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眩しい。

作者: ささやき千里

 眩しい。

 突然目の前に白い世界が広がったかと思えば、見慣れた世界がその白い世界を呑み込んでいった。

  見慣れた世界――

 中学校の教室だ。窓際の一番後ろの席に座っているため、陽が傾いてくると黄色がかった強い光が直接顔に当たる。この光をまともに見ればたちまち盲目になる。

 堪らず立ち上がってカーテンを閉め、周囲の視線を感じながら席に戻った。

 壁の時計は二時二十四分を指している。五時間目が終わる頃合いだ。にもかかわらず、ノートはほとんど埋まっていない。どうやら居眠りしていたようだ。

 まだ先生が喋っているのに、教室中に筆箱にペンをしまう音が響き始める。

 どういうことだろう。どこか懐かしい気持ちになる。少ししか眠っていないはずなのに。ずいぶん深く眠ってしまったせいかもしれない。

 チャイムが鳴り、先生が日直に号令をかけるように促した。

「起立!」

 まだ頭が冴えきらなかったが、威勢の良い日直の号令に従って立ち上がった。この動作にさえ懐かしさを感じる。

「注目! ありがとうございました!」

「……ざいました」

 いつものように軽く礼をしながら虫のような声で号令を復唱した。

 十分間の休み時間が始まり、教室中に話し声が溢れ始める。

僕は廊下側の席にいる親友のもとに向かおうとした。すると、右隣の席の小池さんが僕をからかってきた。

「クレイジーボーイ、また寝てたよ!」

 小池さんは僕を変なあだ名で呼ぶ。しかし、悪い気はしない。むしろ嬉しい。この名前で呼ばれると、不思議と幸せな気持ちになる。

「五時間目社会はきついって」

 小池さんは、陳腐な言い訳をする僕を笑った。

「てか、なんか寝言言ってたよ」

「え! 何か変なこと言ってないよね?」

「何を心配してるの?」

 急に慌て出す僕を見てまた笑った。

「えっと、あの、とにかく変なこと!」

「本当、クレイジーボーイって面白いね」

 慌てふためく僕がよほど可笑しいのか小池さんは大笑いした。

 眩しい。

 好きな人の笑顔は何よりも輝いて見える。

(いつまでもこの笑顔を見ていたい)

 そう思えば思うほど、眩しさが増していく。

 眩しさのあまり、輪郭が次第に見えなくなり、世界は再び白けていく。

 次第に笑い声まで遠ざかっていく。


  ……………………


 静寂に包まれた。


  ……………………


  ……………………


  カンカンカンカンカン!

  カンカンカンカンカン!


 不快な音が頭に響き始めた。


  カンカンカンカンカン!

  カンカンカンカンカン!


 無意識のうちに右手が頭の上あたりを探る。


  カンカンカン! (カチッ)


 不快な音は止まった。


  ……………………


 再び静寂に包まれた。

 ぼんやりと平日の朝だと理解した。

(眠い……)

 体が重い。

(まだ起きたくない……)

 瞼が重い。

(ああ、今日は一限から授業があるんだった)

 嫌な現実を思い出した。だが、現実から逃げても仕方が無い。起きるしかない。

 おもむろに目を開けると、そこにも見慣れた世界が広がっている。しかし、さっきまで見ていたそれとは別の「見慣れた世界」だ。

「見慣れた世界」――

 この世界は薄暗い。憂鬱な気分になる。

 春から故郷を離れて大学近くのアパートで一人暮らしを始めて半年ほど経つが、未だにこの孤独な朝の重さに慣れていない。

 枕元の置き時計を見ると、八時五分になるところだった。二度寝すれば間違いなく寝坊するだろう。二度寝は避けなければ。部屋が薄暗いままだとまた眠ってしまう。気力を振り絞って起き上がり、カーテンを開けた。

 眩しい。

 外の光に目が眩んだ瞬間、さっきの夢が蘇ってきた。

(懐かしい夢だったな)

 久しぶりにアルバムを開いたような甘い感覚を感じると同時に、もう大学一年だというのに小中学校の同級生を未だに恋うている寂寥感に胸を締め付られる。これまで何度も忘れようとしてきたが、何度も小池さんが夢に出てきて思い出してしまう。その都度、周りは新たな出会いに恵まれて現実の幸せを掴んでいるのに対し、自分だけが遠い記憶の世界に閉じ込められているように感じていた。

