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妖峰戦記‐宝永の乱‐【第一部】  作者: ナマオ
第四章 猿山編
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第41話:原点

 再会を喜び合うのもそこそこに、影狼たちは宴会場のような部屋に迎え入れられた。

 長い食卓の上には、太郎次郎のこしらえた料理がズラリと並んでいる。ヒュウの店で食べたばかりだったが、甘い肉の香りが影狼と來の食欲をそそった。

「いやあ、ビックリしたよ。まさか妖派から抜け出してくるとはね」

 席に着くや否や、驚き冷めやらぬ様子で栄作が言った。

 そして影狼の小さき協力者に感謝を伝える。

「ありがとな。影狼に味方してくれて」

「どういたしまして」

 來の来訪は影狼の妖派抜け以上に想定外のことだった。しかし伊織の時もそうだったように、栄作たちは來が邪血であることを問題にせず、すんなりと受け入れてくれた。

「さあ、いろいろと積もる話はあるだろうが、まずは腹ごしらえだ。お前たちも遠慮なく食べてくれていいぞ。太郎次郎はいっつも多めに作るからな」

 そう言った栄作の隣では、すでに太郎次郎がものすごい勢いで飯を掻き込んでいる。柳斎の方は、なにか嫌なことでもあったのだろうか、ムスッと不機嫌な顔をしたまま汁物をすすっている。

 そんな彼らを感慨深げに眺めながら、影狼は肉まんを口いっぱいに頬張った。

「伊織は元気にしてるか?」

 問いを発したのは太郎次郎だった。影狼は高速で肉まんを咀嚼して飲み込むと――

「実は妖派から抜ける時、伊織とも戦ったんです。最後はなんとか仲直りできたんですけど、その後どうなったのかは分かりません」

 それを聞いて、栄作が額に手を当ててため息をついた。

「仲良くするようにって言ったのになぁ……上手く行かねぇもんだ」

「そう上手く行くものか」柳斎がフンと鼻を鳴らした。「どんなに仲が良くても一つぐらい相容れないことはある。それに、人を怒らせてばかりのお前が言うのでは説得力がない」

 どうやら、まだ先程のことを根に持っているようだ。醜い争いが再燃する予感。

 だが、そんな彼らをよそに、太郎次郎はニンマリ笑って影狼に言葉をかけた。

「でも、影狼は前より元気になった気がするぞ」

 その一声で、目と目で火花を散らしていた栄作たちも気を取り直した。

「ああ、なんだか生き生きしてるっていうか」

 影狼は一瞬、はっとした表情を浮かべたが、それはすぐに思案顔へと変わった。

「確かに、気持ちは楽になりました。でも、未だに妖派を抜けてよかったのかと迷うことがあります」手元の椀を見つめる。「伊織が言ってました。本当に侵蝕人のためを思うなら、侵蝕の研究をしている妖派に残るべきだと」

 影狼の迷いを、栄作は笑い飛ばした。

「そんなの気にすんな。あんたは自分の意思で妖派に行ったわけじゃないんだから、嫌ならそれでいいじゃねぇか」

「でも……」

「まあ、鴉天狗の一員としていろいろ背負うものはあるだろうけどよ」なおも苦悶する影狼に、栄作は続けて言った。「世の中には、自分の力じゃどうにもならないことがいっぱいある。たまには逃げたっていいんだぞ。じゃなきゃ壊れちまう。それと……逃げた先には、意外と頼りになる味方がいたりしてな」

「!」

 ここにいるみんなが味方。これまでの境遇を思えば、なんとも心強いことだった。妖派に留まるのとどちらがよかったのかは、もはや考えるまでもない。

 空いた皿が目立つようになってくると、太郎次郎が片付けを始めた。気付けば、食事を続けているのは柳斎ただ一人となっている。

 栄作からある提案がなされたのは、その時のことだった。

「そうだ。侵蝕の研究なら、ヒューゴさんもやってるぜ。妖派ほど大掛かりじゃないけどな。挨拶ついでに会ってみるかい?」

「あ、それなんですけど」影狼は困ったように笑った。「ここに来る途中でヒュウの店には寄ってみたんです。でもヒュウもヒューゴさんも、幕府からの仕事が入っていて、しばらく帰って来ないそうで」

「……? そいつは聞いてねぇな」栄作は腕を組んで、椅子にもたれかかった。「幕府からの依頼ってことは、侵蝕関係のことだと思うんだけどなぁ。なんで呼んでくれないんだ?」

