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花園館の夏休み  作者: 桜庭 葉子
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二.車上にて

 叔母さんの車はアーモンドチョコの箱をくりぬいたような洒落たオープンカーだった。左ハンドルのそれを右手で操りながら、叔母さんは左手でゆらゆらと風の流れを弄ぶ。

「あぶねえなあ、ちゃんとやれよ」

 助手席の父さんが苦言を呈した。

「だったら兄さん運転する?」

「そ、そりゃあ無理だけど……それでも命を預かっとる自覚をだな」

「こんな道で命も何もとられやせんよ。スピード出さなきゃ平気です」

 確かに叔母さんの運転は危ないが、彼女の言うことももっともだった。法定速度を無視してガンガンかっ飛ばしているわけでもないし、何しろ対向車が全くと言っていいほど通らないのだ。見えるのはまばらに建った干物臭い日本家屋と腰の曲がった老人たちばかり。防風林と畑のおかげで景観はまあまあだが、大型スーパーやコンビニもなく、まして娯楽になり得そうな施設も全くと言っていいほど見当たらない。そのため出歩いている人も極端に少なく、昼間だというのに聞こえるのはこの車のエンジン音とセミの声だけだった。

「ナッちゃん、うちに来るのは初めてだよね。田舎でびっくりした?」

 急に叔母さんがミラー越しに話しかけてきた。

「い、いえ。潮の香りが素敵です」

 慌てて紙袋を抱えなおしてそう答えるが、あまり面白くなかったのか叔母さんはフーンとつまらなさそうに口を尖らせた。どんな答えを期待していたのだろう。相手の望む答えが言えないとひたすら申し訳なくなってしまう性分のせいで、なんとなく嫌な汗をかいてしまった。

「まあ、静養のために来たんだからな。このくらい静かな方がいいだろ」

「そうそう。だいたい都会は人間の住む場所じゃないやね。兄さんたちも田舎に住むといい」

「無茶を言ってくれるなあ、こちとら都会じゃないと生きていけないサラリーマンだぞ。お前は愛する兄さんを人外呼ばわりするのか」

「うちの美人にでれでれするやつを愛しいとは思えないよ」

「おお、怖いねえ。女のやっかみか」

「そんなんじゃないさ。……おや」

 堤防に差し掛かったあたりで、叔母さんは急にスピードを落としてクラクションを鳴らした。けたたましいその音に一人の釣り人が振り返る。ハーフパンツにタンクトップ、大きな麦わらにビーチサンダル。典型的な田舎小僧のような恰好だが背格好は高校生くらいで、長い四肢を惜しみなく晒していた。叔母さんがひらひらと手を振ると彼は腰に付けた携帯ラジオを切って帽子を取り、胸のあたりに掲げてうやうやしく頭を下げた。茶色いくりくりの髪が日の光で金色に光っていた。

「やあやあキューちゃん、また釣りかい?」

「ええ、ちょっと。作家さん、その人は?」

 作家さん、というのはきっと叔母さんのことだ。叔母さんは何かのペンネームで小説家をしていると聞いたことがあった。

「うちの『愛する兄さん』とその子供のナッちゃん。兄さんは一泊して帰るけど、ナッちゃんは夏休みいっぱいここにいるんだ。よかったら仲良くしてやってよ」

「なるほど。よろしくね、ナッちゃん」

 キューちゃんはにこにこと人の好さそうな笑みを向けてきた。いい人そうだ。握手の一つでもすればいいのだろうけれど、あいにく自分の両手はバーガーの袋でふさがっている。せめてもの挨拶にと袋をつぶさない程度に頭を下げたが、キューちゃんはわかったのかわからないのか、ピクリとも笑顔を崩さなかった。

「さて、ひとまず今日は退散するよ。キューちゃん、日差しでのぼせないようにね。堤防の方は影が無いんだから」

「はーい。また親父と一緒に、いい魚を届けに行きますね」

「楽しみだなあ。今度はアジの、刺身にできそうなくらい新鮮なやつを頼むよ。最近うちの美人が好きなんだ」

「あはは、言っておきます」

 また美人の話。美人はここでは有名なのだろうか。考えれば考えるほどドキドキと心臓が高鳴り、喉の奥にボールが入ったような緊張感が襲ってくる。叔母さんは再び車を動かしてその場をゆっくり離れ、一本道をごろごろと転がしていった。

「ここまっすぐ行ったらすぐだよ……ほら、あの白い家」

 叔母さんが顎でしゃくった方角には、周りの家より一回り大きな家が建っていた。ギリシャの方にありそうな白い家で、ドーム状の青い屋根が空に溶け込みそうなほど鮮やかだ。周囲を背の高い塀と瀟洒な細工のついた鉄の門で囲んだそこは美しいことは美しかったが、なんだか牢獄のようにも思えてついつい身震いしてしまう。叔母さんは門の脇に車を停めると礼もそこそこにバーガーの袋をひったくって、一目散に塀の中に入っていった。

「おうい、帰ったよ!」

 漆喰越しにも明るく聞こえてくる声に少し驚いた。叔母さんは何事も飄々と流す人だと思っていたから、幼子が母に甘えるような声を出すとは思いもしなかったのだ。しかしこれは普通のことなのか、父さんは親子二人分の荷物を軽々担いで叔母さんの後を追う。きっと気にしたら負けというやつなのだ。

 門の下を通った瞬間ふわりと柔らかい風が吹いた。まるでのどかな春のそよ風のような、ほんのり甘い風だった。

 門から玄関口までは茶色のタイルが敷いてあり、その脇には庭いっぱいに花が植えてあった。柵で仕切ったり石で縁取ったりしたそこにはジニアやポーチュラカが可愛く咲いていて、奥の方にはヒマワリのような背の高い花も育てられていた。プランターのほとんどは緑色の葉っぱが青々と茂っており、「Basil」や「Dill」といった英字の札が下がっていた。その札を一つ一つじっくり見ながら進むといつの間にか戸口の前に立っていて、中からは鳥のさえずるような笑い声が聞こえてきた。



キューちゃんのモデルは某ボーイズ・ラブ映画に登場するアメリカの俳優さんです。

いるだけで絵になる人ってああいう人を言うんだと思う。


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