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妖峰戦記‐宝永の乱‐【第一部】  作者: ナマオ
第三章 伽羅倶利峠の戦い
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第26話:信濃騎兵

 栃波山の麓に布陣して七日目の早朝。朝廷軍は歩兵五千を先鋒として山への進軍を開始した。

 蛇のようにうねった山道を、群青色の軍隊が一列になって進む。

 林が切り開かれただけで、ほとんど整備されていない道。そこを整然とした列で行軍するのは極めて困難なもので、それは例えるならばアリの行列のような状態だった。

 思うようにいかない行軍に、指揮官もいらだちを見せている。

「おいそこぉ! なにをもたもたしている! まったくこれだから民兵というのは」

 そう毒を吐いたのは先鋒の大将――小笠原おがさわら長矩ながのりである。飛騨国出身で、ここいらでは弓の名手として知られる男だ。

 武士としての矜持がある彼からすれば、民兵の台頭は不愉快なものらしい。

 兵に不信感を与えかねない発言を、部下が戒める。

「長矩様。あまりそのような事を大声で……」

「ふん、浮かれている奴らにはこれぐらいがちょうどいいわい。なにやら、この間の戦で要らぬ自信をつけたようだが、あんなものは勝利のうちに入らぬ。今この状態で騎兵に襲われればひとたまりもないぞ」

「そうでしょうか? このような山道では騎兵もそれほど怖くないかと思いますが……」

 楽観的な部下への侮蔑をこめて、長矩は馬上からつばを吐いた。

「信濃の騎兵を見くびるな! 奴らは山だろうが谷だろうが、平地と同じように駆け抜ける。なにせ山国育ちの馬だからな」

 悪態ばかりが目立つ長矩だが、彼の危惧している事はまさにその通りだった。部下の者たちがそれに気付いたのは、この日何本目かの分かれ道を通過した時のことである。

 朝廷軍から見て右手の林には幕府軍の鉄砲衆が潜んでいた。朝廷軍が分かれ道に差し掛かったのを見届け、一斉に弾込めを始める。

 そして奇襲は、一つの銃声から始まった。

 パァン!

 バババァン! パァン!

 突如鳴り響いた一発の銃声。それに続き、破裂音が連鎖的に湧き起こる。

 朝廷軍は一時混乱したが、各隊の指揮官が冷静に対応する。

「うろたえるな! 敵は右手の林だ! 発砲用意――撃てぇ!」

 号令に合わせ、一斉に撃ち返す。

 ズドドォォン!

 事前に襲撃を想定していたのと、損害が軽微だったのとで朝廷軍はすぐに体勢を立て直すことができた。

 圧倒的な火力。しかしこれも幕府軍の攻撃同様、たいして効果はなかったようだ。

 数秒後、林側から再び散発的に銃声が聞こえ、列の各所で苦痛の叫びが上がった。損害は最初の攻撃と同程度、むしろそれより多いかもしれない。

 道で堂々と整列する朝廷軍に比べ、林に潜む幕府軍は木の裏に隠れる事が出来るのだ。このまま撃ち合えば分が悪い事は明らかだった。

「兼定め、つまらぬ小細工をしやがる」

 長矩は右側二列の兵に対して突撃命令を下した。銃声からして、敵の数はそれほど多くはない。白兵戦で一気に殲滅しようと考えたのだ。

 だがこれは、事態を大いに悪化させることとなった。

 朝廷軍の一部が林に突入して間もなく、山の上から馬蹄の轟きが響いて来た。

「長矩様! 右手の坂道に騎兵が現れました!」

「なんだとぉ!?」

 目をやると、山の上に続く道から信濃騎兵が駆け降りて来るところだった。

 それを率いるのは竹中喜兵衛。陣容の薄くなった朝廷軍の列に突入する。

 朝廷軍は慌てて隊列を直そうとするが、中途半端な戦列はなんの役にも立たなかった。信濃騎兵はその間隙を縫うようにして隊列を散々にかき乱す。

 戦列歩兵というものは、隙間なく兵を並べてはじめて威力を発揮する。それは単に射撃の精度を上げるだけではなく、銃剣の槍衾によって騎兵の突撃を防ぐ目的もあった。言わば人の馬坊柵。

