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妖峰戦記‐宝永の乱‐【第一部】  作者: ナマオ
第四章 猿山編
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第38話:決戦!安岐ノ橋

 安岐ノ橋は古くから鬼の伝説が数多く残されている有名な橋である。

 殲鬼隊の登場によって、ご当地名物の鬼の安否が危ぶまれるところだが、鬼の伝説はまだ終わってはいないようだった。

 橋を渡った影狼たちの前に現れたのは、心を鬼にした男。

「伊織……!」

 影狼は喉をしめつけられるような思いでその名を呼んだ。

 伊織は影狼には構わず、來を睨みつけた。

「やってくれたな、來」

「うん……やっちゃったね」

 適当にあしらわれて、伊織は目に怒りをにじませた。

「お前は、自分がなにをしたか分かっているのか? 今度ばかりはイタズラじゃ済まされないんだぞ。お前じゃなければ、さっきので斬り捨ててたところだ」

 來の外套には、一箇所だけ切れ目が入っている。伊織が駆け抜けざまに斬り裂いたものだ。

「お情けどうも。でも、こんな虚仮威しじゃ引き下がらないよ」來は切れた外套をひらひらと揺らした。「影狼を妖派に引っ張り込んだのはアタシだから……これはその償い。イタズラなんかじゃない。本気だよ」

 物怖じしないのは流石である。あの腹黒かった來が、今はこの上なく頼もしく思えた。

 それだけに、今の伊織は見ていて辛かった。

「できることなら、あれっきり会わないままで別れたかったよ」影狼は言った。「見逃してくれって言っても……無理だよね。伊織にとっては、奇兵がすべてだから」

「そうだな」

 ぶっきらぼうに言って、伊織はようやく影狼と目を合わせた。

「お前に味方してやったのは御屋形様から頼まれたからだ。妖派に馴染めるようにと」言葉を切る。「だが、オレには荷が重かったようだな。最初っからオレとお前とでは、相容れなかったんだ。信濃の合戦でそれははっきりと分かった。お前は人が傷付くことを嫌い、オレは人を斬ることでしか満たされない」

 伊織は斬鬼丸の柄にそっと手を置き、虚ろな目でそれを見つめる。

 癒えない傷を与える妖刀。生半可な気持ちではとても振るえない刀だ。

「お前と会ってからだ……こんな虚しい気分になるのは。奇兵であることが、オレの唯一の誇りだったのに……今はもう、自分がなにを求めていたのかさえ分からない」

「伊織……」

 邪血の苦しみが、ひしひしと胸に迫る。

 伊織には奇兵として生きる他に道が無いのだ。しかし今の影狼には、それをどうしてやることもできない。そのことがひどく悲しかった。

「もう、戻る気はないんだろ?」

 伊織に問われて、影狼はゆっくりとうなずく。

「そうか……オレも、お前には戻って欲しくない。お互いのためにならないからな」伊織はしばらくの間ためらい、やがて意を決したように顔を上げた。「だからよ。オレとお前は、ここで今生の別れってことにしようぜ」

「……?」

 その言葉に込められた意味をすぐには解せず、影狼はキョトンとする。

 だがそれも一瞬のこと。注意がそれた隙を見逃さず、伊織は影狼めがけて一直線に駆け出した。まったくの不意打ちだった。

 海猫で防御の体勢を取った時には、すでに伊織は斬鬼丸を抜きかけている。

 その構えからして――

「!?」

 妙な胸騒ぎがして、影狼は上体を横にそらした。

 繰り出されたのはまったく見当違いな方向からの斬撃。紙一重の差で、目の前を斬鬼丸がかすめていった。

 背後へ駆け抜けた伊織。振り向いた影狼の顔は、恐怖で蒼ざめていた。

「よくかわしたな。このオレの抜刀術を」ゆらりと、伊織は悪鬼のような眼差しを向ける。「なんだその顔は? 死んでしまえば奇兵に戻る必要もない。悪い話じゃないだろ。それとも、自分は殺されないとでも思ったか?」

 風が安岐ノ橋を吹き抜け、うめくような音を立てた。

「生け捕りにするってのは可能ならばの話だ。髑髏ヶ崎館を抜けられた今、それは難しい。オレがお前を斬るのは――奇兵として、お前のことを任された者として当然の務めだ。斬らせてもらうぞ。來……お前もな!」

 殺気をはらんだ悪鬼の眼差しが、來にも向けられる。

 だが來は、そんな虚仮威しに呑まれるような奴じゃなかった。

「言ってくれるね」仕返しとばかりに鼻で笑う。「でもあんたじゃアタシたちには勝てないよ。妖術が使えなくて、そんなしょぼい刀しか持たないあんたじゃね」

 それから息を大きく吸い込み――

『妖術・雲海うんかい!』

 もくもくと真っ白な霧を吐き出した。

「!」

 伊織は思わず飛び退った。この術は彼ですら見たことがなかったのだ。うかつには飛び込めない。しかし霧は伊織の予想をはるかに超える広がりを見せ、安岐ノ橋までの一帯を包み込んだ。

