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妖峰戦記‐宝永の乱‐【第一部】  作者: ナマオ
第三章 伽羅倶利峠の戦い
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第33話:新天地

 鴉天狗が越後の国境を越えたのは、十一月二十六日――信濃の合戦が中盤に差し掛かる頃のことであった。越後は北国の割に冷え込みがそれほど厳しくなかったが、山道と連日の大雨が徐々に一行の体力を削っていった。甲斐八幡の本拠地を出てからすでに十日。体力も気力も限界が近づいていた。

 幕府の追手の脅威がなくなったのがせめてもの幸いだ。方々に散って哨戒活動を行っていた月光も、今では近辺の警戒にとどめ、労力を省いている。

「平気な顔してるけどよ、そろそろあんたも疲れてきたんじゃねぇのか?」

 人の域を超えた体力を買われ、武蔵坊は月光に混じって前方警戒に当たっていた。

 そのすぐ後ろに付き従うのは唯月。いつも通りの無表情で分かりにくいが、国境近くの山を越えてからは、息が荒くなっているように武蔵坊は感じた。

「そんなわけないだろう。私を誰だと思っている」本人はあくまでも否定する。「お前の方こそ、越後に入るずっと前から顔が死んでいるぞ」

 からかわれたような気がして、武蔵坊はキッと唯月の方を向く。

 だが唯月の口から続けて出た言葉は、そんな軽いものではなかった。

「……あの影狼とか言う奴が気になっているのか?」

 幕府軍と一戦を交えた日の夜。武蔵坊が一人で森の奥へ出歩くことがあった。影狼との決別に居合わせた唯月は、あえて見過ごしたわけだが、戻った後も武蔵坊の顔は晴れなかった。それどころか、より深刻な顔をしていたようにも思えたのである。

「そんなんじゃねぇよ……!」

 話を切り上げようと武蔵坊が歩調を早めた時、馬蹄の轟きが彼らの耳を打った。

 前方の丘から続々と現れる騎影。軍旗は掲げていなかったが、越後の軍勢であることは明らかだ。

「ちっ、まずいな……こんな所で出くわすとは」

「……問題ない。行くぞ」

 越後軍は月光を主体とした妙な集団に困惑しているのだろうか、進軍を止めていた。少なくとも、今のところ敵だとは思われていないだろう。

 月光の忍数名が、話し合いに向かう。武蔵坊と唯月も同行した。

「貴様ら、越後の者ではないな!? なにをしにここへ来た? 答えようによっては容赦せぬぞ」

 そう呼ばわったのは、見事な虎髭を生やした眼光の鋭い男。どうやらこの軍勢の大将ということらしい。

「怪しい者ではございませぬ」月光の忍の一人が答える。「我々は鴉天狗の一党でございます。幕府の理不尽な仕打ちに耐えかね、ここまでやって参りました。早ければこの国にも報せが入っているかと存じますが……」

 両者の間に緊張が走る。

 越後軍の数はそれほど多くないが、今の状態で一戦を交えることになれば壊滅的な損害が出るのは必至。それを避けるためには、鴉天狗の蜂起を越後側が知っているかどうかが大きな鍵となる。

「そうか」

 短く言うと、虎髭の男は馬を降り、甲冑の音を響かせながらこちらへやって来た。真ん前まで来た男に、話をした月光の忍が会釈する。

 が、次の瞬間――その忍の首が、笑顔を崩さぬまま、宙に飛んだ。

「な……!?」

 いつの間にか、虎髭の男が刀を抜いていた。

 呆気にとられる月光の忍たち。彼らに決して油断はなかった。交渉決裂も戦闘も想定内。だが抜刀の瞬間すら認識できなかったその凄まじい一撃は、彼らの心構えを一瞬で切り崩してしまった。

 反撃の機を失った月光の忍たちに、男は次なる攻撃を仕掛ける。

 標的にされたのは唯月。腰に隠した小太刀を抜くにはもう遅い。

 ガッ!

