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妖峰戦記‐宝永の乱‐【第一部】  作者: ナマオ
第二章 決別
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第18話:奇襲

 どれぐらい進んだだろうか。

 影狼たちは先頭集団に付き従って、雑木林の中を歩いていた。

「ちきしょ~、よりにもよって、なんでこんな道を選ぶんだ?」

 あれほど張り切っていた栄作が、ぶつぶつと愚痴をこぼしている。

 この集団に追い付いたのは栄作が最後だったから、体力にはそれほど自信はないのだろう。本人は鉄砲が重かったのだと言い訳をしているのだが。

 木々はまばらで、地面もでこぼこ。確かに行軍にはまったくもって向いていない道であった。

「逃亡する側はこういった人目につかない道を使うものだ。なにか手掛かりが見つかるかも知れん」

 柳斎は表情一つ変えずに言った。

 砦への攻撃があってから、柳斎の口数は増えているように感じられる。戦を仕事としているのだから、その所為かもしれない。

「もっといい方法はなかったのかねぇ」栄作の愚痴は続く。「だいたい、敵探すだけならほんの数人だけ行かせれば済むのに、この人数だと中途半端に目立つだけだぜ」

 これはなんだか、的を射ているような気がした。

 鴉天狗が北へ逃げたといっても、どの道を使ったかは分からない。

 真北、北北東、北北西、北微東、北微西……手分けしての捜索となったが、幕府軍の行先はバラバラ。各武将がそれぞれの意思で行動していた。我こそはと功を争った結果なのだろう。こんなあてのない行軍では、萎えてしまうのも仕方がない。栄作の言ったように捜索は少人数の人に任せて、残りはまっすぐ北の国境にでも向うのが合理的だ。

 影狼はあらためて辺りを見回してみた。

 太陽は既に天頂を過ぎ、足元には長く引き伸ばされた木々の影が落ちかかっている。追討軍の士気は高くなく、退屈しのぎにその影を跨いでいく者もちらほらと見られた。こんな状態で敵に襲われればひとたまりもない。

 もっとも、そんな心配をする者はほとんどいなかった。関所で足止めされた時間を考えれば、鴉天狗はとっくに国境を越えているはずだ。わざわざこんな所で待ち構えているとは考えづらい。