 どこか不満げな栄作を見て、影狼はあることを思い出した。

「確か栄作さんたちは、ヒューゴさんの用心棒でしたよね」

 それは以前聞いた話だ。実を言うと、ヒュウの店からここへ来る途中、羽貫衆がヒューゴたちと一緒に出掛けて留守にしているのではないかと、少し不安だった。

「ああ、昔っから危険な調査がある時は、決まってオレらが護衛に付いていた」栄作は言った。「でもここ一年くらいはまったくだ。幕府が護衛を出してるんだとよ」

「そう言えば、最初にヒューゴさんたちと会った時も、栄作さんたちはいませんでしたね。幕府からの護衛というのも見かけませんでしたが……」

「現地の兵を使ってるんだろうな。しかも無償だって言うんだから困ったもんだ」

「ぐちぐち言うな」咀嚼音を立てながら、柳斎が口を挟んだ。「いずれこうなるのは分かっていたはずだ。そもそもが幕府からの依頼だからな。今まで使ってもらえたのは、昔からの誼みがあったからに過ぎない」

「分かってる。だからこそオレは連れてって欲しかったんだよ。無償でもいいから」

 用心棒はヒューゴと羽貫衆の絆の原点。

 栄作にとって、その座を追われることは、胸が張り裂けるほどに辛いことなのだろう。

「なあお前さんたち」栄作は食卓に両肘をついて、身を乗り出した。「もし良かったら、明日ヒューゴさんの出掛け先まで行ってみないか? 店の人に聞けば、だいたいの場所は分かるだろうし」

「おい」柳斎がピシャリとさえぎった。「あまり勝手なことはするな。呼ばれもしないのに押し掛けたら迷惑にしかならんぞ。遊びに行くのとはわけが違う」

「いいじゃねぇか。ヒュウはずっと影狼のことを心配してたんだ。きっと喜ぶ。影狼も行きたいだろ?」

「はい」

 それを持ち出されては反対できない。

 姑息なやり口に柳斎がため息をつくと、調理場からも「おらも行くぞ〜!」という声が聞こえてきた。


     *  *  *


 その日の夕方――柳斎と栄作は、敷地の奥にひっそりとたたずむ大きな建物に向かった。

 新しく来た二人にはそれぞれ母屋の部屋を与え、余った柳斎がここへ移ることとなったのである。影狼は申し訳なさそうにしていたが、人が増えた今となっては、静かなこの場所の方が柳斎に合っているらしい。

「ここもすっかり物置小屋になっちまったなぁ」

 運び出した布団を板張りの床に下ろし、栄作がつぶやいた。

 建物の造りから、ここがかつて剣術の道場として使われていたことが分かる。

 壁には名札がずらりと並び、その中には羽貫衆三人組の他に、国主笹暮の名もあった。彼の名札だけは、皆伝の段に掛けられている。

「あれからもう十年か……」

「時が経つのは早いもんだな」うんうんとうなずく栄作。「あの頃はおとなしくて可愛げがあったお前も、いつの間に生意気な口を利くようになって」

「自然の成り行きだ」柳斎が言い返す。「お前なんぞに十年以上も敬意を払ってられるか。そんなことより、お前が剣を手放したことの方が問題だ。先生もお嘆きだろうよ」

「んなこたあねぇ。あの方は剣の型にはこだわらなかったろ。実戦で使えればなんでもいいんだ。なんせオレたちが目指してたのは、あの殲鬼隊なんだからな」

 手付かずのまま残された名札掛けを前に、二人は座し、稽古の日々に思いを馳せた。


 遡ること十四年余り。

 さかき竜眼りゅうがん――当時、殲鬼隊の二番隊隊長を務めていた男が武蔵国に道場を開いた。

 目的は次世代の殲鬼隊員の育成。噂はたちまち広がり、一年も経つ頃には国中の英才が結集し、豪華な顔ぶれとなっていた。このことから、道場は国士館こくしかんと名付けられた。

