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花園館の夏休み  作者: 桜庭 葉子
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六.ラベンダー

 朝ごはんを終えて後片付けも済ませると、叔母さんはふいに手を叩いた。

「さてと、そろそろ仕事にかかろうか。ナッちゃん、悪いけどしばらく自室にこもってるから、庭いじりなり部屋で遊ぶなり好きに過ごしてて。外に探検に出るのも構わないけど、海に気を付けるのと、迷子にならないようにね」

「間違いっこないわよォ、こんな目立つ家。人に聞けばすぐわかるから安心して」

「わかりました。どっかおすすめの場所、ありますか?」

「うーん、田舎町だからねえ……あっそうだ。ここから海を右手にしてずっと歩いて、三つ目くらいかな?角を曲がったら、昔懐かしい駄菓子屋があるよ。ナッちゃんみたいな都会っ子には珍しいんでないかい」

「駄菓子屋……」

 少しワクワクする響き。スーパーのお菓子コーナーとは、また違うんだろうか。

「ナッちゃん、よかったらなんだけど、帰りがけに駄菓子屋さんでアイスクリン買ってきてくれる?お金あげるから」

 コチョウさんがおずおずと、頬を赤らめながら言ってきた。何だか可愛らしい仕草だったけれど、右手にぎゅっと五百円玉を握らせるその手付きは相変わらずゆっくりで色っぽい。胸のざっくり開いたミニワンピースのせいだろうか。少しひんやりした肌の温度も無性にドキドキした。

「アイスクリームじゃなく、アイスクリンだよ」

 ゆだりそうな頭を冷やすように、叔母さんの声がこつんと頭に当った。

「赤いカップに入ってるやつ。間違えないようにね。そんで二つお願い」

「センセェも食べるの?」

「うむ、頭脳労働には甘味が効くからね。ナッちゃんも食べたかったら買っておいで。お金足りなかったら後であげよう」

「わかりました」

 叔母さんは満足そうにうなずいてからバスケットにぽいぽいと食料を詰め込んだ。エナジードリンクに缶コーヒー、スナック菓子にチョコレート、ほかにもそのまま食べられそうなものが沢山。籠城戦でいう兵糧といったところだろうか。一通り詰め終わるとコチョウさんの頬にチュッとキスをし、颯爽と部屋を後にする。その後ろ姿は勇ましく、軍隊のマントでもかけたいくらいだった。

「ウフフ、センセェったら……」

 照れたように笑う横顔を見て、自然と口が動いた。

「恋人同士、なんですね」

 コチョウさんはハッとしたようにこちらを見たけれど、すぐに顔をほころばせた。

「まあ、そーゆうことになるのかなァ……」

「あの時は助手って」

「お兄さんの前ではそう言ってるの。こう言っちゃなんだけど、お兄さんちょっと古風でしょ……受け入れてもらえないかなァって……」

 あっけらかんとした表情でたどたどしく話すのが、かえって胸を締め付ける。コチョウさんの不安は的中していた。父さんは昔から新しいものを異物と感じるところがあるのだ。

 ――それくらい我慢しろよ。

 ――普通と違うって、なんでわからないかね。

 父さんはテレビを見ながらそう独り言ちることがある。そういう時に見ているのは大抵精神疾患とかジェンダー問題とかを扱った番組で、きっと自分とは別世界のことと思っているからああ言えるのだろう。いざ妹が、子供が、その問題の渦中にあると知っても、同じように異物を見る目を向けてきたのだから。

「ナッちゃん」

 あまりに深刻な顔をしすぎたのか、コチョウさんが心配そうに覗き込んできた。

「アタシは大丈夫。批判はもう慣れっこだし、ナッちゃんやキューちゃんみたいに受け入れてくれる人もいるから。それにアタシ、センセェと一緒にいられればいいんだァ」

 本当に、それでいいのか。もやもやとした胸の痛みは取れなかったけれど、そう聞き返すのは酷な気がして、代わりに乾いた唇をきゅっと引き結んだ。それをどうとらえたのか、コチョウさんはポンポンと頭を撫でてくれた。さっきとは違う、艶かしさの無い触り方だった。

「じゃ、アタシ庭でもいじってくるから。今年はねェ、ミントが豊作なの。あとでミントティー淹れてあげる」

「えっと、あの、おかまいなく」

「かまわない方が難しいわよォ。行ってきまァす」

 コチョウさんは投げキッスを飛ばすとストローハットだけをひょいと被り、ふわふわ漂うような足取りで庭に出た。すると人間とは不思議なもので、ただ一人何もしていない自分が宙ぶらりんな生き物に感じ始めた。とりあえず外に出る用事はあるからと、自室に戻って粛々と身支度を始める。いつかのロックフェスの黒Tシャツにカーキのハーフパンツ。麦わら帽子をどうしようか迷ったけれど、結局放り捨てて迷彩柄のキャップにした。最後の仕上げにイヤホンをつければ、ようやく落ち着いて息が出来た。

 お気に入りのメタルがガンガン鳴りだす。音の中にダイブするつもりでベッドに半身を預け、ぼんやりと天井を見た。床と同じ白木。壁は淡いラベンダー。ベッドもドレッサーもクローゼットも、みんな白かラベンダー。この部屋に自分は似合わない。その代わりコチョウさんがたたずんでいたら、きっとそれだけで美しい絵になる。キューちゃんに花が、叔母さんにオープンカーが似合うのと同じ理屈だ。

「……いいなあ」

 口をついて出た言葉にびっくりする。何がさ。似合うものがあるから?考えただけで恥ずかしすぎて、誰もいないはずなのに辺りを確認してしまった。案の定見た者は誰もいなかった。




最近萩〇望都と池〇理代子にハマっています。

五十年くらい前に戻って連載を読みたい。


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