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妖峰戦記‐宝永の乱‐【第一部】  作者: ナマオ
第四章 猿山編
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第42話:招かれざる

 翌朝、羽貫衆の一行はヒューゴの行き先を聞き出し、南西へ向けて出発した。

 行程の半分ほどは川沿いで、舟を使うことができた。やたら荷物の多い栄作と歩くのが嫌いな來にとっては、特にありがたいことである。

 昼過ぎになると、舟の進む先に奥武蔵と呼ばれる山並みが見えてきた。

「しっかし珍しいですなあ、あの山に遊びに行くだなんて」栄作たちを乗せた舟の船頭が、艪を漕ぎながら言った。「あの辺は小さな村がいくつかあるだけで、遊べるような所は一つもありませんよ。見どころがあるとすれば、名前の通り、猿が多いことくらいです」

「猿……ですか。ま、まあ……猿と戯れるのも悪くなさそうですね」

 相槌を打つ栄作は歯切れが悪い。

 遊びに行くというのは嘘ではないが、あくまで影狼たちを乗り気にさせるための口実である。ヒューゴたちと影狼を引き合せ、その成り行きで調査に同行してしまおうというのが栄作の真の狙いだった。邪な大人の考えだ。ボロが出るのも無理からぬことであった。

「だからあれほど言ったというのに」やれやれとばかりに柳斎。「寝泊まりはどうするつもりだ? 旅人の来ない村に、これだけの人数で泊まれる場所があるとは思えぬが」

「まあなんとかなるさ」

「………」

「そういや、朝から気になって仕方ないんだがよ」栄作は話を逸らした。「普通、侵蝕の調査なら甲斐の――それも宝永山に近い南の方でやるよな。それ以外の地域はもう、妖怪すらいないはずだ。なのに今回は武蔵国。こんな所でなにを調べるつもりなんだろうな」

「余計な詮索をするな。今日は本当に遊びに行くだけだぞ」

「はいはい」

 小声で話す二人の後ろでは影狼たちが、ゆっくりと流れて行く街並みを眺めてワイワイしていた。栄作の方便で始まった旅だが、それなりに楽しんでいるようである。

 しかし柳斎はどうもすっきりしない。

 影狼たちを利用する形になった後ろめたさももちろんだが、柳斎がこの旅に反対した理由はもう一つあった。ヒューゴが栄作たちを連れて行かなくなったのには、金とは別の、もっと大きな理由があるように思えてならないのである。


     *  *  *


 猿山さるやまは、その名が示す通り猿の多い山である。

 他所者が聞けば興味を引かれるかもしれないが、現実はそんなものではない。

 畑を荒らすわ、盗みを働くわで、地元の者たちにとっては毎日が猿との戦争だ。悪知恵が働く分、たちが悪い。猿を可愛いと思う者はまず一人もいないだろう。過疎化が進んでいるのも、その住み辛さゆえなのかもしれない。

 麓の集落に到着すると、羽貫衆の一行はヒューゴたちの目撃情報を聞いて回った。

 人口百人足らずの小さな村。髪色が特徴的な親子を探し出すのは、容易なことだった。

 その家は、猿山へと続く斜面のちょうど手前に建っていた。山から吹きつける風にさらされて、今にも倒れてしまいそうだ。

 本当にここであっているのかと半信半疑になりつつも、栄作は戸を叩いて声を張った。

「ごめんくださーい」

 しばらく待っていると、木戸がわずかに開き、少年がそっと顔を覗かせた。

「栄作さん……? どうしてここに?」

 明るい緑色の髪に橙色の瞳――ヒューゴの風貌を色濃く受け継いだその少年は、ヒュウで間違いなかった。

「急に来て悪いねえ。どうしても会わせたい人がいてね」

 臆面もなく言うと、栄作は戸口の前から退き、背後に控える人たちを手で指し示す。

 ヒュウは困惑しながらもその先に視線を送り、次に驚きの声を上げた。

「影狼!?」

「久しぶり!」

 喜色満面で手を振る影狼に、ヒュウが駆け寄る。

「もう会えないかと思ったよ。どうして栄作さんたちと一緒に居るの? 妖派は?」

「力ずくで抜けてきた」差し出された手を取って、影狼が言った。「この前はありがとう。あの時、羽貫衆のことを教えてもらわなかったら、今頃路頭に迷ってたかもしれない。みんな本当に良くしてくれて……」

