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花園館の夏休み  作者: 桜庭 葉子
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三.美しい人

 戸口から一歩中に入ると視界がちかちかして、思わず両手で目を覆った。天井にきらきらと輝くシャンデリアが下がっていたのだ。ダイヤモンドのようにカットされたガラス飾りが電球の光を乱反射し、空調の風に揺れるたびにちくちくと網膜を刺してくる。指の隙間から何とか前を見て靴を脱いでいると、誰かが近づいてくる気配がした。

「キャハハ!ねえセンセェ、この子ラッコみたいに目を隠してる。面白いわねェ」

 朗らかな笑い声。恐る恐る手を顔から離して、目を数回パチパチさせ、思わずぎょっとのけぞってしまった。

 そこにはまさしく“美人”がいた。ヤナギの木のように細長い肢体にふっくらとした紅色の頬。長くふわふわと伸びた髪は銀色に光り、小さめながら厚い唇はピンクのグロスでつやつやと色づいている。そして何より、彼女の目。大きく存在感のある瞳と長いまつ毛のせいか、彼女がこちらをじっと見つめれば見つめるほど、胸の中心のあたりがゾクゾクと熱く震えるのがわかった。

「えぁ、は、はじめ、まして」

 言葉が上手く出てこないままぎこちなく挨拶すると、彼女はそっと腕を巻き付けてきた。豊かで柔らかい胸がぎゅっと押し付けられ、そこから得も言われぬ甘い香りがする。これは確か、バニラの香りだ。ぽかぽかした人肌にとろけそうになっていると叔母さんが近づいてきて、それに気づいた彼女もすっと腕を解いた。

「紹介するよ。こちらコチョウ、うちの自慢の美人だ」

「初めまして。アタシ一応センセェの助手ってことになってンの、よろしくね」

 まるで誰かにしなだれかかるような、少し癖のあるしゃべり方だった。だがそれが男性を惹きつけるのか、父さんがニヤニヤ笑いながらこちらを――いや、コチョウさんを見ている。よく見るとコチョウさんの着ているワンピースは白のレース素材でできていて、その下のスリップがうっすら見えていた。

「あ、あの、コチョウさん」

「ン、どしたの?」

「その、上に何か羽織った方が……見えてます。いろいろ」

 そう指摘した途端、コチョウさんはえっと声をあげて自分の胸元に目をやった。

「あ……そうよねェ、お客様に会うのにこれはなかったわ。なんか別のを着てくるから、ごめんね?」

 コチョウさんはぱたぱたとスリッパの音を響かせながら奥の部屋へと走っていった。何だか申し訳ないことをした気分になったけれど、父さんがじろりと非難の目を向けてくるのがもっと不快で、そんな気持ちはたちまち消えていった。

「ナッちゃん、ああいうの苦手だったかな。ごめんね」

「あ、いえ。そういうわけじゃないんですけど……ほら」

「え?……ああ、なるほど。やれやれ、我が兄ながら情けない」

 叔母さんは深くため息をつきながらも、ちゃかちゃかと手際よくキッチンで作業を始めた。どうやら冷めてしまったハンバーガーやポテトを復活させようとしているらしい。

「あの、何か手伝いましょうか」

「へーきへーき!ちょちょいとあっためるだけだし。コチョウのご飯を済ませたら部屋に案内するから、それまで兄さんとテレビでも見てなよ。あ、手を洗うんならそこいって右ね」

「はぁい……」

 そう返事はしたものの、さっきの父さんを見ていると一緒にテレビなんて見る気がしない。とりあえずあたりをきょろきょろ観察しながら洗面所に向かっていると、ふとこの家が自分の家と比べて変な間取りをしているのに気が付いた。

 まず玄関。足ふきマットやシューズラックでスペースを作ってはいるものの、入ってすぐにだだっぴろい部屋が広がっていて廊下というものがない。靴を脱ぐたたきは一応あるが高低差が五センチもなく、明らかに無理やり作りましたという感じだ。

 次に大部屋。L字型の空間を薄布のスクリーンでゆるく区切って、玄関、キッチン、ダイニング、そしてリビングの四つを兼ねている。こういうのをダイニングキッチンとか、リビングダイニングとかいうのだろうけど、普段住んでいるような家からは想像もできない間取りに思えた。

 奥へ進むとこれまた不思議な空間になっていた。正方形の短い廊下に白い扉が六つ。左右の壁には一つずつ、前後の壁には二つずつついているから、廊下の中心でくるくる回ったら絶対どこがどこだかわからないだろう。間違えないようゆっくり慎重に、叔母さんに言われた通りの扉を開けると、そこにはコチョウさんがいた。

「ン、手洗うの?」

「あ、はい」

「ちょっと待ってねェ……」

 コチョウさんは下唇に赤いリップを塗り、んーぱっと口を何度か開いたり閉じたりした。気崩したワイシャツとホットパンツという組み合わせで、露出はまだ多いもののさっきより少しは安心できる。髪の毛をアップにしてバンダナを巻き、鏡の前で口をすぼめたりにっこり笑ったり、あれこれと微調整を加えてようやくコチョウさんはこちらを向いた。

「どォ?ピンナップガールみたいでしょ」

「どうって、似合うと思いますけど。そういうのが好きなんですか?」

「まーねェ。だってこういうカッコのアタシ、かっこよくない?今度ナッちゃんにもかっこよく見えるお洋服貸したげるねェ」

 コチョウさんは返事も待たずルンルンと洗面所を出て行った。大きな鏡が一気に色を失って、ただ一人真っ黒な影が残される。ぶかぶかのパーカーにずっしりと重い黒髪。あまり外に出ないのに日焼け気味な肌が、コチョウさんを見てからもっと黒く思われた。

「……これだって十分かっこいいよね」

 そう呟いてから急に恥ずかしくなってきて、慌てて手を洗い、ついでに顔まで洗ってしまった。



コチョウさん登場。

書いてて一番楽しいのはこの人かもしれない。


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