 鈍い音とともに、勢いよく振り降ろされた刀が停止した。

 刀を受け止めていたのは、黒く刺々しい異形の腕。武蔵坊が唯月と男の間に割って入っていたのである。

「いきなりなにしやがる!」

「なにを驚く。よそ者をどうしようがこちらの勝手だろう」

 虎髭男の横柄な態度に、武蔵坊が怒りをあらわにする。

「てめぇ……オレたちのことを聞くだけ聞いて、最初っからこうするつもりだったな!? なら、こっちも好きにやらせてもらうぜ!」

 そう言って刀を押し戻し、男に拳を打ち込む。

 雑な攻撃だが、力だけなら負けていない。数度打ち合ううちに、虎髭男の刀がへし折れてしまった。

「貴様……妖怪か」

 男は素手で立ち向かう武蔵坊に驚いたようだが、恐れる様子はない。それどころか、一層戦意が増したように見えた。

「ちょうどいい。戦がなくて退屈していたところだ。ここらでひと暴れしておかねば腕が鈍ってしまうわ!」

 脇差を引き抜き、猛獣が如き咆哮を上げながら、再び斬りかかる。

 刀が短くなったというのに、虎髭男の攻撃の激烈さは先ほどの比ではない。体の各所から血が噴き出したところで、武蔵坊は不利を悟る。

 ―――仕方ねぇ……あれを使うか……

 後々面倒なことになるから殺すわけにはいかないが、ちょっと焼くぐらいしてやらなければ、この荒くれ者は止まらないだろう。

 武蔵坊の腕が熱を帯びた。虎髭男から見てもそれは明らかだった。立ち上る陽炎は、その熱が尋常でないことを示している。

「よお……さっきまでの勢いはどうした?」熱の所為だろうか、妙に気分がいい。「来ねぇんなら、こっちから行くぜ!?」

 攻撃の手を止めた虎髭男に、武蔵坊は突撃を仕掛けた。

 直後に虎髭男が投げつけた脇差の鞘は、弾き飛ばされ、熱で燃え上がってしまった。

「馬鹿が、そんなもんが効くかよ!」

 苦し紛れの抵抗を嘲笑い、勝利を確信する武蔵坊。

 だがその勢いも長くは続かなかった。

「馬鹿は貴様だ! その程度のことで勝ったつもりか!?」

 怒号とともに男は大きく一歩踏み出し、肉薄する武蔵坊に脇差を突き込んだ。

 ―――こいつ……まさかオレの熱を測るために鞘を!?

 かわしきれないと見た武蔵坊は、咄嗟に腕を十字に組んで防御する。しかし鎧のよりも硬い皮膚を以ってしても、その鋭い突きに耐えることはできなかった。

 串刺しにされた両の腕から、血と蒸気が一緒になって漏れ出す。

「うおおおおおおおッ!」

 激痛からか怒りからか、狂ったような叫び声を放つ武蔵坊。同時に、ただでさえ危険だった熱がさらに数段高まり、脇差が溶け始める。

「ぬうっ……!」

 攻撃直後に離脱を始めていた虎髭男だが、手と顔に決して軽くはない火傷を負ったようだった。

「やり過ぎだ武蔵坊」遠巻きに見守っていた唯月が言った。「そいつを殺したらすべてお終いだぞ」

「分かってるよ!」

 無茶を言うなと、武蔵坊は思った。

 虎髭男は妙に妖怪慣れしている様子だ。投げつけた鞘で武蔵坊の熱を測り、反撃の可否を判断した。普通は瞬時にそこまで思いつかない。ましてや、灼熱の中に自ら飛び込むことなど――

 虎髭男は、首を失った忍の骸から刀を調達した。まだやり合うつもりらしい。

「相変わらず血の気が多いな。信繁のぶしげよ」

 だがちょうどその時、鴉天狗側の奥から親しみのある呼び声が掛かり、闘争は中断された。

「貴様は鵺丸!」

「隊長と呼ばんか馬鹿者が。もっとも、儂とお主とでは隊が違っていたのだがな」

 数名の幹部を引き連れて現れたのは鵺丸。彼の登場で、殺伐とした空気はどこかへ消えてしまった。

「ふん、侵蝕人を庇うような愚か者に、隊長を名乗る資格などないわ!」

 信繁と呼ばれた虎髭男は、横柄な態度こそ変えなかったが、少しは大人しくなったように見えた。

「まあその話は後にしようではないか」と、鵺丸。「ともかく今は、刀を納めてくれぬか? 儂らの処遇はお主一人で決められるものではないと思うのだが、違うかね?」

 しばし鵺丸と睨み合った後、虎髭男は刀を投げ捨て、手勢の方へ引き返した。

「いいだろう。どうせ行き着く先は同じだ。殿の命が下るまで、あと少しだけ生かしてやる」

 ややこしい場が収まり、安堵する一同。

 しかし武蔵坊だけは違っていた。持ち場に戻っていく鵺丸の後ろ姿を、憂いを含んだ眼差しで見つめていた。


     *  *  *


「鵺丸……あんたに取り憑いてるそいつは、いったいなんなんだ?」

 その問いかけに、鵺丸は答えなかった。幕府の追討軍と戦った日の夜のことである。

 ただならぬ邪気を感じ、駆けつけた武蔵坊の目に飛び込んできたのは、苦しみ悶える鵺丸と、彼にまとわりつく異様な影だった。

「答えろ! 今の影はなんだ!?」押し黙る鵺丸に、武蔵坊はさらに重ねて問う。「おかしいと思ってたんだ。あんたが幸成を殺したことが、オレはまだ信じられない。侵蝕で正気を失っていたとしか思えなかった。だけど侵蝕だとしたら、あれだけそばに居たオレが異変に気付かないはずがない。あんたを変えたのは、侵蝕とはまた違うものだ。そうなんだろ?」

