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妖峰戦記‐宝永の乱‐【第一部】  作者: ナマオ
第二章 決別
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第19話:裏切り者

 邪気の騒ぐ、満月の夜――その男は死神の如く現れた。

 月光の忍装束の男。それが我が家にやって来た意味を、影狼はまだ知らなかった。

 男の去った後に残ったものを見て、初めて気づいたのだ。月光が、限界を迎えた侵蝕人を間引く役目を担っていたことを――

 生まれて初めて鴉天狗に不信感を抱いたのも、その時のことだった。

 山梔子――忘れるはずもない。この男が、影狼から日常を奪ったのだ。

 図々しくも再び現れた仇敵を前にして、影狼は燃え上がる気持ちを抑えられなかった。

「……本気で言ってるのか!?」

 栄作は困ったような顔をした。

 かつての同胞と戦うなどという馬鹿げたことは正気の沙汰とは思えないし、受け入れられるものでもない。

 だが、影狼は決して強がりで言っているわけではないのだ。

「あの人たちは、鴉天狗の仲間じゃないです。あいつらが母さんを殺したんです。あいつらのせいで鴉天狗は……!」

 元から仲間などという意識はなかった。常に身近にありながらも謎の多かった月光。それが親しい者の命を奪ったとなれば、憎悪の対象にしかなり得なかった。

 膨れ上がる憎悪は、影狼から冷静さを完全に奪い去った。

「……おい!? 待て!」

 制止の声は、届かなかった。

 影狼は弾丸のような勢いで乱戦の中に飛び込んで行った。

「くそっ、足速ぇな……あいつ」栄作は追跡を断念し、助っ人の名を呼ぶ。「伊織、大変だぞ! 影狼が一人で突っ込みやがった!」

「え!? 今なんて……?」

 前線で戦っていた伊織は、その緊急事態をすぐには呑み込めなかった。


     *  *  *


 山梔子は乱戦を好まなかった。

 敵味方入り乱れる戦線からやや下がった所で待機し、孤立した者を一人ずつ始末する。山梔子はこの戦法を徹底していた。

 だから一人突出したその少年も、見逃すはずがなかった。

 ―――なんでこんな所にガキが? まあ、なんでもいい。やっちまえ!

 山梔子はマスクに隠れた口元をほころばせる。

 だがそれは、一瞬のことであった。

「……!? お前は!」

 栗色の髪をなびかせて、真正面から斬りかかって来るのは間違いなく――

 キィン!

「お前は……影狼! なぜここにいる!?」

「そんなこと、知る必要はない……!」影狼は冷たく言い放った。「お前ら月光こそ……なんのつもりだよ! どうしてお前らみたいな奴が鴉天狗にいるんだ!」

「なにを言ってるんだ?」

 山梔子は最初、訳が分からなかった。急に斬りかかってきた小僧が何を言い出すかと思えば――だが影狼の青白い小太刀を見て、ようやく気付いた。

 初めて刀を交えた時の光景が、よみがえる。

「ククク……そうか、そうだったな」嘲笑交じりに、山梔子が言った。「オレはあの時殺したんだっけな……お前の、義理の母ってのを」

 影狼の眼光が、凄みを増す。

「だが恨まれる筋合いはないな。オレはちゃーんと言ったはずだ。文句があるなら、鵺丸に言えと。あれは頼まれてやったんだ。まあ……まんざらでもなかったが」

 一理ある。

 侵蝕人の尊厳を守るという口実で間引きを命じたのは鵺丸であり、月光はその汚れ仕事を引き受けたにすぎない。責任は全て鵺丸にあるはずだった。

 しかしそうだとしても、影狼は月光を許せなかった。

「それだよ……その言い草が、気に食わないんだよ」刀に力を込める。「頼まれたのだとしても、結局お前らは、好きこのんでやったんだろ!?」

 態度……言動……そこから死者に対する思いやりは全く感じられない。義母たちがそんな奴らの手で葬られたのかと思うと、悔しくてたまらないのだ。

 鴉天狗が道を誤ったのも、この得体のしれない集団の仕業のように思えてくる。

「お前らみたいな奴がいるから、鴉天狗はむちゃくちゃになったんだ!」

 かみ合っていた刀が離れ、影狼が二発目を叩き込む。

「ふん、言いがかりだな。知ったことか」

 山梔子は全く相手にしない。それどころか――

「そう言えば、あの幸成とかいう奴もくたばったようじゃないか……て事は、お前はもう一人ぼっちだな」短刀を構えなおす。「かわいそうに、このオレがそいつらの元に送り届けてやろうか――ズタズタにしてな!」

 激しい斬り合いが再開された。

 前回とは違う本当の殺し合いである。双方とも小太刀を扱うため、その駆け引きの速さは、常人であれば目で追うのが難しいほどであった。

 しかしその分、体力、気力の消耗も早く、初めは互角に見えた勝負に早くも差が表れ始める。

 先に音を上げたのは、山梔子だった。

 ―――なんだこいつ、死ね! 死ね! クソッ、なんで死なねぇ!