 騒乱の中で出会い、引き離された二人は、こうして再会を果たした。影狼が妖派に捕らわれてから、およそ一ヶ月後のことである。

 だが、感慨に浸る間もなく、ヒュウは再び仰天することになった。

「あっ!? お前は……!」

 太郎次郎の陰に隠れてニヤニヤしているのは――なんと、影狼を不幸の道に引きずり込んだ張本人ではないか。

「なんだ……? お前ら知り合いか?」

「アタシ知らないです」

 事情を知らない太郎次郎の問いかけに、そいつは素知らぬ顔で答えた。

 ヒュウは助けを求めるように影狼の方を振り返るが、影狼もどこから説明すれば良いか分からないようだった。


 詳しい話を聞く前に、ヒュウは羽貫衆の一行を家に上がらせた。

 この家は村人からの借り物で、親子二人で使っているとのことだった。父の方は、また別の民家に泊まっている幕府の護衛とともに、山へ出かけているらしい。

 來とヒュウの因縁を聞かされた羽貫衆の大人たちは、驚きはしたものの、來を責めるようなことはしなかった。特に栄作は、二人の仲を取り持つように努めた。

「でもよ、結果的には影狼に協力してくれたわけだから、そこは大目に見てやろうよ。來にもそうせざるを得ない事情があっただろうし、な?」

 水を向けられた來は、いかにもといった風にうなずいた。

 ヒュウはまだモヤモヤが晴れない様子だったが、影狼の恩人でもあるならば突き放すわけにはいかなかった。なにより來が邪血であるということが、彼を思い止まらせた。

 庶民から蔑まれ危険視される邪血には、奇兵の他にほとんど居場所がない。そんな彼らが奇兵の上役に逆らえばどうなるかは想像に難くない。

 悪戯をしては「魔が差した」と言い逃れるあたり、來自身は邪血であることを免罪符ぐらいにしか思っていないのかもしれないが――

「さてと、ヒューゴさんが帰ってくるまでまだ時間があるし、オレたちは宿探しにでも行くとするか」

 話がひと段落すると、おもむろに栄作が立ち上がった。

 村に泊まる気満々で荷物を取りに向かう彼を見て、ヒュウがはっとした顔になった。

「待ってください」すかさず呼び止める。「せっかく来てもらったところ悪いんですけど、この辺にはあまり長居しないようにお願いします」

「? なにか困ることでもあるのか?」

 ヒュウは少し言いよどんでから、やや元気のない声で答えた。

「見れば分かると思いますけど、この村には大勢の人を泊めるだけの余裕はないです。もう調査のために二十人近くが来てるので、これ以上負担は掛けられません」

「そうか……この家はどうやって借りたんだ?」

「幕府の権限で特別に貸してもらっています。あくまでも調査のためなので、それに関わりのない人を泊めるのはあまり良くないんじゃないかと……」

 筋は通っている――が、ヒュウにしてはどこか水臭い。

「あっ、じゃあさ……オレたちも調査に参加するってのは」

「ダメだ」

 ちょうど良い口実を見つけて思わず本音が出た栄作。それを遮ったのは、柳斎だった。

 親密さは時として枷になることもある。断り辛そうなヒュウの身になって、柳斎が助け船を出した形である。

「遊びに行くと聞いて付いて来た影狼たちはどうなるんだ? 強制参加か?」

「むぐう……」追い詰められた栄作は苦し紛れに言った。「強制じゃないさ。調査だって面白いんだぞ。お前たちも行きたいよな?」

 しかし子供たちの反応は微妙だった。影狼はヒュウが困っているのに気付いて遠慮しているし、來も山登りはしたくないとのことだった。

「はぁ~、そりゃ残念だ。ヒューゴさんに挨拶したら帰るとするか」

「すみません、本当に」なんの落ち度もないのに繰り返し謝るヒュウ。「父さんが帰って来るまでは、ここでゆっくりして行っても構いませんので」

 さすがに不憫に思ったのか、栄作がなにか言いかけたところで、戸口の方で物音がした。

「父さん……?」

 ヒューゴが帰って来たのかと思い、一同はそれが入って来るのを待つ。だが、続いて聞こえてきたのは妙に軽快な足音。少なくとも、人のものではなかった。そして今度は、羽貫衆が荷物を置いた部屋から、ガサゴソとなにかを物色するような音が響く。

「猿じゃねぇの?」

「ちょっと見て来ます」

 ヒュウは引き戸を開けて、音のする方へ向かった。

 他の者はその後ろ姿を見守っていたが、ヒュウが問題の部屋に差し掛かった時、突然柳斎が鋭く叫んだ。「止まれ!」

「!」

 反射的に身を引くヒュウ。その直後、部屋からなにかが飛び出した。

 飛び出てきたそれは壁や天井を蹴って、建物の外へと向かう。速すぎて姿かたちは確認できない。かろうじて目で捉えられたのは禿げた頭部と、そいつが口に咥えていた瑠璃色の――

「あっ!? 海猫!」

 持って行かれたのは、義兄幸成が遺した大切な刀。猿だかなんだか知らないが、こんなことで失くしては洒落にならない。影狼はすかさずその闖入者の後を追った。

 あんぐりと口と開けたまま固まっていた栄作が、やっとのことで言葉を発する。

「なんだあれ? 猿ってあんなに速いのか?」

「違う……あれは猿なんかじゃない! あの感じは――」柳斎はそのあとの言葉を呑み込み、先に行動を起こした。「ともかく、オレたちも行くぞ」

 民家の外に出た影狼が、右へ左へと目を走らせる。

 すでに大きく後れを取っていたが、幸いにもこの辺は建物が少ない。簡単には見失わないはずだ。山へ逃げたのかと、民家の裏側へ回り込んだところで、茂みに飛び込む黒い影が視界に入った。

「そこか!」

 揺れ続ける茂みに向かって、全速力で駆ける。

 速さでは敵わないが、所詮は動物。根気強く追っていれば必ず隙を見せるはずだ。

 だが、茂みを抜けた先、そこに居たものを見て影狼はギョッとした。

 背格好は猿と大差ないが、頭が影狼より少し大きい。後ろ姿を見る限りでは、毛は頭部含めて一本も見当たらず、おまけにボロボロの麻でできた服を身にまとっている。

 ―――人……?