 静まっていた鵺丸の邪気が、再びざわついた。

「そんなことを知ってどうする? 皆に知らせるのか? そうなれば、月光は儂を生かしておかぬだろうな。儂がいなくなれば鴉天狗がどうなるか分からぬほど、お主は阿呆ではあるまい」

 鵺丸がいなくなれば、侵蝕人を抑える者がいなくなる。それだけでは済まないだろう。鵺丸を信じてここまで付き従っていた者たちが、その死の真相を知ったとしたら、なんのために命を賭してきたのかという虚無感に苛まれることになる。大義名分すら怪しくなってくる。

 状況を理解した様子の武蔵坊に、鵺丸は少しだけ真実を告げる。

「お主の言う通り、儂はなにか得体の知れぬものに取り憑かれているようだ。時々自分を見失う。いや……今でさえ、精神になにかしらの干渉を受けているかもしれん。儂とて幸成の死は悲しいさ。この手で殺めてしまったことには、後悔しかない」だんだんと声が上ずっていく鵺丸は、暗闇の中でも泣いているように見えた。「だがな、これは無くてはならぬものだ。儂が侵蝕人を抑えられるようになったのは、この魔物に取り憑かれてからのことだ。もう、前のようには戻りたくない」

 ―――そんなの……卑怯だ……!

 武蔵坊の胸にこみ上げてきたのは同情ではなく、怒りだった。だがその怒りを鵺丸にぶつける気にもなれなかった。

 やるせない気持ちなのは鵺丸の方だ。幸成との絆にしても、新参者の武蔵坊より遙かに深いものだったろう。それだけに悲しみも大きいはずだ。

「分かったよ……分かったから、一つだけ約束しろ。オレには隠し事をするな。少しでも、人の心が残ってるのなら」

 そう言ってやるのが精一杯だった。

 鵺丸と出会ってまだ一月余りだが、武蔵坊には一つ大事なことが分かっていた。

 彼は馬鹿ではないが、いささか無謀なところがある。年々増えていく侵蝕人の保護、素性の知れない月光の雇い入れ、武蔵坊を鴉天狗に引き入れたのも、周囲の反対を押し切ってのことだと聞いている。その危うさを、誰かが支えてやらねばなるまい。

 幸成亡き今、自分にその役目が回って来たのだと、武蔵坊は感じていた。


 時は戻り、二十七日の夜。

 ―――ったく……呑気な連中だぜ……

 焚き火を囲んではしゃぎ回る仲間たちを眺めて、武蔵坊はため息をついた。

 最寄りの城まで案内された鴉天狗の一行は、野宿までを許され、越後大名から正式な許可が下りるのを待つことになっていた。不安は尽きないが、越後に入る前は火を起こすことすら躊躇われたのだから、皆が浮かれてしまうのは無理からぬことだ。

 彼らが鵺丸の秘密を知ったらどんな顔をするだろう。武蔵坊も一度は受け入れたものの、思い返す度に、鵺丸に取り憑く魔物に踊らされているようで気味が悪くなる。

 いっそのことすべてぶちまけてしまいたい――何度撥ね除けても、その衝動は絶えず押し寄せてくる。鴉天狗の命運がかかる葛藤と重圧で、武蔵坊は周囲から孤立していくのを感じていた。

 ぼんやりとした視線の先で、浮かれていた連中の一人がこちらへやって来るのが見えた。

 武蔵坊は気付かないフリをしてやり過ごそうとするが、やはりそいつは武蔵坊が目当てのようだった。ズカッと隣に座りこむと、無遠慮に話しかけてきた。

「よお。お前、武蔵坊だろ? 昼間の見てたぜ。凄かったなあれ。素手であいつと張り合うなんてよ」

「ん? ああ、あれか」

 どうやら虎髭男と戦った時の話らしい。

 話しかけてきたのは、長い前髪で右目が隠れた若い男。名前は知らないが、多分幹部の一人だ。昼間も鵺丸に付き従っていたような気がする。

 悪い気はしなかったから、武蔵坊は話に乗ってみることにした。

「お前が戦った相手はな、本庄ほんじょう信繁のぶしげって言って、殲鬼隊でも五本の指に入る男だ」

「へぇ……そうかい。全然そんな感じはしなかったけどな」

 道理で、妖怪慣れしているわけだ。そして鵺丸への態度もでかい。正直、その信繁という男の戦いぶりにはかなりビビっていたが、軽んじるような言い方になったのは、個人的に嫌っているからだろう。あるいは、誉められて気分がよくなったか。

「それでさ、お前の戦い方見て思ったんだけどよ――」

 しかし長髪の男は、ことさらに誉めそやしに来たわけではなかったようだ。男の口から続けて飛び出た一言が、浮かれていた武蔵坊をハッとさせた。

「お前、犍陀多かんだたの子だろ?」


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