 冷静さを欠いた影狼は、一つ一つの攻撃が全力で、守りが疎かになっている。攻撃後にできた隙を突けば、簡単に仕留められるはずだった。そしてそれは、山梔子の得意な勝ちパターンでもある。

 だが死なない。隙らしき隙はいくらでもあったのに、どれも間一髪でかわしてしまうのだ。

 今度は逆に、山梔子の方が冷静でいられなくなってしまった。まだまだ粗削りだが、影狼の剣術も相当なもの。これ以上、全力の攻撃を受け続けるのは危険だった。

 山梔子はたまらず身を翻し、味方の多い後方へと逃げ出した。

「逃がすか!」

 影狼もすぐにその後を追う。

 しかしそれが山梔子の狙いだった。影狼を十分に引き付け、不意打ちを喰らわせる。苦し紛れの、卑怯者の定番とも言える作戦だ。だが――

「!?」

 ここでも度肝を抜かれたのは、山梔子だった。

 至近距離から山梔子が投げつけた短刀を、影狼は頭を少し動かしただけでかわしてしまった。そして、刀を失って茫然と立ち尽くす山梔子を押し倒した。

「おい、助けてくれ! 誰か!」

 刀を喉元に押し付けられ、山梔子は悲鳴を上げた。

 それを聞きつけ、月光の忍が一人動きだす。が、ついには山梔子の要望に応えることは出来なかった。

 その忍は道半ばで、妖しい光を放つ長刀の餌食となってしまった。

「伊織……」

 影狼は長刀の持ち主を見て、我に返った。勝手に一人で飛び出し、無用な心配をかけてしまったことを深く反省する。

「影狼、勝手に動くなよ! 危ないだろ!?」

「ごめん……でもこいつだけは、許せなかったんだ」

「なっ、そいつは? お前が捕まえたのか!?」

 組み伏せられた男を見て、伊織が目をパチクリさせる。影狼が無事なだけでも奇跡だと思っていたのに、これはどういうことか。遅れて駆けつけた栄作も驚いている。

九鬼くき……影狼かげろう。腕が立つとは聞いていたが、まさかここまでとは」突然、山梔子が笑声を漏らした。敗者の惨めな笑い声である。「だがいいのか? これでお前は鴉天狗を裏切ったことになる。二度と戻っては来れまい」

 本来なら相手にすべきでない罵倒の言葉。しかし影狼はきっちり答えてやった。

「構わない。オレの知ってる鴉天狗は……もうないから」

 そう感じ始めたのは、侵蝕人の間引きを知ってからのことだろう。だが決定的だったのは今日、この日。弱者救済を掲げていたはずの鴉天狗が、今のこの殺戮の場を作り出している。もう何人死んだかも分からない。

「でも幸兄や鵺丸先生に教えてもらったことは、ちゃんとここにある」親指を胸に当てて、影狼は言った。「それを守っていくことが鴉天狗としての――オレの役目だ」

 名ばかりの鴉天狗など無いに等しい。影狼にとっては、師や義兄から直接受け継いだ鴉天狗の遺志守ることの方が、よっぽど大切だった。

「ほざけ裏切り者が!」

 再び罵る山梔子。

 ガッ

「黙ってろ負け犬」

 それを銃で殴りつける栄作。

 気絶した山梔子は、栄作の持ち合わせていた縄でグルグル巻きにされた。

「さて、この辺の忍者みたいな奴らは容赦なしでいいんだな?」

「いい。みんな無事に抜けられれば」

 やはり月光は格好の獲物だった。

「じゃあオレはこいつを盾にして、後方支援でもするかな」

 鉄砲が使えない栄作は、縛り上げた山梔子を引きずりながら言った。


     *  *  *


 混迷を極める戦場の中でも、ひときわ目を引く戦いが二つあった。

 轟音を響かせてぶつかり合う上江洲と太郎次郎。そして、それとは対照的に粛々と敵を脱落させていく柳斎の戦いである。

 これほど長大な刀を、これほど優雅に使う者はこの世に二人といないであろう。柳斎の剣捌きは、風に吹かれて舞う枝垂れ柳のように捉え所がなく、それでいて無駄がない。四方から包囲されても、その流麗な動きは少しも淀まなかった。

 彼の周りには、筋を断たれ、刀を握れなくなった者たちが無様に這いつくばっていた。

「その大太刀……貴様、羽貫柳斎だな? 噂通り、なかなか地味な戦いをするものだ」

 その声がしたのは、柳斎が切っ先にこびり付いた血を払った時のことである。

 振り向くと、そこには白粉を塗りたくったように真っ白な肌の男がたたずんでいた。

 血の気が感じられないその顔からはなんの感情も感じられない。しかし並の相手ではないことは一目見て分かった。

「何者だ……?」

犬童いんどう頼清よりきよ。殲鬼隊で鵺丸様率いる三番隊に所属していた者だ」

 問うた柳斎の目が大きく見開かれた。

「その名……聞いたことがある。殲鬼隊はそれぞれの国から三人までが選ばれると聞くが、確かお前は武蔵国の代表――つまり、武蔵国で三本の指に入る剣豪だった」

「武蔵国一の男に憶えてもらえるとは、光栄だな」

「子供の頃は殲鬼隊を目指していたからな。同郷の隊士の名前ぐらいは憶えているさ」

「なるほど……憧れの殲鬼隊との果し合いということか。面白い」

 刀を抜きながら、男は面白くもなさそうに言った。

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