 影狼が不思議そうに見つめていると、海猫を弄んでいたそいつがパッと振り向いた。

「あぁん? なんじゃい、お前は?」

 梅干みたいなしわくちゃ顔にまん丸の目。それは人のようでもあったが、一度見たら忘れられない顔だった。多分、夢にも出てくるだろう。

 絶叫が、山の中にこだました。


「今のは……!?」

 影狼の声を聞きつけて、柳斎たちが現場へと急ぐ。

 開けた草地に出ると、そこではすでに影狼と変な生き物の追いかけっこが始まっていた。

「返せよ! それはオレの一番大事なものなんだよ!」

「知らんがな。儂が盗った時点で儂のもんじゃい」

 老爺のような顔をしたその生き物は、どうやら人の言葉も話せるようである。しかし四つ足で、それもものすごい速さで走りまわる姿はとても人とは思えない。

 鉄砲を構えた栄作を、柳斎が抑える。

「待て。人だったらどうするんだ」

「あんな人間がいるかよ!? この辺に出るのは珍しいけど、ありゃ妖の類に違いねぇ」

「確かに人間離れしているが……」

 柳斎は再度、グルグルと走り回る影狼たちへと、意味ありげな視線を注いだ。

 初めは優勢だった爺に、影狼が追い付いている。どうやら、身の丈ほどもある刀を咥えながら走り続けた所為か、爺の方がバテてきたようである。

 服を掴もうと影狼が手を伸ばせば、爺は爪を立てて反撃する。いつの間にか追いかけっこは、掴みかかったり引っ掻いたりの応酬に切り替わっていた。

 もつれ合い、木立の中へと舞台が移る。

 爺の猛攻を受け流すうちに、影狼はどこか懐かしいような感覚を思い起こしていた。

 昔、まだ鴉天狗がなんの不安も抱えていなかった頃――こんな感じの奴としょっちゅうケンカをしていた。そいつはもう少し、可愛げのある奴だったけど。

 考えるよりも先に体が動くのは、その時の感覚が刷り込まれているからだろうか。

 刹那の駆け引きが明暗を分けるこの状況が、影狼には楽しくも思えてきた。

 爺は邪魔になった海猫を放り投げ、ムキになって襲い掛かる。影狼も打ち捨てられた海猫に気付かず、闘争を続ける。両者とも本来の目的を忘れてしまったようだった。

 そこへ、海猫を回収する者が現れる。

「なんじゃいお前? 邪魔すんなボケ!」

 興奮していた爺はすぐさま標的を切り替え、その者に飛び掛かった。

 だが、今度は呆気なく勝負が付いた。

 最初の一撃を紙一重でかわされ、すれ違いざまに服を掴まれる。がむしゃらな反撃も虚しく空を切り、最後にはうつ伏せで組み伏せられてしまった。

「羽貫さん……!」

 加勢に現れた男の名を呼び、影狼は顔をほころばせる。

 柳斎は爺を片手と膝で押さえつけながら、取り返した海猫を差し出した。

「驚いたな。こいつの動きについて行けるとは」

「昔、鴉天狗に凶暴な猫がいたんで、こういうのには慣れているんです。でも羽貫さんだって、あっという間に仕留めちゃったじゃないですか」

 柳斎がなにやら考え込んでいると、背後で見守っていた者たちも駆け寄って来た。

「影狼、ケガはない?」

 ヒュウは影狼の無事を確認しつつ、柳斎の膝下でもがく生き物に目を遣った。

 父の調査に付き添うことが多いためか、ヒュウはこういったものを見慣れている。しかし爺が身に付けている首飾りを目にした時、思わず叫んでしまった。

「お前それ……どこで拾ったんだ!?」

 それは、V字を重ね合わせたような意匠の首飾りだった。

「なんじゃお前?」爺は体に不釣り合いな大きな頭を上げ、じろりとヒュウを見た。「その緑色の髪……あの異人の息子か?」

「!」

 突然飛び出した意外な言葉に、その場にいた全員が凍りついた。

「父さんを……知っているのか?」

「んだ。この首飾りはそいつから盗ったんじゃよ。祈りを捧げとるところをバシッとな」

「そんな簡単に……!」栄作が言った。「護衛の奴らはなにをしているんだ?」

 ヒューゴには二十人もの護衛が付いているはずだ。超人的な素早さを持つとはいえ、こんな奴一匹にひったくりを許してしまうのは、あまりにも脆弱過ぎる。

「護衛? んなもん見かけなかったぞ」爺はしれっととんでもないことを言う。「最初はいたのかもしれんが、もう生きてはおらんだろうな。あそこはまさに魔境。人の立ち入る所ではないわい」

 これは思ったより、大変なことになっているようだった。


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