(もしも仲が良かった頃に戻れたら……)

 小池さんの夢を見ると、決まってこんな非現実的なことを考えてしまう。実際に隣どうしの席でよく話しかけてくれたため、一時期は互いにあだ名で呼び合う仲だった。それだけに、中学三年のクラス替えで別のクラスになって以来、顔を合わせる場面が格段に減り、疎遠になったまま中学校を卒業したのが心残りだった。

(もしも付き合っていたら……)

 そんなことも頭をよぎるが、過ぎてしまったことなど考えるだけ時間の無駄だろう。しかし、考えてしまう。すぐ近くにいる時に付き合っていればこんなことにはならなかった、と過去の自分を恨んだりもした。その裏には淡い期待があった。

(もしかしたら両想いだったのでは?)

 もっとも根拠も無くこう思っているわけではない。同じクラスの時には給食の時間や休み時間に冗談を言えば二人で笑い合い、クラスが離れてからも廊下ですれ違えば明るく挨拶してくれた。

 しかも、クラスが離れた中学三年一学期の始業式の朝、初めて言葉を交わした同級生が小池さんだった。それも、小池さんの方から「何組になった?」と質問してきた。この時に「小池さんは?」などと聞いて会話を続ければ良かったものを、自分のクラスだけ答えて通り過ぎてしまったことを今も悔いている。

 また、後から気づいたことだが、中学二年のクラスの集合写真で自分の隣にいたのが小池さんだった。その時の記憶が全く無いこともあり、小池さんは自分のことが好きで隣にいたのではないかと都合良く解釈した。

 これらの記憶が厄介な期待を膨らませる。


 走馬灯のように駆け巡る小池さんの記憶を夢中で追いかけていると、気づけばベッドに倒れ込んで天井を見上げていた。

 ふと我に返った。

(いや、そんなわけないな)

 今のこの結果を考えれば分かる。小池さんとは小学五年・中学一年・中学二年と三年間同じクラスになり、運良く毎年隣どうしの席になったことがある。しかし、よく話すクラスメイトというだけでそれ以上の関係にはならなかった。もしも本当に両想いだったのなら、自然な流れでさらに親しくなっていただろう。

 それだけではない。小池さんはよく他の男子とも楽しそうに話していた。あの眩しい笑顔は自分だけに見せた特別なものではなく、小池さんが持つ天賦の魅力だったに違いない。いわば条件なしの一律給付金のようなものだろう。

 そして何よりも、小学五年の時に小池さんが別の男子を好いているという噂を聞いたことがある。両想いだったという望みは限りなく薄いだろう。

 所詮は夢だ。記憶の欠片を好きなように貼り合わせたものに過ぎない。

(片想いだな)

 ひとまず妄想を断ち切った。それでも小池さんが恋しいことには変わりないが、連絡先すら知らない。今さら近づこうなどと考えても無駄だろう。現実を受け入れるしかない。

 ただし、わがままな願いかもしれないが、小池さんには自分よりも良い人と出会って幸せになって欲しい。そして、どこかで元気でいてくれればそれだけで十分、と自分に言い聞かせた。

(良い夢だったな)

 時計を見ると八時二十分を少し過ぎていた。いつまでもこんなことをしている場合ではない。早く朝食を食べて家を出なければ。このまま物思いに耽っていては遅刻してしまう。未練を振り切って起き上がり、窓を開けた。

 清々しい。

 秋の爽やかな風が僕の濡れた心を乾かしていく。

 今は大学一年の十月末、まもなく中学校を卒業してから四度目の冬を迎えようとしている。もう潮時だろう。

 どんなに現実から目を背けたとしても、現実はすべて記憶の欠片となりいずれ夢になる。どうせなら今まで見たことが無いほど良い夢を見たい。


 そうこうしているうちに八時二十五分を回っていた。

(準備するか)

 急いで朝食を食べて身支度を整え、荷物を持った。

(よしっ)

 後ろを振り返ることなく玄関の扉を開けた。



 眩しい。


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