九.ミントティー
「お帰りィ。ごちそうになったんでしょ?」
開口一番にそう聞かれてドキッとした。何で知っているんだ。硬直しているのを見て全て悟ったのか、コチョウさんはにんまりと笑ってソファの方を振り返った。
「ほらねセンセェ、アタシの勝ち!」
「おやおやまあまあ、一日二日じゃそうはならんと思ったんだがね」
叔母さんは足を組み替えながら苦笑した。ローテーブルの上の灰皿に煙草の吸殻が二本並んでいる。一本は白に茶色、もう一本はパールホワイトにコチョウさんのリップ。子供のいない間に仲良く吸っていたらしい。
「アタシ信じてたのよ、キューちゃんとナッちゃんならきっと仲良くなれるって」
「いやはや、こういう時のコチョウのカンは馬鹿にならないや。ところで注文の品は?お金、足りたかい?」
「あ、はい。これ」
小さなビニール袋を差し出す。一番暑い時間に帰ってきたせいか、表面には水滴がぽつぽつ付いていた。コチョウさんはキャーッと黄色い声をあげながら袋を開け、少し黙ってから目をぱちくりさせる。
「ナッちゃん、メロンボールまで買ってきたの?お金持ちィ」
「あ、それ、おばあちゃんがサービスしてくれて。みんなで食べなさいって」
「おお、マダムの御慈悲か。ありがたくいただきましょう」
「あのおばあちゃん、センセェの大ファンだもんねェ。でも今日でナッちゃんのファンにもなったんじゃない?」
「まさかあ……」
そう返しつつも、そうであったらいいと願わずにはいられなかった。
とりあえずアイスはもう少し経ってから、ということになり、小さな袋はそのまま冷凍庫へ直行した。その代わりコチョウさんが約束のアイスミントティーを淹れてくれることになった。お茶を淹れるのは普通にできるのだそうだ。
「ナッちゃん、ハーブティーは好き?」
ソファで待っている間、叔母さんがリモコンをいじりながら聞いてきた。一音だけのクラシックや一呼吸分の笑い声が途切れ途切れに会話の間を詰める。
「あー……カモミールティーなら、一度だけ」
「ああ、そういや兄さんに聞いたっけ。飲んだ日にお腹壊したんだって?」
「はい。頂き物だったんですけど……」
「小学校の入学祝いだったんだよね。コチョウらしいと思ってたけど、仇になったか」
「え、じゃああれって、」
「ご明察。コチョウにはしないようにね、その話」
叔母さんはようやくリモコンを手放し、体をぐぐっと思い切り伸ばした。テレビでは叔母さんと同じように伸びをしている猫が、フランスの牧場を背景にあくびをしていた。
番組がCMに入る頃、カチャカチャと音を立てながらコチョウさんが戻って来た。
「お待たせェ。今日のはアップルミントを多めにしたから、ナッちゃんでも飲みやすいと思うワ」
「あ、ありがとうございます。……わあ、いい匂い!」
それは紛れもなく、心の底からの言葉だった。アイスティーだから香りは控えめになっているはずなのに、金の縁取りのされた薄いガラスコップからはスーッと鼻を通り抜けるミントの香りと、ほのかに甘い果物の香りが漂っている。いただきます、と一礼してからストローに口を付けると涼しさが一気に体の芯まで流れ込んできて、もう一呼吸だってそれから離れたくなくなってしまった。
「いやあ、美味しそうに飲むね。お茶のカンも大当たりだ」
叔母さんがそう茶化す。コチョウさんはあんまり嬉しかったのか、叔母さんの隣に座って膝をパシパシ叩いた。
コチョウさんは不思議だ。見た目は妖艶な大人そのものなのに、食べ物で遊ぶようなめちゃくちゃな味付けをして、そうかと思えばこんなにおしゃれでおいしい飲み物を淹れられる。この人に大人とか、子供とか、そういう概念はまるで当てはまらない。コチョウさんはずっとコチョウさん。そうとしか言いようがない感じだ。
「ナッちゃん」
パチン、と考え事が弾ける。叔母さんはニヤニヤしながらこちらの方を指さした。
「氷はどんなに吸ったって氷だよ」
そう言われて初めて、自分のコップが空になっていることに気が付いた。冷たくなった頬がボッと燃えた。まるで馬鹿じゃないか、空気ばかりをチュウチュウ吸っていたなんて。
「夢中になるくらい美味しかったってことよネ?また淹れてあげるから」
「あっ、はい!ごちそうさまです!」
コチョウさんのフォローに全力で乗っかる。こういう聖母のような顔もできるのか、とまた驚いてしまった。
「よかったねナッちゃん。もっと先の楽しみが出来て」
叔母さんは少し乱暴に、だけどぐりぐりと手のひらを押し付けることなく頭を撫でてくれた。父さんがやるのとは雲泥の差だった。
「この辺は本当に人が少ないんだ。だから遊びに行く場所も少ない。けどその分関係は濃厚になるから、きっとすぐに打ち解けられる。こんなにかわいい子なんだからね」
「……そんなに、幼く見えます?」
「いやあ、そういう意味じゃなく……まあいいさ。今は可愛がられる方がお得だよ」
「そうは言うけど、大人っぽい方じゃない?とても十二歳には見えないワ」
コチョウさんの真面目な台詞に、叔母さんは腹を抱えて笑い出した。散々だ。同じ日に二回も勘違いされるだなんて。あんまりなことに少しだけ肩を落としたけれど、間違いに気づいたコチョウさんがオロオロしているのが面白くて、やっぱりまた笑ってしまった。
年齢間違われ事件は筆者の体験をもとにしています。
おらこんな身長嫌だ。