度、プロセイン軍の力をお借りできないだろうか。相応の対価は約束する」

 ほう、と意外そうなため息が漏れた。それからテーブルの向かい側の二人が話し合い、太った方の男が流暢な日ノ本の言葉で返答した。

「いいでしょう。プロセイン王国は、多くの面で優遇していただいておりますので、協力は惜しみません」

「かたじけない。して、どのような対価をお望みで?」

 今度はブロンド髪の、やや強面の男が答えた。

「宝永山一帯の割譲。それだけお約束いただければ十分でございます」

 隣の太った男が貴族らしい礼服を着ているのに対し、ブロンド髪の男はいくつもの勲章が飾り付けられた軍服を着ている。しかし纏う空気は貴族――いや、それどころか王の風格すら感じさせる。鋭い眼光を発する碧い瞳は、まともに目が合えば魂を吸われてしまいそうだった。

「あくまでも宝永山にこだわるか」大隈は言った。「あのような僻地がそれほど重要か?」

「東国同盟の奇兵に手を焼いておられるならば、閣下もお分かりのはず。あの山に秘められた力は計り知れない。そして、我が《《帝国》》の経験と技術があれば、その力を有効に活用できる。是非とも、譲っていただきたい。それが聖帝せいていの悲願でございますれば」

 男の腰には、二つの大きな宝石と、色とりどりの十二もの宝石が埋め込まれた剣。


 宝永二十八年。今まさに、日ノ本の歴史が動こうとしていた。大きく、ゆっくりと、世界を巻き込みながら。



  ~ 第一部 完 ~


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