「來……この霧は?」

「雲化の術を拡大したようなものだよ」影狼の手を引きながら、來は言った。「安心して。この霧の中のことはアタシが全部把握してるから。伊織がどこに居るかも分かる」

 ―――來はまだこんな術を持ってたのか……

 悪い夢から覚めたような気分だった。人為侵蝕による脚力、太刀筋の読めない抜刀術、一生ものの傷を残す斬鬼丸。この三拍子がそろった伊織の威圧感は尋常ではない。だがこれで、あの阿呆みたいな俊足は封じられたことになる。

「逃げ切れると思う?」

「どうかな……でも、あいつのことだから、多分どこまでも追ってくるよ」

「……そうだね」

 影狼は寂しそうに笑った。

 伊織は己の誇りを守るために全力で向かって来る。なら自分もそれに応えるまでだ。影狼にだって、譲れないものがあるのだから。


 伊織は耳を研ぎ澄ませて周囲の気配を探っていた。

 霧は深く、視界は斬鬼丸の間合いよりわずかに広い程度しかない。突然の襲撃に対応できるように、斬鬼丸は抜かれたままである。

 背後に砂利を踏む音を聞き、伊織は素早く身を翻した。斬鬼丸を斜めに振り上げて、青白い剣閃を弾き飛ばす。

「甘いぞ影狼。後ろを狙ってるのがバレバレだ。逃げなかったことは褒めてやるが……」

 霧の向こうで、少年の影が動きを止めた。

「來はどうした。二人でかかっては来ないのか?」

「これはオレと伊織の問題だ。だからオレが決着をつける」

「ハハ……なんだそれは。お前、そんなこと気にする奴だったか?」笑っていた伊織の口元が、逆向きにひん曲がった。「ナメ過ぎだ」

 伊織の長剣が宙にうなり、影狼を襲った。

 薄闇の中に飛び散る火花。リーチで勝る伊織の攻撃を影狼が防ぎ続ける展開が続いた。

 最大の武器である俊足を封じられてもなお、伊織は強かった。彼は確かに妖術が使えない。しかし妖術が使える他の者を差し置いて上位奇兵に選ばれているというのも、また一つの事実である。

 だが、影狼も負けていない。素手で來を追い詰めるほどの体術は奇兵でも十分通用するレベルだ。特に、この濃霧の中では敏捷性が光った。直線的な動きの速さなら伊織が圧倒的だが、細かな動きの速さ、正確さは影狼に軍配が上がる。

 伊織の場合、部分侵蝕で脚力が格段に上がった代わりに、身体の感覚にズレが生じていたのである。

 伊織が足を滑らせ、影狼がその隙に間合いを詰める。

「チッ……」

 斬鬼丸で斬撃を強引に押し返すと、伊織は持ち前の脚力で地を蹴り、影狼から離れた。

「ナメてたのはオレの方だったな」低くくぐもった声で伊織は言った。「おかしいと思ったんだ。読みを完全に外しておきながらあの抜刀術をかわした奴を、オレは見たことがない。バケモノだな……お前も」

 奥にたたずむ影が、じっと伊織を見つめる。

「もう諦めなよ。この霧の中じゃその抜刀術すらできないんだろ。伊織に勝ち目はない」

「どうだかな。霧が消えれば分からないぞ」

「!」

「上手いこと言って誤魔化したつもりだろうが、オレはもう気付いてるぜ……來が出て来ない本当の理由」

 影がわずかに揺らぐ。

「この霧は雲化の術と一緒だ。電撃が走れば消える。つまりこの中では、來は無闇やたらに雲化できないわけだ。元に戻る時に雷が発生するからな」伊織は斬鬼丸を影狼に向けた。「お前が雷霆を使わないのも、同じ理由だろ?」

 影狼はなにも言わずに、伊織に突きかかった。

 伊織の意図を知っての必死の攻撃だが、荒っぽい攻撃は伊織にはかすりもしない。

「お前は後回しだ。來を斬ればこの霧は消える。その後で、一対一の勝負といこうじゃないか」

「待て、伊織!」

 伊織が一瞬で視界から消える。

 影狼は追うこともできず、霧に閉ざされた薄闇の中に一人取り残された。

 相手を見失えばこの空間は影狼にとっても危険である。息を殺して、ただ迎えが来るのを待つ他ない。

「!」

 突然、影狼は弾かれたように振り向いた。同時に相手の喉元に海猫を突きつける。

「ちょっと……! 危ないじゃない」そこに居たのは來だった。「気をつけてよね。こんなんで雲化したら洒落にならないから」

「なんだお前か……」呆れたのと安心したのとで、影狼は大きくため息をついた。「来るんだったら声掛けろよな」

「ビックリさせようと思ったの」

「こんな時になにやってんだよ」

 まったく息が合わない二人。やはり髑髏ヶ崎館で別々に行動したのは正解だったようだ。

「それより、気を付けろ。伊織はお前を狙ってる」

「なんだ、逃げたんじゃないんだね」來は意外という顔をした。「でも大丈夫。この霧がある限り、伊織は絶対にアタシを見つけられない。今頃、外で頭抱えてるんじゃないかな」

