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妖峰戦記‐宝永の乱‐【第一部】  作者: ナマオ
第二章 決別
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第22話:心の拠り所

 乾燥した林はよく燃える。初めは地面を這っていた炎はやがて樹々に絡みつき、熱風と黒煙を吐きながら燃え広がっていった。

 武蔵坊は己の放った炎を見つめて後ずさりした。まさかこれほど燃え広がるとは思わなかったのだろう。炎は武蔵坊の意思とは関係なく勢力を増していく。やってしまったが最期、もう後戻りはできないのだ。

「なにをボサッとしている!? 今のうちに行くぞ!」

「……ああ」

 炎から目をそらし、武蔵坊は唯月らとともに北へと駆け出した。

 突如現れた火の壁によって幕府軍の勢いは堰き止められた。急停止した一列目に二列目が衝突し、後の列もそれに続いての大混乱となる。こうなってはもはや追撃どころではない。風を受けて燃え広がる炎に追われ、兵たちは右へ左へと逃げていく。

「うろたえるな、そっちじゃない! 風上に逃げるんだ!」

 剣豪の笹暮も炎からはただ逃げることしかできない。

 武蔵国から召集された彼はこの辺りの地理には疎く、近くに水辺は無いか、どの方角へ向かえば林から早く抜けられるかも分からなかった。ここが戦場になるとは夢にも思わなかったのだからなおさらだ。

 黒煙が熱風に押し上げられたのか、気付けば空には暗雲がかかっていた。視界いっぱいに広がる炎が相まって、夕焼け空と薄闇の大地がひっくり返ったようにも見える。

 影狼たち三人は前線から離れていたので、逃げるのに苦労はしなかった。時々立ち止まって、火の回り具合を心配そうに眺める。

 と、その時。影狼は頬に冷たいものを感じた。

 手で拭ってみると、水滴が指に付いた。

 ―――雨だ……!

 そう思う間もなく、今度はその百倍、千倍の雨粒が降り出した。

 雨の勢いはとどまる所を知らず、やがて落ち葉が弾ける音で何も聞こえなくなる。目が開けられなくなる。そしてようやく目が開けられるようになった頃には、雨はピタリとやんでいて、あれだけ威勢よく燃え広がっていた炎もすっかり鎮まっていた。

 焼け跡の向こうにはもう鴉天狗の姿は見当たらず、人の形をした真っ黒なものが焼け跡に点々と横たわるだけだった。


     *  *  *


 この戦闘で幕府軍の戦死者は百を超え、対する鴉天狗も戦力の四分の一にあたる五十人程が命を落とした。鴉天狗の捕虜は得られず、鴉天狗討伐は幕府軍の惨敗に終わった。

 総大将の務めを終えて、笹暮が羽貫衆のもとへやって来た。

 彼からはもう四天王の風格は感じられず、馬を降りてからは一層頼りなさそうに見えた。

「すまぬ……私が不甲斐無いばかりに、君たちをこのような目に遭わせてしまうとは」

「オレたちは大丈夫ですよ。戦ってのはなにが起こるか分かりませんから、これぐらいで音を上げるようじゃ傭兵なんてやってられません」栄作は無邪気な顔をしてみせた。「ま、影狼は危なかったんですけどね。一人で突っ込んだりして」

「ごめんなさい……」影狼がぺこりと頭を下げる。

 羽貫衆の奮闘によって影狼は生還できたが、危険な状況を作ってしまったのは総大将の責任だ。笹暮の気分はほろ苦い。

「怪我は無いか?」

「はい。でも……せっかくここまでしてもらったのに、何もできませんでした」

 ようやく再会できた友に縁切りを言い渡された影狼。その消沈ぶりを見ていると、事の重大さに改めて気付かされる。一度の失敗で、影狼のみならず多くの者が傷つき、または死んでいったのだ。一軍を率いるのはこんなにも大変なものなのかと笹暮は思った。

「鴉天狗はこれからどうなるのですか?」

「ここから先は、国境の守備隊が鴉天狗を食い止める手筈になっている。もう、私の力ではどうにもならない」後ろ向きになる気持ちをふるい落とすかのように、笹暮は首を左右に振った。「だが、もしもう一度鴉天狗と相見えることがあれば、此度のようにはさせぬ」

 影狼がうなずく。

「私はもう行かねばならぬ。栄作、柳斎、太郎次郎。これからもよろしく頼むぞ」

 笹暮は再び馬にまたがり、軍団の中へ駆けていった。

 その後ろ姿を見送って、栄作たちは嘆息する。

「オレは笹暮さんが心配だ。国主になったまではいいが、最近は全く出番無しだ。かと思えば今回の戦はいきなり総大将にされて、おまけに相手が殲鬼隊時代の戦友ときた。誰がこの討伐作戦を計画したか知らねぇが、悪意しか感じないぜ」

「同感だ。そもそもこの討伐作戦自体、勝つ気があったのか疑わしい」柳斎が言った。「兵力は二千と十分な数を揃えているが、将兵ともに実戦経験のない者ばかり。やることが中途半端だ」