 しかしその瞬間は、突然やってきた。

 異変が起きたのは、話し声も静まってきた頃のことである。

 影狼たちから見て後方、部隊の中央辺りで叫び声がした。

「元気だなぁ~」

 誰かがはしゃいでいると思ったのか、太郎次郎はあくびのような声でつぶやいたが、今度は前方から、はっきりとした声が耳に飛び込んできた。

「敵襲だ! 鴉天狗が待ち伏せていたぞ!」

「!」

 その報せを聞いて、影狼たちは凍りついた。

「おい……これ、マズくないか?」

 深刻な状況にいち早く気づいたのは、栄作である。

 事前の情報では、鴉天狗の戦力は二百人弱とされていた。幕府軍はそれをもとにして十倍の兵を用意したわけだが、今影狼たちの周りには百人ほどしかいない。

 鴉天狗が全兵力をここに投入したとすれば、数の上で逆転されたことになる。

 幕府軍の油断と焦りが、思わぬ事態を招いてしまったようだ。

 斜面の上に、仁王のような顔をした男が現れ、高らかに呼ばわった。

「掛かったな、幕府のマヌケ野郎ども! この上江洲様が、侵蝕人を虐げてきた報いをくれてやる。覚悟しやがれ!」

 男が偃月刀を振り下ろし、鴉天狗の新手が襲いかかる。

「上江洲だと!? あの殲鬼隊の……?」

 その名を聞いて、幕府軍は浮足立った。

 鴉天狗と戦うのだから、元殲鬼隊の者を相手取ることになるのは当然である。しかし気構えが全く出来ていなかった幕府軍にとって、それはことさら恐怖であった。

 林の中が瞬く間に修羅場と化す。

 決して多くはない部隊が分断され、影狼たちはほとんど孤立した状態となっていた。

 影狼はかつての同胞の不可解な行動に、戸惑いを隠せなかった。

 越後に逃げ込んでくれれば誰も傷つかない。それを密かに期待していたのに――

「……影狼、分かってるよな」伊織は声を低めて言った。「オレたちは囲まれたみたいだ。このままいけば、鴉天狗と戦うことになる」

 その言葉で、影狼はようやく自分の置かれた状況に気づいた。

 包囲されている以上、味方と合流するためにはどこかを突き破るしかない。

「ここまで来たからには、その覚悟は出来てるんだろうな?」

「そんなの……無理だよ。そんなつもりでついて来たんじゃない」

 影狼はあくまでも、鴉天狗の侵蝕人、あわよくば追撃戦での捕虜が助かるよう取り計らうために、この集団について来たのだ。まさか鴉天狗と直接刃を交えることになるとは思いもしなかった。

「この状況を見ろ! 鴉天狗はもう立派な賊軍だ! 殺らなきゃこっちが殺られる」

 伊織は半ば恐慌状態となっていた。

「伊織、そんな言い方するな。落ち着け」栄作がとりなす。「見たところ鴉天狗は全員が参加してるわけじゃなさそうだ。これぐらいなら余裕で突破できる」

 そうこうしている間にも、戦況は悪化していた。

 鴉天狗の精鋭に斬り立てられ、包囲が狭まっていく。

「柳斎、太郎次郎。すまねぇが、先頭にいる仲間を助けてやってくれ。影狼はオレと伊織で守る」

「あいよっ!」

「承知した」

 二人は列の先頭に向かって走り出し、左右に分かれた。

 包囲から抜け出すまでの間、鴉天狗の猛攻を防ぐつもりらしい。

「さて、二人が頑張ってる間に、オレたちは後続の味方と合流するぞ」

 栄作が意気込むと、伊織がその前に立ち塞がった。

「私が血路を開きます。栄作さんは影狼を守りつつ、後に続いてください」

 その背中は頼もしく思えたが、栄作は心配そうにそれを見つめる。

「伊織。加減しろとは言わないが」影狼の方にチラリと目を遣る。「なるべく鴉天狗の奴らを殺さないようにしてくれないか? せめて戦えなくなった奴だけは」

「そんなことに気を使う必要はありません。どうせ鴉天狗は死罪なのですから」栄作の意向を察して、伊織が反発する。「あなたも知っているはず。私の刀で斬られた者は、生きていてもろくなことになりません。ここで死ぬのが彼らのためです」

 影狼にとっては非常に苦しい局面であった。

 羽貫衆に伊織。出会ったばかりだが、今はなによりも大切な人たちだ。自分のわがままのために、彼らに危険を強いられるものだろうか――

 そこまでして鴉天狗をかばう意義を、影狼は見出せなかった。


     *  *  *


 太郎次郎の戦いぶりは凄まじかった。

 剣捌きが優れているわけではない。むしろ周囲の者と比べても、劣っているように見える。

 しかしそれは結局のところ、太郎次郎になんの不自由ももたらさなかった。

「ヘイ、ヘイ、ホー!」

 刀の側面で引っぱたかれ、鴉天狗の男がまた一人、失神した。

 力強い掛け声とともに振り回される刀の前に、鴉天狗の猛者たちは文字通り叩き伏せられていった。

 太郎次郎の扱う刀は、唐の国に伝わる環刀のような形状で、刀身の幅がかなり広い。切っ先を全く無視して力一杯振り回すのだから、斬られるのとは別の恐怖があった。普通の細身の刀では、すぐに折れてしまうような使い方であった。