 來の予想は当たっていた。

 伊織は來の雲海を抜け出してからしばらくの間、途方に暮れていた。

 霧の端から端まで、少なく見ても五町《約五百五十メートル》はある。この広範囲の中で來を見つけるのは至難の業だ。しかも、どうやら來は霧の内部を感知できるらしい。最初の襲撃で影狼が見せた動き――あれは伊織の位置を正確に知っていなければできないはずだ。

 宵闇が迫り、霧はゆっくりと山の方へ流れていく。

 ―――考えてる時間はないか……

 伊織は心にそうつぶやくと、再び躍動した。


「……また入って来た」

 ポツリとつぶやかれたその言葉に、影狼は素直に驚いた。

「どうしたんだろ。なにか考えがあるのかな?」

「いや、そうでもないみたい。でもこれは……」

 伊織の取った行動は、來たちの虚を突いた――しかし極々単純なものだった。

 俊足に物を言わせた捨て身の斬り込み。進路を読まれないように、うねるような軌跡を描いて、伊織は霧の中を縦横無尽に駆け回った。斬鬼丸を前に突き出したままにしているのは、敵と出くわした時に自分でも反応できないからだ。

 その速さを前にして、すべてを把握している來でさえうかつには動けなかった。

「ヤバい……来るかも」

「え!? どこから?」來が小刀を取り出したのを見て、影狼も慌てて海猫を構える。

 斬鬼丸の切っ先が飛び出て来たのは、その時だった。

 金属の擦れ合う不快な音。來が二本の小刀で、紫色の錆びた刃を受け止めた。

「見つけた……!」

 確率は十に一つだったのかもしれない。しかしこういう時に限って、波乱は起きてしまうものだ。闇雲な突撃の末に、伊織はついに來を探り当ててしまったのである。

 伊織はにわかに体を開き、横合いからの攻撃をかわした。

 視線を送った先には海猫を構える影狼の姿がある。

「來! オレが止めるから、今のうちに隠れろ!」

 一つうなずいて、來は影狼の指示に従った。

 來にも武術の心得はあるが、雲化の術を使わずに伊織と対峙するにはやや不安があった。この霧を維持することを考えれば、直接刃を交えるのは避けたいところだ。

「馬鹿が……オレから逃げられると思うなよ」

 だがこの作戦はもう、先程までの効果を持たなかった。

 三合と打ち合わずに伊織を見失った時、影狼はそれを悟った。この短時間で來が動ける範囲はたかが知れている。伊織の足ならば來を再び見つけ出すのは容易いことだ。

 疾走する伊織の左右で、霧が流れる。

 斬鬼丸は鞘に納められ、反応が間に合うようにスピードは抑えてある。

 それは、影狼の邪魔が入る前に標的を一撃で仕留めるための構えだった。

「!」

 奥にたたずむ影を見つけ、伊織は素早く刀を走らせる。

 手応え無し。

 だが伊織は標的の姿を目で捉えて、口元を綻ばせた。

 そこへ影狼も現れ、蒼ざめた顔でそれを見つめる。

「終わりだ」伊織が言った。「霧はじきに晴れる。その時がお前らの最期だ」

 刀を鞘に納めて、伊織は再び霧の中へと消えていった。

「ごめん……止めるとか言っておきながら」

「仕方無いよ。相手は伊織だからね。アタシも上半身守るので精一杯だった」

 來の下半分は、幽霊のように消えてなくなっていた。

 もはやこれまで――この状態は三十秒と続かない。維持できなくなれば、その時は雲海も一緒に元に戻り、外で待機する伊織に影狼ともども斬り立てられてしまう。

「影狼。一瞬だけでいいから、伊織の動き止めてくれる?」

「……やってみてもいいけど、自信はない」影狼はくじけそうだった。「この霧が晴れたら、伊織は絶対に抜刀術を使ってくる。あれはオレでも見えなかった。太刀筋が全然読めない」

「いや、影狼なら止められるはずだよ」

「?」

 最初、影狼は気休めだと思った。

 しかしそれは、はっきりと確信を持って発せられた言葉だった。

「アタシ分かっちゃった。伊織の――抜刀術の秘密」


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