 普段無口な分、どこか思慮深げに見える柳斎。対して栄作は憧れの人の復活を待望するような口ぶりで言い返す。

「戦場から離れてたのは本人の意思なんだろうけど、本音言うと、笹暮さんにはもっと戦場で活躍して欲しいな。せっかくあれだけの剣腕があるわけだし」

 しんみりと沈黙する一同。事情を知らない影狼に、栄作が補足した。

「オレたちと笹暮さんは、同じ道場の門下生だった。笹暮さんはその中でも頭一つ抜けてて、爪楊枝時代の柳斎も歯が立たなかったんだ」

「爪楊枝時代とはなんだ!」

「しらばっくれるなって。お前の手にかかればどんな刀でも爪楊枝同然だったろ?」

 柳斎は余程ちまちました戦い方をするのだろう。剣捌きそのものはお目にかかれなかったが、あの乱戦の中で返り血一つ浴びなかったのには驚かされた。

 でも爪楊枝侍かぁ――なんだか柳斎がかわいそうなので、影狼は話を戻すことにした。

「笹暮さんって、やっぱり凄いんですね」

「まあな。十四歳で、しかも武蔵国の一番手として殲鬼隊に呼ばれたんだからな」栄作は懐かしそうに夕空を見上げる。「あん時は殲鬼隊に入ることがみんなの夢だったから、オレたちも負けじと頑張ったんだけど、結局夢が叶ったのは笹暮さんだけだった。それが巡り巡って、今の仕事に繋がってるわけだが」

 それから影狼たちは地べたに座り、しばらく夕日を眺めてぼんやりしていた。

 あれ程の土砂降りだったのに、林を抜けたこの場所は全く湿っていない。あれは局地的な雨だったようだ。

「しかし、あの武蔵坊とかいう奴は妙な術を使いやがる」栄作がボソッと呟いた。「手をかざしただけで火を起こすなんて、人間業じゃねぇ。奇兵でもあるまいし」

「武蔵坊は妖怪ですよ」

 唐突に、影狼がとんでもないことを言い出した。

 不意打ちを喰らって、一同はのけぞった。太郎次郎は後転した。

「それは……言い過ぎじゃないか? いや、まあ……オレだってあんなこと言われたら、鬼かよって思うけどさ」

 栄作は影狼がやけくそになったのかと思って慌てたが、そうではなかった。

「本当の事なんです。自分で妖怪だって言ってましたから」嘘じゃないと繰り返して、影狼は続ける。「でも、根はやさしい人で……本当に、どうしてあんなこと言ったんだろう。オレだって鴉天狗のために今まで頑張って来たのに」

 一同は少し納得したようだった。

「なんだか、いろいろ込み入った事情がありそうだな」目がうるんできた影狼をなだめて、栄作は言った。「けど……多分だけど、本当は武蔵坊も分かってると思うよ。影狼が頑張ってたって事は。誰にだって、突き放したような言い方になる時はあるさ。柳斎なんか、この前ちょっといたずらしただけで、顔も見たくないって言ってきたもんな」

「事あるごとにオレの名を出すな」

 笹暮の話に続いて名前を持ち出され、柳斎が遺憾の意を示した。

「ほらキレた」

「キレてない!」

 ケタケタ笑う栄作と不機嫌な柳斎。これでも二人は長年うまくやってこれたのだ。二人を見て影狼は、そこまで深刻に考えることもないような気がした。

 いつの間にか暗くなってきたので、羽貫衆の三人は帰りの支度を始めた。

「君たちはこの後どうするんだい?」

 太郎次郎は一足先に荷物をまとめ終えると、影狼たちに問いかけた。

 影狼は伊織に目配せする。すべては伊織が仕切るのだ。

「私はここの用事が終わり次第、信濃に行くことになっています。当然、影狼も」

「ほうほう~、奇兵は忙しいね」

「よいしょっと!」大鉄砲を背負いあげて、栄作が立ち上がった。「影狼も行っちゃうのか。せっかくだから、ヒュウに会わせてやりたかったんだけどな」

「ヒュウには、あの時はありがとう。元気にしてるよって伝えてください」

「ああ、しっかり伝えておくよ」栄作は快活に笑った。「けどその代わり、ちゃんと元気にしてろよ。伊織とも仲良くな」

 お別れの時間。先が思いやられるだけに、影狼は寂しい気持ちになる。

 すると栄作が振り向いて、最後に一つ言い添えた。

「そうだ。今度会うことがあったら、ヒュウの店を紹介してやるよ」

「……お店?」

「そう。ヒュウはあの年で店主をやってるんだ。なかなか面白い所だから、暇があったら遊びに行きな」

 それを聞いて、影狼は笑顔でうなずいた。


     *  *  *


 夕方過ぎ。越後へ続く山道を、ひたすらに駆ける二つの騎影があった。

 笹暮が国境へと遣わした部下である。鴉天狗の越後亡命を防げるかは、彼らの手にかかっていた。

「どうする? このまま夜通しで突っ走るか?」

「いいや、夜道を急ぐのは危険だ。オレたちは馬なんだから焦る事はない。そろそろ速度を落として、馬が疲れてきたら寝よう」

「そうだな。夜明けと同時にかっ飛ばせば、鴉天狗なんかすぐに追い抜い――ぐぉあ!?」

 突然、嫌な感覚に襲われて男の一方が奇声を上げた。気付いたら体が宙を舞っていたのである。もう一人の方は声を上げることも出来なかった。二人はそのまま、ズシャリと音を立てて地面に叩きつけられた。

「いてて……何だ?」

 痛みに悶えながら男が振り向くと、そこには鎖が張られていた。鎖の先端には鎌が付いていて、向こうの草地にめり込んでいる。どうやらこれに足を取られたようだ。彼らの馬は鎖の前に転がって、苦しそうに身をよじっていた。

「ちくしょう! 誰だこんなイタズラしやがったのは!?」

 使い物にならなくなった馬を見て、男は憤る。

 すると、暗い林の中から、男の低い声が響いて来た。

「ククク……これをイタズラと言うか。呑気なことよ」

「!?」

 驚きの余り、幕府軍の二人は顔を見合わせた。

 互いの顔には、死人の相が浮かんでいた。


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