 道場開設から二年ほど経ったある日、門弟同士で試合が行われていた時のことである。

「そこまで! 勝者、羽貫柳斎!」

 審判の声がかかり、試合をしていた二人が互いに身を引いた。

 だがその直後に、年長の方の剣士が不服を唱えた。当時十二歳――柏木栄作である。

「先生、こんなのまともな試合じゃないですよ! こいつ逃げてばっかで、ほとんど打ち合ってないじゃないですか!」

 稽古場の外側で試合を見守っていた師範――竜眼は、砕けた調子でこう答えた。

「はいはい、言い訳しない。お前の悪い癖だぞ。その少ない打ち合いの中で柳斎はちゃんと一本取った。勝敗は明らかだ」

「でも……!」

 なおも栄作がなにか言いかけると、竜眼は怖い顔を作ってみせた。

「栄作。お前がここで稽古をしてるのはなんのためだ?」

 その顔は、殲鬼隊で多くの隊員の命を預かる者のそれだった。

 強気だった栄作もこれには敵わず、しゅんとなる。

「殲鬼隊になるため」

「そうだな。そして殲鬼隊になったら、お前は妖怪と戦うことになる。そんな時に、今みたいなことが言えるか?」

 首を横に振る栄作。

 竜眼はうなずき、再び親しげな顔になって続けた。

「まあ、言っても、ここでは人が相手だ。試合が終わったらちゃんと礼をするんだぞ」

「……はい」栄作は柳斎に向き直り、試合後の礼式を終えた。「ありがとうございました」

 栄作のもとに柳斎が駆け付けたのは、それからすぐのことだった。

「すみません。次からは正々堂々戦います」

 入門したばかりの柳斎にとって、試合をするのはこの日が初めて。ここの流儀によれば非はないが、いきなり年長の相手を怒らせてしまったことに罪悪感を抱いているようだ。

「い……いいよ別に。後輩に手加減なんかされたら立つ瀬がねぇだろ」

 栄作の方も、思わずカッとなってしまったことを恥じているようだった。

「やっぱり、オレはこの道場向いてないんだ」柄にもなく弱音を吐く。「前に通ってた所の格式ばった稽古は、ここじゃ全く役に立たねぇ。後輩にも抜かされてばっかだ」

「そんなことないですよ。栄作さんは守りに隙がなくて、すごかったです」

 懸命に先輩を元気づけようとする柳斎。その健気さに、栄作はニヤついた。

「よく言うぜ。その守りをちまちました攻撃で破っちまった癖によお」キョトンとする柳斎の頬を、指先でつつく。「次は負けねぇからな」

 柳斎がしつこい指先から逃れようとした時、突然、隣の試合場でどよめきが起こった。

「今……何本入った?」

「オレには三本くらいに見えた……いや、聞こえた」

 観戦していた門弟たちが口々にささやき合う。

 それは柳斎対栄作が終わった後に始まった試合だったが、早くも決着がついていた。

「ハヤブサの剣……相変わらずおっかねぇな」栄作は言った。「どんな手を使っても、あの人にだけは勝てる気がしねぇ」

 その者の名は笹暮友晴。この道場で最も殲鬼隊に近しいとされ、羨望の眼差しを一身に集める存在だった。

 同じ門弟として過ごした期間は短かったが、その雄姿は柳斎の記憶に強く焼きついた。

 それから一年の後。桜が舞う、よく晴れた日のことであった。

 重大な発表があると聞かされ、門弟たちが道場に集められた。その中には、新参の太郎次郎の姿もある。一人だけ姿が見えないことに気付いた時、門弟たちの多くはもう、なんのことか分かってしまった。

 皆がざわつく中、竜眼とともに現れたのは、殲鬼隊の装束を着た笹暮友晴だった。

「来月から、笹暮友晴は正規の殲鬼隊員として活動することになる。当道場初の快挙だ」

 竜眼の発表が終わらないうちに、ワッと歓声が上がった。

 殲鬼隊員の枠は一国につき三人。笹暮の殲鬼隊入りは、ただでさえ少ない枠が埋まることでもあったが、彼を祝福しない者は一人としていなかった。実力のみならず、人柄も認められているがゆえである。

 笹暮から意気込みが語られたあとは、皆伝の授与が行われた。

 決まった型のない国士館には奥義なるものも存在せず、代わりに殲鬼隊に選ばれた者が皆伝の称号を授かることになっている。

「オレから教えられることはもうなにもない。そういう意味での皆伝だ」

「今までだって、ほとんどなにも教えてないじゃん」

 門弟の一人がツッコミを入れると、どっと笑いが起こった。

「そこは大目に見てくれよ。隊長はいろいろと忙しいんだ」竜眼が笑って頭をかく。「まあでも、うちにはいろんな達人がいるから、先生がいない間もお互い学べることは多いだろ」

 時には競合相手として、時には友として交わる門弟たち。そしてそれを支える師。

 彼らには、この先もっと明るい未来が待っているかに思われた。

 笹暮の殲鬼隊入りがその兆しであると、この時は誰もが信じて疑わなかった。


「なあ柳斎。オレたちが殲鬼隊になってたら、今より幸せになれたと思うか?」

 栄作の問いかけが、過去から現在へと記憶を引き戻した。

「どうだか……」柳斎は上の空で答える。「ただ一つだけ言えるのは、あの頃の殲鬼隊は、オレたちが憧れていたものとはかけ離れていたということだ」

「そういやお前、鴉天狗と戦った時に犬童に会ったんだってな」

 犬童は武蔵国出身の殲鬼隊員。国士館の門弟の間では、しばしば話題に上がっていた。

「ああ、どうやら彼も殲鬼隊の惨状を目の当たりにしていたようで、幕府を牛耳っている連中を斬るだのなんだのと言っていた。笹暮殿のことを思うと黙っていられなくなってな、自慢の妖刀を叩き壊してやった」

「お前がオレ以外にキレるのも珍しいな」

「キレてはいない」

 柳斎はすっくと立ち上がり、部屋作りの作業へと戻った。


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