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花園館の夏休み  作者: 桜庭 葉子
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二十一.宝石

 ボーン、ボーンと音が八回鳴るのと同時に、ゴチンと派手な音が響いた。

「ってぇ!」

 少し低い叫び声をあげて叔母さんが起き上がる。やけに静かだと思ったら、頬杖をついてうたた寝をしていたようだ。

「ちょっとタッちゃん、アンタ吞みすぎよォ」

「っちち……若い頃はもっと飲めたんだがね」

「なァに言ってんの、あの頃だってちっともだったくせに……むしろ強くなったワ」

 一番端に座ったお客はそう言いながら、倒れたジャック・ダニエルの瓶をゆっくり起こした。まだ半分以上入っていたはずのそれはもう空になっていて、どんなに振っても一滴たりとも零れてきそうにはない。油の染みたボール紙や汚れた取り皿もあいまって、終わりのわびしさがひしひしと伝わってきた。

「じゃ、センセェを寝かせてくるわネ。ほらセンセ、たっちしますよォ」

 コチョウさんはそっと叔母さんの肩を抱き、半ば引きずるようにしながら歩きだした。その場に残った客人たちは、お持ち帰りよ、おアツいわね、などと下世話な野次を飛ばしながら、特に手を貸すことなく二人を見送る。特にそれに意味はないのだろうけれど、従うべき同調圧力のようなものを感じて、手伝おうかと浮かしかけた腰を下ろした。

 しかしコチョウさんが扉の裏に消えた途端、そのことを後悔した。こちらは客人たちのことを何も知らないし、客人たちもこちらのことを何も知らない。ここ二時間ほどの会話が成り立っていたのはコチョウさんと叔母さんというかすがいがあったからなのだ。正直名前もおぼろげな自分に、この南国のオウムのような四人をもてなせるはずがない。どうしよう、と混乱しつつオレンジジュースに口をつけていると、幸い向こうからアクションを起こしてもらえた。

「ねッねッ、アタシたちの名前覚えたァ?」

「え……あー、すいません」

「まァそーよねェ!アタシもお客さんの名前とか覚えらんないもン」

「それは覚えなさいよッ。とりあえず改めてェ、」

 そこで一度話を切ると、一番近くに座っていた人が咳払いをした。

「ルビィでーす」

「サファイアでーす」

「オパールでーす」

「トパァズでーす。一番美人って覚えてネ」

「あッずるゥい!」

 まるで示し合わせたかのように口をとがらせてから、キャハハハ、と高笑いする客人たち。よっぽど仲が良いらしい。

「みんな宝石の名前なんですね。源氏名ってやつですか?」

「あらやだッ、源氏名なんてどこで覚えたのよォ!」

「やーねェオバサン、最近は小学生でも知ってるワ」

「えッそーなのォ!?アタシなんか店入って初めて知ったわヨ」

「『そんな時代もあったねと』ってやつネ。ジェネレーションだわァ」

「ちょっと、若いコ置いてけぼりにしないの。お察しの通り源氏名よォ」

「ちなみにオパールちゃんは本名タカダカオル~」

「やめてッ!その名前キライなのよォッ!」

 一つ聞いたら十も二十も帰ってくる。あちらの方が人数も多いから当然と言えばそうなのだが、少し気を抜いたらすぐに取り残されてしまいそうだ。

「その……コチョウさんとの知り合いだったんですよね」

「そ、かつてのチーママとネ」

 ルビィさんは少ししんみりした顔で缶ビールを開けた。

「あの子、昔はダイヤちゃんって名前だったのよ。アタシたちが入った頃にはもう人気ナンバーワンの常連だった」

「その……キャバクラ、とかの」

「んー、まあ……ネ。クラブなんだけどネ」

「ルビィさん、子供には違いわかんないわよ。行ったこともないでしょォ」

「それもそーね。ともかくダイヤちゃんはねェ、とっても美人だったのヨ。今も美人だけど、あの時のダイヤちゃんは……カリスマっていうのかなァ、人を寄せ付けないのに人を集める才能があったの。だからチーママにもなれたのヨ」

「ちょっとも笑わないでお酒飲んでるだけなのに、なんか人気だったのよねェ。お客さんがみんな、隣に置いてるだけで満足しちゃってたのかなァ」

「今よりずっと痩せてたし、お酒だけで生きてたのかもネ。その線の細さもクールではかなげって言われてたワ」

「わあ……想像つかないですね」

「でっしょォ?それが今じゃこんな田舎で庭いじりなんかしてるんだもン、隠居老人って感じィ」

「ちょっと聞こえるわよ、せめて隠居老婆とお言いッ」

「どっちみち年寄りなんかァーい!……でもホント、今のダイヤがダイヤじゃなくなってよかったワ。あの頃のダイヤはいつ砕けても構わないって感じだったもの。『見かけだけきれいなガラスのダイヤ』って陰口叩かれてたのを考えたら、今は幸せなんだと思うワ」

「その陰口叩いてたの、確かトパァズだったわよォ」

「ちょっと、それあんたでしょッ。罪を擦り付けないのッ」

 過去の話が盛り上がり、ワイワイとまた置いてけぼりにされる。まあいい機会か、と机の上をざっくりと片付けていると、あの黒と白のラベルが再び目に入った。四角く重そうな、存在感のあるたたずまい。じっと見ているとあの夜の叔母さんの言葉が少しずつ思い起こされた。

 ――種、ね。取ってもらったよ。

「……叔母さんとは、その店で出会ったんですか」

 知らないうちにそんなことを聞いていた。げらげらと笑っていた四人はピタッと動きを止め、また明後日の方向を向きだした。

「そうねェ……あんまり話すなって言われたんだけどネ」

 サファイアさんはいたずらっぽく首をすくめてから、ぽつぽつと話し始める。それに膝を正してしまう自分は、逆立ちしたって叔母さんにはなれそうにない、と少し自虐的なことを考えた。



約一か月ぶりの更新です。

おちごとちたくない。


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