 不覚にも長矩は、あれほど徹底させていた密集隊形を、自ら崩してしまったのである。

 こうなったら、いっそ林に逃げ込んでしまおうか――長矩はそうも考えたが思い直す。

 信濃騎兵の実力は計り知れない。林の中まで追って来られたら、密集隊形の取れない朝廷軍に勝ち目はない。多少の損害には目を瞑って、ここで立て直す方が確実だ。

 長矩は機能不全に陥ってしまった前衛を打ち捨て、まだ崩れていない辺りから隊を組み直させた。

 しかしそれが終わらないうちに、信濃騎兵は馬首を巡らせて坂の上へ引き上げてしまった。林の中にいた鉄砲衆もそれに続いて撤退して行く。

「おのれ! やり逃げは許さん!」

 これから反撃しようというのに肩透かしを喰らわされ、長矩は激昂した。全軍に追撃を命じる。

 狙うは逃げ遅れている鉄砲衆。真っ先に追い付いたのは、騎兵にかき乱された前衛である。彼らはもはや隊列を立て直すことが出来ない。しかし敵を追うだけならば、その方が動きやすいのだ。

 敵を射程に収めた者から順次発砲していく。幕府軍も代わる代わる踏みとどまって応戦する。小規模な銃撃戦がしばし続いた。

 幕府軍が扱うのは火縄銃。対する朝廷軍は西洋銃。

 どちらもマスケット銃に分類されるものだが、朝廷軍の西洋銃にはフリントロック式と呼ばれるより新しい点火機構が備わっていた。火縄を使わないために、密集射撃における暴発の危険性が少ないのが特徴だ。

 しかし一方で、発砲時のブレと時間差のために、命中精度では火縄銃に劣っている。個々で狙い撃った銃弾はなかなか命中せず、熟練度の差、銃の性能差は銃撃戦にもはっきりと表れた。

 前が詰まった事により、朝廷軍の追撃は停滞する。

「まともに撃ち合うな! 前進しろと言ってるんだ、この役立たずどもが!」

 長矩の怒りは最高潮に達した。前衛の指揮官は多くが討ち取られていて、思うように動いてくれない。このような細かい指示まで彼が出さねばならないようだった。

 朝廷軍がもたついているうちに、幕府軍は次の段階に入っていた。

 鉄砲衆が左右に分かれて林の中に消えると、坂の上から再び轟音が上がった。

 竹中喜兵衛率いる騎兵が、取って返してきたのである。

「うわぁあああっ!」

 騎兵の恐ろしさはすでに味わっている。朝廷軍の前衛は大半が逃散してしまった。

 林の中に逃げ込んだ兵はまだ良い方で、なにより最悪だったのが後続の味方部隊に飛び込んできた者たちである。彼らは列を乱すだけでなく、射撃の邪魔になってしまうのだ。

 信濃騎兵がこの機を逃すはずもない。背を向ける朝廷軍前衛を追うようにして、戦列に突入する。敵方も銃剣で応戦するが、馬上から突きだされる長槍には遠く及ばない。

 この惨状を見た長矩は自ら弓を取り、前線に飛び出した。

 彼も名ばかりの男ではなく、この状況下にあっても冴え渡った弓術を見せた。彼の放った矢は一本も違わず敵に命中し、信濃騎兵の肉薄を阻み続けた。

 しかし列に食い込む騎兵の数はみるみるうちに増え、手に負えなくなる。

 騎兵の一人が、長矩の前に躍り出た。

「皇国にも間抜けな指揮官がいるなぁ――と思っていたら、お前だったか」

「貴様は、竹中喜兵衛!」

 その小生意気な若造を、長矩は知っていた。

 長矩の率いる軍隊が古色蒼然としていた頃からの宿敵。幾度か戦い、その度に苦杯をなめさせられてきた。そして今回も――

 久しぶりに見た長矩を、喜兵衛はせせら笑った。

「ずいぶん滑稽に見えるぞ、小笠原長矩! 西洋銃一色の中で、大将一人だけが弓とは……時代に取り残されたようで片腹痛いわ!」

「馬鹿め! 民兵でも簡単に扱えるおもちゃなど、一流の武人には不要。鍛錬を重ねた我が弓は鉄砲にも勝る。身を以って知るがよい!」

 言うや否や、長矩は喜兵衛の体軸めがけて矢を放った。

 引き絞る動作は一瞬の事で、まだ槍を構えていなかった喜兵衛は上体をそらしてかわしたものの、大きな隙を作ってしまった。喜兵衛の馬が駆け出す時には、長矩は次の矢をつがえていた。