 鴉天狗側にも、豪快な戦いぶりを見せる男がいた。上江洲である。

 重みのある偃月刀を軽々と扱い、相手を刀もろとも両断する。小さな丸に、縦長の逆三角形をつなぎ合わせたようなしなやかな体躯だが、超人的な腕力を持ち合わせていた。剛腕だけでなく、リーチの長さも彼の強みである。間合いに入る前に、防御不能の一撃を繰り出す。これでは手の出しようがない。

 上江洲の戦いぶりはすぐに目についた。

 この男を止めなければ、孤立した幕府軍はあっという間に全滅してしまう。

 太郎次郎の体つきもすぐに目についた。

 この巨漢を始末しなければ、ただでさえ少ない鴉天狗は大きな損害をこうむる。

 両者の目が合ったのは、自然な成り行きであった。

「そこの男! この上江洲と勝負しろ!」

「オウ? 呼んだか!」太郎次郎はニンマリしながら答えた。「行っくぞぉ~!」

 刀を交えていた相手を明後日の方向に弾き飛ばし、見た目からは想像もつかない勢いで突進する。

 凄絶な衝突音が鳴り響いた。

 膂力りょりょくはほぼ互角。

 小さな丸に逆三角形をつなぎ合わせたような男と、丸くて大きな男の決闘が始まった。


     *  *  *


 伊織は先陣を切って長刀を振るっていた。

 紫がかったその刀には妖刀のような輝きがあり、見る者を圧倒する。だが使い手の心に迷いがあるのか、どこか精彩を欠いていた。

 後に続く二人は、それを心配そうに見守る。

「この乱戦の中じゃ発砲できねぇな」

 悔しそうに言ったのは栄作である。

 守られる立場の影狼はともかくとして、栄作にとってなにも出来ないのは傭兵としてのプライドが許さない。苦労して持ってきた鉄砲が、ただのお荷物とは。

 戦局の変化は激しく、孤立した追討軍の数はあっという間に減っていく。

 鴉天狗に手練れが多いことを、影狼はよく知っている。それが数でも幕府軍を上回っているとなれば、羽貫衆の三人がいかに優れていても、戦局を覆すのは難しいように思えた。

 こうなれば味方の増援を待つしかない。

「他の隊は来ないんですか?」

「あんまり期待しない方がいい。みんなバラバラの方向に行ったから、呼びに行こうにもなぁ……いや、待てよ!?」

 栄作は鉄砲を見つめ、なにかを考えついた。

「これがあるじゃねぇか! 味方の居場所が分からなければ、こっちの居場所を教えりゃいいんだ」

 背負った袋から特大の弾薬を取り出し、銃口に詰め込む。そして――

 ドオオオオン!

 空へ向けて発砲した。

 影狼は思わず耳を塞ぐ。

 爆音が雷鳴のように天に轟き、残響はしばらく戦場を凍りつかせた。

 予想以上に大きな銃声だった。これだけの音ならば、遠くに離れた味方も駆けつけてくれるだろう。

「よし、これで一安心……とまではいかないが、布石は打った。あとは包囲を突破するだけだ」

 そう言って、栄作は再び役立たずと化した。

 その様を見ると、影狼はあらためて申し訳ない気持ちになった。元はと言えば、栄作たちが満足に戦えずにいるのは影狼がいるからだ。この中にあって、影狼は足手まといでしかない。

 いい加減、覚悟を決めるしかなさそうだ。

 黒い忍装束の一団が目に飛び込んできたのは、そう思った時のことだった。

 その中の一人の男は、短刀で敵の喉元を貫き、それが絶命した後も執拗に斬りつけている。弱者をいたぶるその目つきには、見覚えがあった。

 ―――山梔子……!

 最高の獲物を、影狼は見つけてしまった。

「栄作さん、護衛はもういいです」

「へ?」

 ついぞ予想しなかった言葉に、栄作は耳を疑う。

 影狼は月光の忍が固まった辺りを睨みつけ、静かに言った。

「オレも……戦います!」


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