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花園館の夏休み  作者: 桜庭 葉子
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四.キッチンにて

 ブロロロ、バン、バン。外から聞こえる少し大きめの音に、目覚めかけていた意識がはっきりと浮かび上がった。知らない部屋、知らないベッド、知らない香りに朝の日差し。そうか、ここは叔母の家だ。そして自分が寝起きする場所だ。そう考えると人間は現金なもので、これから起こる新しいことにわくわくせずにはいられなかった。

 廊下に出てすぐ隣の扉を開けると例の大きな部屋に出た。ドアノブにはそこが何の部屋か書いたプレートが下がっていた。昨日のうちに叔母さんが下げておいてくれたものだ。慣れないうちは大変だろうと思っていたが、だいぶ慣れているはずの叔母さんも寝ぼけてしょっちゅう間違えると笑っていた。

「……じゃあ頼んだよ、ナツのこと」

 開けっ放しの玄関からそんな声がした。父さんだ。顔も見ずに去るとは意気地がない。

「始発はもう出てるとは思うけど、いいの?せめてナッちゃんが起きるまでさぁ……」

「いいんだ、いいんだ。普段はあんなに冷めてるけど、俺がいなくなるとなったら多分、いやきっと泣くだろうから」

「幻想を抱きすぎなんと違うか。最近は幼稚園児だって泣きません」

 その通り。心の中で叔母さんに拍手を送りつつ、戸口でしっかり聞き耳を立てる。

「……ともかくタツキ、預けるからにはしっかり頼むよ。くれぐれも変な癖はつけさせないように」

「心配するなら預けんでよ。つくかつかないかはあの子次第さね」

 タツキ、とは叔母さんの名前だ。漢字はどう書くかよく知らない。親はともかく、こちらは“叔母さん”で事足りるのだから知る必要もないことだった。

「あのォ、これ。朝ごはんの代わり」

「や、ありがとう!ええとこれは……サンドイッチ?」

「ウン。あわてて作ったから自信ないけど……」

「いやいやいや!こういう独創的な料理、大好きで!」

「ホント?うれしーぃ。また今度作りますねェ」

 一体どんなものを作ったのだろう。ちら、とキッチンの方を見やると、そこはひどいありさまだった。散らばった卵の殻に謎に型抜きされたキャベツ。シンクにはサバ缶や焼き鳥缶の残骸なんかも転がっている。マヨネーズ、ソース、ケチャップとありとあらゆる調味料でまな板は汚れているし、何に使ったのかオレンジの皮を刻んだものまであって、一瞬だけ父さんの身が案じられた。

「それじゃまた。運転手さん、こいつは駅で捨ててください」

「ひどい言い草だなあ。お前、ほんとに嫁にいけないぞ」

「いかないのだよ。そこんとこ間違えてもらっちゃ困る」

「あっそ。まぁともかく元気で。ナツをよろしくな」

 バタム、ブルルン。ブロロロロ。父さんの乗ったタクシーがどんどん遠ざかっていく。寂しくないと言えば嘘になるが、どちらかというとほっとしてしまうのは親不孝だろうか。キッチンを適当に片付けていると叔母さんとコチョウさんがひょっこり顔を出した。

「おや、起こしちゃった?」

「いえ、起きるつもりだったんで。おはようございます、叔母さんにコチョウさん」

「おはよォ。でもセンセェの言ったことホントね、結構平気そうだわ」

「嘘でも泣いた方がよかったんでしょうか」

「いんや、それが正常な成長さね。親から見た子供はいつまでもランドセルしょってるんだ……にしてもコチョウ、お前さんまたすごいもの作ったね」

 叔母さんはつまむようにして包丁を持ち上げた。ビーツでも切ったのか、刃の部分にべっとりと赤い汁が張り付いている。さながらサスペンスドラマの小道具だ。

「でしょォ?お兄さんもドクソーテキってほめてくれたし、アタシ才能あるのかもォ」

 コチョウさんはキャッキャと笑いながらリビングのソファに寝転がった。どうやら本当に美味しいサンドイッチを作ったつもりらしい。純粋無垢な笑顔がかえって恐ろしかった。

「……叔母さん、ひょっとしてコチョウさんって」

 隣で洗い物をしている彼女にひそひそと話しかけると、叔母さんは少し渋い顔になった。

「うむ、料理に関しては自分で作るか買ってくるか、あるいは既成のレシピを渡すことだね。それだって時にはアレンジを加えてくるから気を抜けないけど」

「アレンジ?」

「コーンフレークのブラックコーヒーがけに砂糖どっさり。これで察してくれい」

 なるほど。納豆のような粘り気のあるボウルをすすぎながら、ここでは自分で料理をしようと固く誓った。誓わざるを得なかった。さもなければ父と同じ運命をたどることになる。

 食器洗いが全部終わると、今度は朝食づくりが始まった。叔母さんは冷蔵庫からぽいぽいと食材を放り出し、最後にエプロンを一枚投げてよこした。おおきなひらひらの付いた白の胸当てエプロンで、一瞬でコチョウさん用だと分かった。

「さて、我々のうまし糧を作りましょうぞ」

 焦げ茶のサロンエプロンを付けた叔母さんが胸を張る。

「叔母さん、エプロンこれしかないんですか」

「胸当て付きはそれだけなんだ。まあ許されよ、人に見られるわけでなし」

「それはそうなんですが……」

 叔母さんはこちらの意見などお構いなしに料理を始めた。今朝のメニューは目玉焼きとソーセージ、レタスとトマト、そしてアニメみたいに大きな丸いパン。袋には「パン・ド・カンパーニュ」と印字されたシールが貼ってあった。

「ナッちゃん、そのパンスライスして。コチョウ、今朝は何枚?」

「ンー、二枚かなァ」

「りょーかい。ナッちゃん、四枚頼むよ。包丁はこれ。厚さはだいたいこのくらいで……」

 叔母さんに言われるがままに、長くて波打った変な包丁を操る。表面の硬いところがなかなかきれいに切れない。ギコギコ音を立てて格闘していると、不意にチャイムの音が鳴った。



このお話は新聞小説のように小分けに出していくつもりです。

特に理由はありません。


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