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花園館の夏休み  作者: 桜庭 葉子
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八.おばあちゃん

 太陽が真上から少し傾いた頃、キューちゃんはくるくると釣り竿をしまい始めた。

「そろそろ引き上げようか。お昼の時間だ」

「よくわかるね、時計もないのに」

「僕の腹時計は正確なんだ。一緒に行こう、ばあちゃんが用意してくれてるはずだから」

 キューちゃんはナイロンバッグをパッとかつぎ、クーラーボックスの方を顎でしゃくった。持てということらしい。ランチボックスほどのそれには一匹も魚が入っていなかった。

 キューちゃんの後を追って階段を上り、てくてくと道を歩いていくと、さび付いた看板を掲げた木造の平屋にたどりついた。海野商店。開きっぱなしになっている引き戸からは茶色い棚と、色とりどりの商品がずらりと並んでいる。中にはスーパーで見たことのあるものもあったが、自分の知っているものよりパッケージが古かったり、日に焼けて色あせていたり、ともかく懐かしさにあふれている感じがした。あんまり物珍しくてきょろきょろ辺りを見回していたら、天上につるされた凧に睨まれた。

「ばあちゃーん、ナッちゃんが来たよ」

 キューちゃんは店の奥にどたどた走っていき、サンダルをぽーんと放り捨てた。一段高くなった畳張りの床に、大きなちゃぶ台と穴あきの座布団。まるで寅さんの世界だ。ガラス戸を開けて出てきたおばあちゃんも案の定割烹着を着ていて、この家だけ昭和で時が止まっているのではないか、と疑ってしまった。

「ナッちゃんおいでよ、遠慮はいらないよ」

「あ、うん。あの、突然おじゃましてすいません」

 ぺこりと頭を下げると、おばあちゃんはにゅうっと目尻を下げた。

「あれまあ、礼儀正しいこと……お前も見習いなさい、九兵衛」

「やめてよばあちゃん。僕だっていつも行儀いいでしょ」

「どうだかね。お上がんなさい、ナッちゃん」

「はい」

 そう返事をしてから、なんとなくキューちゃんのサンダルを揃え、その隣に自分の脱いだ靴を置いた。片足分離れた二足を見て、おばあちゃんは何を思ったのか、うんうんと頷いて座布団を裏返してくれた。キューちゃんから百二十度くらい、隣でも向かい側でもない場所だった。

「ナッちゃんは都会っ子らしいね。あんまりハイカラなものは出せないけれど」

「そんな、お気遣いなく」

「それはこっちの台詞だよ」

 キューちゃんがつまらなさそうに口をとがらせる。

「なんだよ、さっきから借りてきた猫みたいに」

「お前が気を遣わないだけだろう。靴だって自分で揃えなさいと……」

「ふーんだ。どうせ不良息子ですよ」

「違うね。私にとっちゃ不良孫」

「うまい!」

 そう言って手を叩いて喜ぶキューちゃんに、おばあちゃんはゲンコツを一つ落として部屋を出た。意外にパワフルなご老人だ。ぼんやりと後ろ姿を見ていると、キューちゃんが頭をさすりながら話しかけてきた。

「いてて……親父もあのゲンコツでしつけられたんだってさ。息子も孫も、生意気言ったら容赦なくぶってくる。暴力ばあちゃんだよ」

「そうなんだ。でもいい人そうだね、おばあちゃん」

 本心からの言葉だったのに、キューちゃんは目を皿のように丸くした。

「嘘でしょ。普通、今のでいい人って思う?」

「うん。うちにはおばあちゃんがいないから、親を叱ってくれる人がいないんだよね。だからかもしれない」

「カクカゾクってやつかあ。いいなあ都会っ子」

「いいなあ田舎っ子」

「隣の芝生は青く見えるものだよ」

 ガラス戸越しにおばあちゃんが口をはさむ。

「それに九兵衛、お前はうちの跡取りなんだよ。都会になんて行かせません」

「あーあ筒抜け。家が狭いからだよ。それに貧乏漁師の跡取りなんて……」

「九兵衛!」

 ガタン、と勢いよくガラス戸を開いてから、おばあちゃんは一瞬バツの悪そうな顔をして、にっこりとこちらに一礼した。キューちゃんもキューちゃんでゲンコツを落とされると思ったのか、とっさに被った菓子鉢のふちからおばあちゃんの方をうかがっている。結局おばあちゃんはキューちゃんに触れることなく、静かに台所の方へと戻っていった。

「……助かったよ」

 キューちゃんはいたずらっぽく笑いながら耳打ちしてきた。吐息が耳たぶを揺らしてくすぐったい。

「スリルあるねえ、キューちゃんち」

「気に入った?」

「さあ。でも、おばあちゃんのことは好きになったかな」

「それはいい。よかったらとっかえない?」

「遠慮します」

 くふくふくふ、と音を押し殺して笑えば、キューちゃんも同じように笑ってくれた。その振動で菓子鉢が畳の上に落ちる。それを目で追って、初めてキューちゃんの座布団が自分のそれの隣に来ていることに気が付いた。

「さあできましたよ……あらあら、すっかり仲良くなっちゃって」

 山盛りのそうめんを抱えておばあちゃんが笑う。涼やかな風鈴の音、窓からそよぐ風の感触。今朝とは正反対だけど、これもこれで心ときめく風景だった。



明日から徐々に投稿ペースが落ちると思います。

できるだけ頑張るつもりなのでよろしくお願いします。


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