 今度は三本同時。大きな溜めを作って喜兵衛を待ち構える。

 喜兵衛は正面からの突撃は避け、弧を描くようにして接近する。的を絞らせないため、矢の威力を削ぐため、馬の側面を向けて槍の守備範囲を広げるためである。

 だが、達人長矩の手にかかればこれは好都合でもあった。

「そんな小細工が通用するものか!」

 長矩の放った三本の矢が、一斉に喜兵衛を襲う。

 それぞれが最初の矢を軽く上回る威力。

 一本は馬の首、二本目は騎手、三本目は馬の尻を狙っている。

 さすがの喜兵衛も三本全てを防ぐことはできなかった。喜兵衛の振り回す槍に打ち払われたうちの一本が、矢尻だけとなって馬の尻に突き刺さった。

「ちっ、相変わらず良い腕してやがる」

 馬が負傷してはまともに戦えない。暴れだす馬をかろうじてなだめ、喜兵衛は坂の上へ引き返した。周囲の信濃騎兵も彼を援護しつつ撤収する。

 長矩としては宿敵を討ち取るせっかくの好機。迷わず追撃命令を出す。

 だがさすがに、これには部下たちが黙っていなかった。

「長矩様、落ち着いてください! 追撃しても同じことの繰り返しですぞ! それに、隊の乱れも深刻です。一度陣地に戻り再編しないことには、どうにもなりません」

 猛反対の声が相次ぎ、長矩はついに観念して兵を引くことにした。

 この敗報はすぐに後続の部隊へ伝わり、残りの朝廷軍も陣地へ引き返すこととなった。

 喜兵衛の快勝が知らされると、幕府軍陣地は歓声に包まれた。

 長矩が無茶をした事により、幕府軍は期待以上の戦果を上げることができたのである。

「兵は揃っていても、使う者は揃っていないようだな」

 この合戦を、兼定はそう評した。

 皇国はプロセイン式の戦列歩兵を導入したことにより、練度の低い兵でも戦場に投入できるようになった。しかし指揮官までが経験不足とあっては使い物にならない。長矩は日ノ本古来の武将で、想定外の状況になると西洋式の軍をどう動かせば良いのか分からなかった。柔軟性に欠けるのが皇国戦列歩兵の弱みである。

 それに比べて、信濃の兵は兼定の指揮の下、いくつもの合戦を戦い抜いてきた経験者揃い。主君の意図をくみ取り、どんな状況でも臨機応変に動くことができるのだ。

 ここは山国。典型的な日ノ本固有の地形である。

 彼らが西洋軍もどきに負けることなど、あり得ない事だった。


     *  *  *


 峠道を上り、影狼は待ち合わせの場所へと向かっていた。

 空には厚い雲がかかっていて、辺りは真っ暗。林の方は妙に静かで、今にも幽霊が出てきそうな雰囲気があった。影狼は幽霊を信じない派だが、それでも一人で歩くには心細い。

 伊織から聞いた話だが、栃波山ではかつて大きな戦があったそうだ。

 平安時代の名将――源智みなともの仲良なかよしが、火牛の計を用いて敵の大軍を打ち破った有名な合戦である。牛に追い立てられた敵方の兵は谷に転落して、何万もの戦死者を出した。この壮絶な戦いは、峠の名をとって伽羅倶利峠からくりとうげの戦いと呼ばれている。

 そんな話も思い出して、影狼は自然と早足になった。

 峠を上りつめると、少し明るい広場が見えてきた。

 二つのかがり火が燃えていて、その間には赤い髪の男が立っている。

「御屋形様」

「お、来たか……って、明かりの一つぐらい持って来いよ。肝試しじゃないんだから」

 暗がりから現れた影狼を見て、男は苦笑をたたえた。

 影狼を待っていたのは柘榴親方――ではなく、御屋形様こと柘榴だった。

 御屋形様というのは、御三家をはじめとする大大名にのみ許された敬称である。柘榴はもう大名家ですらないが、かつての名残なのか部下からはそう呼ばれているらしい。あの時に伊織が教えてくれなければ、大恥をかくところだった。

「ここはかの有名な伽羅倶利峠の戦いで、平家が本陣を構えた場所だ。妖術の練習にふさわしい感じがするだろ?」

 見渡してみると、広場はブナと栃の木に囲まれていて、入口には石碑、かがり火の奥にはなにかが降臨して来そうな石台がある。その場にいるだけで、なんだか不思議な力が湧いてくるようだった。

 今夜は柘榴から妖刀の使い方を教わる約束。彼の手前、笑顔は見せられないが、影狼は心底期待していた。


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