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花園館の夏休み  作者: 桜庭 葉子
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十.電話

『そう……楽しめているならよかった』

 母さんの声がスピーカー越しに静かに笑った。去年の春に買ってもらった、頑丈さと小ささが売りのスマホ。十分にネットを使えないのが難点と購入時に言われたが、連絡ツールとしてはさほど困るようなことも無く、今ではすっかり右手に馴染んでいた。

『ちょっと心配だったのよ。厄介払いされたとか、そんなことを思ってないかって』

「ううん、そんなことない。お医者さんも言ってたでしょ、今必要なのはゆっくり休んで自分を見つめなおすことだって。ここはぴったりな場所だと思う」

 そう応えつつ、なんて優等生な発言、と自分で呆れてしまう。でもこう言わないと安心できないだろうし、何より嘘というわけでもない。

『タツキさんは?良くしてくれる?』

 少しだけ考えて、ごろんと寝返りを打つ。ベッドのスプリングが軽く軋む音がする。

「うん。結構ドライな感じだけど、いい距離感っていうのかな。つかめてると思う。向こうがどう思ってるかわかんないけど」

『まああの人は……そうよね、わからない。母さんもわからないの。お会いするのって親戚の集まりくらいだから。今回のことだって、タツキさんが名乗り出てくれなかったら候補にすら上がらなかった』

「叔母さんが?」

 少し意外な事実に半身を起こした。だって、あの叔母さんだよ。その意図を組んだのか、母さんはクスッと笑った。

『そうなの。自分のことを話さない人だけど、ナツキ、あんたは特別可愛がられていた方だと思う。だから呼んでくれたのよ』

「そうだったかなあ……」

『そうよ。小さい頃、あんた覚えてる?お正月の時はずーっと叔母さんの隣を陣取ってさ』

「え、そうなんだ」

『しまいには叔母さんの真似をしてビールを一杯』

「飲んだの!?」

『飲みやしないわよ、必死で止めたんだから。でもそういうことを覚えててくれたんでしょうね。タツキさんは頭のいい人だもの』

「そっか……」

 相槌を打ちながら、母さんの予想にどこかに違和感を覚えた。ただ可愛いというだけで、あの人が親戚の子を何日も何日も泊めるだろうか。叔母さんはともかくコチョウさんは?赤の他人の子がいることで不快にならないのだろうか?一人増えれば食事代や光熱費だってかかるはずなのに。

『ナツキ』

 ぼんやりと考えていると、母さんの声が少し硬くなった。

「何?」

 聞いてないのがばれたかな。少し冷や汗をかきながら次の言葉を待った。

『今日ね。カナコちゃんたちが来たの』

 カナコ。パキリ、と音を立てて、景色にひびが入った気がした。

「……カナコたち、ってことは」

『うん。サトルくんもユリナちゃんも、カナエくんも揃ってた』

 パキ。メキメキメキ。亀裂は徐々に広がっていき、ついにはガラガラと音を立てて崩れていく。辺りは闇。光の一切届かない黒い世界。冷たい。寒い。寂しい。

 ああ、これが、現実。

『みんな、ナツキのこと心配してたのよ』

 うつろな空気を伝って、母さんの声がやけに響いた。うるさい。うるさくて頭痛がする。心臓も胃も、氷になったみたいに冷たかった。

『自分たちのせいでナツキを苦しめたって、ひどく反省してたの』

 何をほざく。いけしゃあしゃあと被害者ぶりやがって。

『ほら、お医者様も言ってたでしょ?相手の罪を許せるくらいの余裕を持ちなさいって』

 胸がやけにむず痒い。痒くて、痒くて、息もできない。きっと肺に毛虫が入ったんだ。気持ち悪い。掻き出さなきゃ。

『だから、ね、ナツキもカナコちゃんたちを――』

「うるさい!」

 吐き出した毛虫は、そんな言葉の形をとった。やっと息ができる。大きく吸い込んで大きく吐いて、それを繰り返すうちに、周りがちっとも変っていないことに気が付いた。さっきまでと同じ、ラベンダーカラーの部屋だ。汗が目に入って染みる。シャツの裾でごしごし拭いたら、黒い手形がくっきりと残るほど濡れていた。

「……ごめん。今日はもう、寝るね。また電話するから。ごめん」

 聞こえたかわからないけれど、スマホに向かってそうつぶやいてから、震える指で通話を切った。落ち着け、落ち着くんだ。両手で顔を覆って深呼吸をしてみたけれど、落ち着くどころか目に涙がにじみ始めてしまった。

「……大丈夫?じゃ、ないよね」

 背中に温かい手が添えられる。するとまるで押し出されるかのように涙が一粒こぼれた。その粒は次の粒を誘い、連鎖的にぼろぼろと流れていく。手の持ち主は腕まで体に巻きつけて、ぎゅっと胸のところに抱き寄せてくれた。少し硬くて、頼れる胸だった。

「勝手に入ってごめん。急に叫ぶから何事かと思ってさ」

「ごべ、なざ、」

「無理して喋ると喉がつぶれるよ。全部出し切っちゃいな。涙は我慢するもんじゃない」

 叔母さんはゆりかごのように体をゆらゆら揺らした。泣いていい。泣く権利がある。その安心感に、声まであげて泣きじゃくる。泣いてあやされ、これでは赤ん坊そのものだったけれど、今だけはそうでありたかった。



一日開けての投稿です。

シリアスシーンは身が引き締まりますね。


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